2010年6月23日水曜日

「家族」の論理(2)セックスの目的は、生殖ではなく快楽だ

【要約】
  1. 愛はセックスによって維持される。セックスだけで愛が維持されるわけではないが、人類にとってセックスは極めて重要だ。それを示唆するものとして、人類のセックスは他の霊長類のそれと異なっている点がいくつかある。
  2. 相違点1。 人間のセックスは非常に長い時間を要する。人間のセックスは妊娠可能性が低く、エネルギーの無駄の側面があるにもかかわらず、長時間のセックスを行うのは、快楽を目的としているからではないか。男女が快楽を与え合うことが、愛を維持するインセンティブとなるのだ。
  3. ちなみに、女性のオーガズムは人間に特有だと考えられている。オーガズムの存在理由としては、女性を暫くの間虚脱状態とし、射精された精子を膣内に留めておくためとの説がある。別の仮説は、人間のお産は非常に難産であるため、その埋め合わせとしてオーガズムという最高の悦楽を得た、あるいはセックスのたびにお産の予行演習をしているというものだ。
  4. 相違点2。人類のセックスは通常夜に行われることが多い。これは、おそらく精子を膣内に留めおくために女性が仰臥しなくてはならないということと関係している。
  5. 相違点3。人類は、セックスの最中にボディタッチ=愛撫を非常に多用している。人間は、群れ=社会を友好的に保つという目的では「毛づくろい」を放棄したが、特別に緊密な相手とのコミュニケーション手段として「毛づくろい」から「愛撫」を生み出した。
  6. 人間に体毛がないのは、おそらく「愛撫」による快感をより強く感じ、より緊密な交流を行うためだったのではないか。また、体毛の喪失は性淘汰の側面もあっただろう。
  7. これらの相違点を踏まえると、人類のセックスは、本来の目的である生殖の側面を薄くし、より大きく長い快楽を味わえるように進化したと考えられる。
  8. なお、他の相違点として次のようなものがある。いろいろな体位があり、特に正常位が基本になっているという点。通常、群れの他の個体からは離れた(見えない)場所で行われるという点。男性のペニスと睾丸が非常に大きいという点など。これらは、より大きな快楽を得るためということで説明しうる。
  9. ところで、人間の平均的男性は、胸やお尻など女性の体の丸っこさに性的魅力を感じるが、これはなぜか。人間以外の生物では、丸っこさは妊娠や授乳、生殖の不能を示すサインであり性的魅力にはなりえない。人間の場合、妊娠中や授乳中に男性が離れてしまうことは大きなリスクであり、これを回避することが必要だった。丸っこさが性的魅力になったのは性の美意識上の大革命だったが、これは人類はセックスを「愛」の維持に 使っているということの傍証ではないか。
  10. 「愛」を維持する仕組みとして、セックスによる快楽を極限まで高めた結果、浮気するインセンティブも大きくなってしまったのは皮肉である。
  11. 男性にとっては、生まれてきた子供が紛れもなく自分の子供であると確信する必要があったが、そのための仕組みとして、個性的な顔が生まれたのかもしれない。それくらい、浮気への警戒感は大きかったのではないだろうか。

前回、私は、「人類は、男女双方が互いの約束を信頼するためのコストを低減させるために愛という感情が生まれた」と主張した。しかし、その「愛」は具体的にはどのように維持されうるのか、明確には説明しなかった。

さて、「愛」はどうやって維持されうるか。答えは簡単で、セックスである。このように書くと、一部からは反撥があるだろう。例えば、このことから性的不能の夫婦に愛は維持できないというような主張が演繹されうるが、そうとは言い切れないのではないか、というような。

私も、性的不能の夫婦間にも愛は維持され得ると思っている。しかし、人類全体の平均で考えると、セックスのないつがいは長期的には安定的でないということが言えるだろう。ただし、セックスをすることは直接的に愛に繋がるわけではないので、私は、セックスをすれば愛が維持できるというような単純な命題を主張したいのではない。以前に述べた通り、男女が互いを愛するということは、担保のない状態で互いの約束――他の人とセックスしないという約束、資源を提供するという約束――を信じるということであるから、約束を信じるための種々の条件を満たすことが必要であり、「愛」の表現としてのセックスはその結果としてついてくるに過ぎない。

しかしながら、セックスは人類にとってただのオマケではない。「愛」という、ある意味で抽象的な感情を長期的に維持していくための行動様式として、セックスは極めて重要である。その点について、人間のセックスが他の霊長類のそれと比べて著しく異なっている点を踏まえつつ考えてみたい。

まず、人間のセックスは非常に長い時間を要する。人間以外の動物のセックスにおいては、そもそも交接の時間は短ければ短いほどよい。なぜなら、交接の最中に外的に襲われる可能性もあるし、乱交的な動物の場合であれば、1回あたりの時間が短い方が、多くの相手とセックスできる。チンパンジーにおいても、一回のセックスは15~20秒ほどで済んでしまう。ボノボの場合はそもそも乱交的であるから同じくらい交尾時間は短い。

人間は、どんなに短いセックスであっても、最低5分程度はかかるだろう(ギネス記録的な意味ではもっと短くできるだろうが)。しかも、セックスの深い快楽を味わうためにはかなり長い時間が必要で、1時間程度かけて互いの快楽を深めていく必要があると言われている。

どうして、人間はセックスに長い時間を要するのであろうか。そもそも人間の場合は、セックスが排卵日に当たる可能性も小さく、受精を目的としたセックスではない。だから、人間のセックスは元来の目的である受精という観点からはほとんどエネルギーの無駄と言える。その無駄な行為にこれだけ多大なエネルギーを要する理由として考えられるのは、人間の場合、セックスすることよりも、セックスにおいて味わう快楽を目的としており、その快楽をできるだけ大量に味わうために長いセックスをしているのではないかということだ。そして、男女が互いに快楽を与え合うことが「愛」を維持するインセンティブとして働いたのではないかと考えられる。

実は、他の動物がセックスに感じる快楽よりも、人間はより大きな快楽をセックスから感じていると考えられている。例えば、人間の女性にはオーガズムという強烈な快楽の感覚があるが、他の霊長類には、オーガズムはないと言われている。そして、おそらく他の哺乳類一般において、メスのオーガズムは存在していないだろうと思われる。他の動物でオーガズムが観察されていないことはもちろんのこと、自然の中でオーガズムのような虚脱状態になることは大変な危険を伴うので、おそらくオーガズムなどというものは、人間特有のものであろう。

オーガズムがなんのために進化したのかということは、まだ解明されていない問題であるが、一つの仮説としてもっともらしいのは、精子をより膣内に留めておくためという説だ。

人間以外の哺乳類はほとんど4足歩行であり、4足歩行の場合、メスの膣は地面に平行になっているので、オスが射精した精子は簡単に膣内に留まることが出来る。しかし人間の場合、二足歩行のために膣が地面とほぼ垂直になっている。そのため、射精の後、女性がすぐに直立歩行を行うと、せっかく射精された精子が膣外に漏れ出てしまう。これは受精の観点から是非とも避けなくてはならない。その一つの解決策が、セックス後は暫く女性に横になってもらうというものであり、そのために虚脱状態としてのオーガズムが生まれたのではないかということだ。

もう一つは、人間の出産が難産であることに関係しているとする考え方だ。既に述べたとおり人間は直立歩行を実現するため、骨盤がお椀状に変化し、結果として産道が極めて狭隘になった。そのために人間の女性は大変な難産を経験することになったのだ。具体的には、普段は強固な骨盤がお産の時だけ歪んでしまうほどの変化を受ける。骨盤は3種類の骨の組み合わせ出来ているが、お産の最中にはそれらの結びつきが緩む。イメージとしては、きつく閉まったネジを緩めて、部品ごとにバラすことにより、大きな産道を確保しているようなものだ。そのため、女性の下半身は分娩の最中に非常に柔軟になっている。さらに、人間のお産にはかなりの激痛を伴なう。赤ちゃんの大きな頭が狭い産道を通らなくてはならないし、普段は縮約している膣口を出産の時には大きく拡張しなくてはならない。この痛みをどうして耐えることができるのか。
実は、出産の最中、女性の体にはβ-エンドルフィンと呼ばれる鎮痛作用の強い脳内麻薬が大量に放出されている。これが本来激痛であるはずの分娩に女性が耐えられる理由である。この脳内麻薬のおかげで、陣痛時には非常な激痛に耐える必要があるにもかかわらず、自然分娩においては、分娩時は激痛どころか痛みはほとんど感じず、多幸感すら感じる人もいるという。それは、オーガズムすら超えた最高の悦楽だということだ。

そして、β-エンドルフィンという物質は、オーガズムを生み出している物質でもある。そして、セックスの最中、女性の下半身は出産の時と同じように柔軟になることが知られている。出産とオーガズムは類似しているのである。ここからは論理の飛躍だけれど、とすれば、女性はオーガズムのたびに出産を疑似体験しているのかもしれない。耐え難いお産を経験しなくてはいけないということの引換にオーガズムという悦楽をも獲得するに至ったのか、あるいは、ある意味でお産の「予行演習」を行うためにオーガズムがあるということなのではないか。いずれにせよ、オーガズムとお産には深い関係があるのではないかと予見されるが、これも二足歩行による対処とつながっているのではないかということが、私には重要に思われる。

さて、オーガズムと関連して、人類のセックスが他の霊長類と異なる点は、人類のセックスは通常夜に行われることが多いということである。いつごろからこのような傾向が生じたのわからないが、おそらく精子を膣内に留めおくために女性が仰臥しなくてはならないということと関係しているのだろう。なぜなら、仰臥の姿勢を長時間とるためには睡眠中が最も効率がよい。昼間は、食料の採集活動などをしなくてはならないため、長い時間横になっていることは自然界においては効率的ではない。もちろん、現代においても効率的でないだろう。だから、人類のセックスは、就寝時に行われるという特徴を獲得するに至ったのだと考えられる。エロスが夜的なものであるのは、人類が二足歩行を始めたことを淵源とすると言えるのだ。

なお、精子を膣内に留めることが目的であれば、女性をしばらくの間仰臥させるなどという迂遠な方法を採らなくても、例えばスペルマの粘性を上げるというような対処も可能だったのではないだろうか。これは、人類以外の二足歩行的な哺乳類、例えばカンガルーなどのスペルマも調べてみなければ本当にこのような進化がありえたのかはわからないが、私はこのような対処法は、人間には不向きだったのではないかと思われる。なぜなら、そもそもセックスの快楽は男女間の精神的結びつきを強化するために発達したものであるため、セックス自体があっさりしていてはその機能を十分に果たせない。より快楽を深め、より長時間に、より忘我的になることこそ、人類のセックスの進化の方向性だったのではないだろうか。だから、私にとっては、スペルマの粘性を上げるなどという手軽な解決策よりも、快楽で虚脱状態にし、ある程度仰臥の姿勢を保つようにするという解決策の方が、より「人類的」であるような気がするのである。

人類のセックスが他の霊長類のそれと異なっている点はまだある。人類は、セックスの最中にボディタッチ=愛撫を非常に多用している。交接の前後、このように互いの体を愛撫する生物は他にはいない。なぜ愛撫が人類のセックスにおいてこんなに重要なのか、その理由は未だ解明されていないが、一つの考え方としては、以前説明したサルにおける「毛づくろい」が発展したものが人類の「愛撫」ではないかという考え方だ。

少しおさらいしておこう。サルは群れを友好的な状態に保つために、互酬的な行為として「毛づくろい」をしている。しかし、群れのサイズが大きくなると、時間のかかる「毛づくろい」は効率的でないため群れの個体全てと互酬的な関係を築くことができないし、そもそもそんなに毛の手入れが必要なわけでもない。よって、「毛づくろい」を群れの個体間関係の良好化に使うのには限界がある。人間の場合は、「毛づくろい」ではなく言語という効果的かつ簡便な手段を使って、社会を友好に保つという方法を獲得したことが、巨大な社会を構築できた一因だったのではないかということだった。

では、人間は「毛づくろい」を完全に忘れてしまったのだろうか? 私はそうではないと思う。サル時代の「毛づくろい」は、特別親密な人とのコミュニケーションの手段として発達したのではないだろうか。サル(apes)の場合、チンパンジーにしろゴリラにしろボノボにしろ、特別に仲良くする個体があるわけではない。なぜなら、彼らの婚姻関係は常に流動的であるからだ。よって、彼らは特別に親密な個体とのコミュニケーションを発達させる必要はなかった。一方で、人間の場合は、子育てを男女が共同して行わなくてはならないという制約があったため、婚姻制の”発明”以前においても、つがいの男女間には特別な精神的紐帯が必要であり、それが「愛」という非合理的な感情であったということが私の仮説だった。であれば、愛する者同士の特別なコミュニケーション手段が発達してもおかしくないのではないか。そしてそれは、サル時代に人が多用していたに違いない、「毛づくろい」をさらに洗練させたものではなかっただろうか。要は、「毛づくろい」は一般的な友好化のための手段ではなく、愛する者同士のための特別な手段になったのである。

「毛づくろい」なのにも関わらず、人間にはほとんど毛がないではないか、との反論があるだろう。人間がなぜ体毛を失ったのかということも、未だ解明されていない課題であり、水性進化説、放熱対策説などいろいろな説が主張されている。それらのどれにも長所と短所があるが、私が最も気に入っているのが、体毛の喪失は、「毛づくろい」を特別化するための進化だったのではないかという考え方だ。つまり、「毛づくろい」である以上、コミュニケーションは自分の皮膚ではない「毛」が中心になる。より親密な交流を行うには、毛ではなく、皮膚を直接撫でたほうが効果的だ。だから、人間は愛撫するために体毛を失ったのではないかと考えられるのだ。

この考え方を裏付けるのは、体毛における男女差の存在である。なんらかの外部環境への適応として体毛の喪失が進化したとすれば、大きな男女差は生まれないはずだ。しかし実際は、明らかに女性の方が体毛が薄い。これは、体毛の喪失は外部環境の適応ではなく、性淘汰によって獲得された可能性を示唆している。性淘汰は、進化を促す上での淘汰圧として自然淘汰と同様に重要な概念であり、平たい言葉で言えば、「そっちの方がモテる」ということから生じる淘汰のことである。つまり、体毛の薄い女性の方がモテたから、人類の体毛は喪失したのではないか。

なぜ体毛の薄い女性がモテたのかというと、進化した「毛づくろい」である「愛撫」によって、より濃密なコミュニケーションを取ることができ、愛情が持続的だったからかもしれない。あるいは、愛撫によりより深い快楽、信頼、慰安を感じることができた女性は、安定的に子孫を産み育てることができ、適応度が高かったからかもしれない。いずれにせよ、「愛撫」によるコミュニケーションがより成功した個体が生き残ったということだ。ただ、不思議なことに、男性は女性よりも愛撫への感受性が鈍くできている。なぜ、男性は愛撫する側で女性は愛撫される側なのかということは、さらに研究すべき課題のように思われる。一つの考え方としては、出産は女性にとって非常に大変なイベントであるため、男性に対してより大きな信頼や愛情が必要だったのではないかということだが、どうだろうか。

さて、本論において重要な点としては、「愛撫」はセックスにより大きな快楽を与えてくれたということだ。人類以外の動物も、セックスから快楽を得ているのかもしれないが、それはあくまでも挿入/非挿入という単純なものだろう。人間の場合は、それに加えて体や性器への愛撫は、セックスにおける快楽の要素として非常に重要だ。最近流行りのスローセックスの理論に従えば、愛撫こそセックスの本当の快楽であるとも言えるそうである。

これらのことから何が言えるだろうか。私の考えでは、人類のセックスは、いかに快楽を大きく、長時間感じられるようにするかということを中心軸として進化したのではないかということだ。もっというと、本来の目的であるはずの生殖という側面を弱め、快楽自体を自己目的化するような方向に進化したのではないだろうか。そしてそのように進化した理由は、「愛」という非合理的感情を長期間に亘って継続させるために、セックスの非常な快楽というものを必要としたからであると考えられる。

なお、上で述べた以外にも、人類のセックスが他の霊長類のそれと異なる点はある。これまでの考察で、論点はかなり明確になっていると思うので、以下は簡単に触れることにする。まずは、いろいろな体位があり、特に正常位が基本になっているという点。次に、通常、群れの他の個体からは離れた(見えない)場所で行われるという点。そして、男性のペニスと睾丸が非常に大きいという点などである。これらの理由もまだ完全に解明されているわけではないが、快楽の自己目的化としてセックスを捉える見方からすると、理由は明快であろう。

多様な体位は、多様な快感を得るためだろうし、正常位が基本なのは、愛撫をしながらセックスするため、あるいは対面でその反応を確認しながらセックスを行うためだっただろう。他の個体から見えないところでセックスするのは、「群れ」の論理で動く生物であるところの人間、すなわち社会的な生物としての人間ではなく、あくまで「家族」=男女間という極めて個人・個別的な関係に没入するために必要な措置であっただろう。そして、ペニスや睾丸が大きいのは、より大きな快楽を継続的に感じるためだっただろう。

なお、睾丸の大きさは乱交性と関連しているという事実はあるが、人類の祖先は乱交性であったが、睾丸の大きさはヒトがヒトになってからは、同じ相手と繰り返しセックスするためにこそ役立ったのではないかと思われる。

さて、ここまでの考察で、人類のセックスは、生物としては例外的なほど快楽に特化しているということと、セックスこそ愛を維持するための紐帯であったということはかなり明白になったのではないかと思われるが、さらに補足としてある現象を取り上げたい。それは、人間の平均的男性は女性の体の丸っこさに性的魅力を感じるということである。

丸っこさが魅力というとちょっと奇異な言い方だが、大きく膨らんだ胸、突き出た尻などに男性は魅力を感じるのだということだ。そんなの当たり前じゃないか、と言うなかれ。これが自然界(他の哺乳類)ではかなり異端的な女性の好みなのだ。なぜなら、自然界では、人気のあるメスの特徴としては、角張っていて丸っこくない個体だからである。というのも、丸っこさは妊娠あるいは授乳中のサインであり、このような個体は生殖の対象として価値がほとんどない。妊娠中のメスと交尾しても得るところはないし、授乳中も(排卵が止まっているので)同様である。だから、霊長類も含む人間以外の哺乳類では、メスは丸っこいと人気がないのだ。

妊娠中や授乳中のメスの価値が低いというのは、人間でも当てはまる論理なはずなのに、なぜ人間の男性は丸っこい女性を好むのだろうか。ここに、人類の女性が成し遂げた、革命的な美意識の変化があると私は考える。

愛がセックスによって維持されるものだとすると、女性にとって脅威なのは、セックスの価値が著しく低下する期間である妊娠中や授乳中に男性が自分への興味をなくし、新しい女に手を出してしまうことである。こうなると、生まれてくる子供や現在抱えている赤ん坊を、男性の援助なく女で一つで育てなくてはならない。これは女性にとっては大変なリスクだ。そこで、妊娠中や授乳中も男性の自分への興味が持続するようにしなくてはならない。だが、授乳中は自然に胸が膨らむし、妊娠中は自然にお腹が丸くなる。これを隠すことはできない。どうするか。

そこで、人類の女性は、男性の美意識を根本から作り替えることに成功した。自然界では本来妊娠や授乳を表すための「丸っこい」というサインを、性的魅力(セックスしたくなる)という全く逆の価値観と結びつけた。これは、本来、男性側にはネガティブなサインだったはずのものである。想像するに、胸の大きな女性を見ると、「(妊娠中や授乳中だから)性の対象にはなりえない女だ」と考えたはずだ。それが、どういう進化的過程を辿ったのか不明だが、ネガティブだった特徴が、ポジティブな特徴になった。だから、人間の男性は胸やおしりが好きなのだ。

その結果、どういうことが起こったか。人間の男は、妊娠中や授乳中も妻に欲情することができたのである。妊娠中や授乳中は、本来は女性としてはセックスしたくない期間のはずである。流産の危険性があったり、篤い保護が必要な赤ん坊の世話が疎かになったりする。それなのに男性がセックスしたがるのは、そのための意味があるはずで、それこそが、セックスを「愛」の維持に使っているという傍証なのではないだろうか。

ちなみに、大きな胸や尻は、女性の生殖器が股の間という見えにくいところにあるため、膣が腫れ上がるといったような発情のサインを現示させにくくなり、その代替として胸や尻が膨れたのだ、という仮説もあるが、私にとってこの仮説は全く説得的でない。なぜなら、そもそも人類の性戦略の基本は、女性が発情期を隠したことにあると考えているので、発情のサインを示す必要性など全くないし、自然界ではむしろ発情と対極にある胸や尻の丸っこさというものを、なぜ発情のサインとして使ったのかという説明ができないからである。

さらに、蛇足だが、この性の美意識の革命的な変更を受けて、人間の芸術には、基本的に「丸っこいものが美しい」という感覚が導入されたのだと思われる。もしこの性の美意識の革命がなければ、角張っているものが美しいという、今とは全く別の芸術体系が生まれていたのかもしれない。

さて、論証に思わず多言を要してしまったが、これまでの議論をまとめると、私の主張は次の通りだ。
人間の男女は「愛」という非合理的感情を長期間に亘って維持する必要があった。
そして、そのためにセックスを本来の生殖という目的ではなく、快楽を与えてくれる仕組みとして進化させた。
そのため、人間は、動物としては異例ともいえる強力な快楽を与えてくれるセックスを行うことになった。
結果として、人間は男女がともに快楽を与え合うことにより「愛」を強化するという仕組みを確立することができた。

読者諸君は、「それは大変結構だ」と思うかもしれない。しかし、これが落とし穴なのである。セックスによる快楽を極限まで高めた結果、なんと、人間には浮気するインセンティブも大きくなってしまったのだ。ここまでセックスによる快楽が大きくなければ、特に生殖上有利なわけでもないその場限りの情事が横行することはなかったのではないだろうか。

本来は、継続的なつがい間の愛を強化・継続させることこそ快楽的セックスの存在意義だったはずなのに、それが浮気のインセンティブを高めることになるとは、進化の皮肉である。もちろん、浮気のインセンティブはセックスの快楽だけではない。浮気を防止する仕組みとしての嫉妬や婚姻制については後に述べるが、この論考の最後に、浮気という可能性が潜在的にあったことで進化した別の事象について付け加えよう。

さて、男性にとってつがい関係の最大のリスクは、自分の子供だと思って育てていた子供が、実は他人の子供だった、というものである。だから、つがいの女性からうまれたその子どもが、まぎれもなく自分の子供だと確信できるような仕組みを発達させる必要があった。そのために、例えば嫉妬であったり、婚姻制というような仕組みが生まれたのだ。これらについては後に説明するが、人間が発達させたのはこれだけではないだろう。おそらく、顔の多様性も、このために生まれたのではないだろうか。

人間の顔は、大変多様性に富んでいる。もちろん、動物の顔が均一だ、ということではない。社会性のある動物は個体レベルで識別することが必要だから、ある程度顔や体の個性がはっきりしている。だけど、人間の場合は(私が人間だからそう感じるだけ、という可能性もあるが)動物とはまた違ったレベルで多様な顔を持っている。なぜだろうか。もちろん、個体レベルでの識別が必須だったから、というのも有力な理由の一つだ。しかし、それと同じくらい重要な理由として、女性から生まれた子供が本当に自分の子供だと確信するための印として顔の特徴があるのではないだろうかということが考えられる。

生まれてきた子どもが自分に似ている、ということは、その子が本当に自分の子であることを直接的に証明するものだ。もちろん、似ていなかったからといって、血縁が否定されるわけではない。似ていなかったからといって、世話をするのを辞めるわけではない。しかし、自分により似ている子供には安心してより大きな投資をすることができる。実際、人間は自分に顔が似ている人ほどより簡単に信用するという研究結果がある。信用と血縁は相関関係にあるのだ。だから、個性的な男性から生まれた個性的な顔立ちの子供は、平均的な顔立ちの子供よりもより大きな保護と投資を受けただろう。その結果、人間の顔立ちはどんどん個性化する方に進化していたのではないか。

もちろんこれは、単なる仮説に過ぎない。だが、男性が持つ女性の浮気への警戒という感覚は、人類の顔を多様化させるくらい強烈だっただろうというのが、私の考えである。

2010年6月6日日曜日

「家族」の論理(1)直立歩行と愛

【要約】
  1. 「なぜ、我々は、愛に振り回されるんだろう」-それが、これから議論するテーマだが、愛とはなんだろうか。
  2. 直立歩行によって、人類には、①自由になった前足=手の誕生、②大脳の巨大化、③骨盤の変化が生じた。「手の誕生」によって、殺傷能力が高い道具を扱えるようになり、人間のライフスタイルは食料採集(food-gather)から狩猟採集(hunter-gather)へ変化し、我々は「狩りをするサル」になった。また、ものを運ぶ能力が格段に向上した。「骨盤の変化」は、地味な変化のようだが、これこそが婚姻制の誕生と関係がある。
  3. 直立歩行への移行によって、骨盤には内臓を支えるという、それまでになかった機能が付与された。内臓を受け止めるため、人類の骨盤はお椀上に変化した。しかし、出産のためにはお椀には穴を開ける必要があった。狭い骨盤の隙間に産道を配置せざるを得なかったため、人間の産道はかなり狭いものになった。
  4. そこで、狭い産道を通れるように、子供が極端に未熟児の状態で生まれてくるようになり、子供は、母親の高度の保護を必要とした。 だから、子供をちゃんと育てるためには、食料供給と保護の面で恒常的な支援者が女性には必要だった。そのため、母親は子供の父親と同盟を組んだ。これが婚姻性の起源だろう。
  5. ところで、(家族でない)群れで暮らす動物のオスとメスの利害は通常一致しない。なぜなら、生殖の観点からは、メスは、現在の子供を育てることが重要だが、オスは新たな交尾機会の獲得が重要だからだ。
  6. 人間の先祖も、おそらく乱交性の霊長類だっただろう。乱交性のサルだった人間が、どうして婚姻制を発達させることができたのか。それには女性側のいくつかの戦略が重要だった。
  7. まずは、発情のサインを消し去るという戦略だ。つまり、セックスに適当な時期をわからなくすることにより、男からの継続的な保護を引き出したのだ。
  8. 次に、資源(食料や保護、優しさや世話など)を確約しない男とはセックスしないという戦略だ。このため、男は乱交的になるわけにはいかず、少数のパートナーと継続的にセックスすることが合理的となった。
  9. しかし、「資源の確約」は、よくても口約束に過ぎないため、嘘をつかれてしまう可能性も高い。このため、女は、男の様々な嘘を暴くための心理観察メカニズムを発達させた。また、女は男に資源の先行投資を求めることとなった。セックスの敷居を高くすることで、信頼できる男としかセックスしないようにしたのだ。
  10. さらに、男女が互いの約束を否応なく守りたくなる心理的システムとして、「愛」が生まれた。仮に合理的には裏切ることが利益になる状況が生じても、愛する男女は互いを裏切らない。 「愛」は、合理的な損得勘定を越えた心理状態なのだ。
  11. また、男が女に対して資源の提供を確約するためには、その女が貞節であることを確信する必要があった。男としても、自分を愛してくれる女性は信頼できるため、そういう女性は男性をつなぎ止めることができたはずだ。
  12. つまり、男女が、共通の心理的束縛に囚われていることを互いに確信することが、「愛」という非合理的な感情だったと思われるのだ。
  13. 人類の祖先が「愛」を生み出したことは、そうでない場合に比べて、男女双方にとって、約束を信頼するためのコストを低減させ、互いの資源を確かなものとし、結果として群れの構造を安定的に保ち、適応度(子孫の数)を高めたと考えられる。
  14. 我々ヒトは、愛しているというだけで一切の合理的計算を廃し、男女が互いに尽くすことができる、いわばクレイジーな生物である。
  15. なお、女が発情のサインを消し去ったことで生じた、強烈な副産物として「強姦」や「童女趣味」がある。人間の男は発情のサインを示さない相手に対して興奮してセックスするという心理を発達させる必要があったが、このため強姦や童女趣味が生じたのである。「愛」を生むことになった「発情のサインを消し去る」という女の戦略が、強姦や童女趣味もまた生み出してしまうというのは皮肉である。

数回に亘って、「群れ」の論理を簡単に眺めてみた。そして、前回は「男の序列」と「女の序列」について議論したが、これが次の話題の入り口になる。すなわち、家族、男、女である

男 と女、それだけでいくつもの文学が書かれたし、いくつもの歌が出来た。男と女、そして家族は、人間の生きる喜びの大きな源泉であるけれど、同時に、これほ ど多くの苦悩を提供するテーマもない。人はしばしば、愛のために死ぬ。嫉妬のために恋人を殺す。一方で、気持ちのすれ違いに苦しむ夫婦もいる。浮気をする 男や女もいる。もはや、愛情を感じることが出来なくなり、離婚する夫婦もいる。人は、思うままにならない感情に苦しみ、胸をかきむしる。

「なぜ、我々は、愛に振り回されるんだろう」-それが、これから議論するテーマだ。

さて、愛とは何だろうか。まず、議論の出発点をこの疑問に設定したい。この疑問に対する答えに辿り着くには、本当は性の誕生から生物の進化を辿っていく必要があるかもしれない。すなわち、有性生殖というものを進化させたバクテリアの世界まで遡る必要があるのだ。しかし、そこから語るのはあまりに迂遠と言わざるを得ない。そこで、今回は人類が直立歩行し始めた段階から話を始めたい

人類の祖先は、現代のアフリカ大陸の大型霊長類(チンパンジーやゴリラ)のように、密林に棲息する四つ足のサル(ape)だった。それがある時、理由は定かでないけれど、直立歩行のサルに変化していった。

直立歩行は、人類史を語る上で最初のターニングポイントだ。直立歩行は、サバンナに適した移動戦略の一つだったと考えられるが、そのために、人類の祖先がそれまで持っていなかった様々な性質が付与された。大きくは、次の3つ。
  • 自由になった前足=手の誕生
  • 大脳の巨大化
  • 骨盤の変化
本筋からは逸れる部分もあるが、これらについてこの機会に少し語っておきたい。

さて、「手の誕生」なんて、今更強調する必要もないだろうが、手が使えるようになったことで、人間のライフスタイルが劇的に変わった。まずは、食料採集(food-gather)から狩猟採集(hunter-gather)への生活の変化だ。自由に掴める手で、殺傷能力が高い道具を扱えるようになり、大型霊長類の中では例外的に、我々は「狩りをするサル」になったのだ

密 林に棲んでいた人類の祖先は、チンパンジーやゴリラと同じような食料採集の生活をしていたはずだ。つまり、周りにある食料を食べ続ける生活だ。野生のチン パンジーを見ているとわかるが、かなり多くの時間を「食事」に費やしている。これは、果実が豊富な時は別として、植物の茎や葉は栄養豊富とは言い難いの で、大量に食べる必要があるし、手近な所に食料に適した植物ばかりが生えているわけでもないから、自然と食料採集に時間がかかるからだ(なお、チンパン ジーは雑食性なので、時には肉も食べる)。

ちなみに、人類は、未だにこういう「食べ続け」の生活から抜け出していない。日本人は、一日3食摂って、さらに間食もするのが普通だが、こういう「食べ続け」は食料採集のライフスタイルを持つ生物ならではだ。ライオンやチーターといった狩猟をする生物は、高カロリーの肉を一度に大量に食うので、「規則正しい食事」とは正反対の食生活を送る。 つまり、彼らにとっては、たまに獲物が仕留められればよく、食事は「ときどきドカ食い」することで成り立っている。食事を味わう必要もなく、とにかく一度 に大量に、よく噛みもせずに飲み込むのが彼らの食生活だ。そんな彼らが感じる空腹や満腹感は、人類とはかなり違ったものであるに違いない。一方で、「食べ 続け」の大型霊長類は、いつも何かを口に入れていないと落ち着かない。あっちでむしゃむしゃ、こっちでむしゃむしゃしている。食事は、時折りこなすべき義務ではなくて、毎日の楽しみである。彼らの食事は、それ自体で快楽を感じるように出来ているのだ。そうでなければ、毎日多くの手間と時間を掛ける食事はストレスになってしまうだろう(食事を煩わしく思う人間は時々いるが)。そんなわけで、人類の祖先は大型霊長類に特徴的な「食べ続け」のライフスタイルと食事自体を快楽に感じる性質を持っていた

しかし、狩猟採集生活に変わった時、このライフスタイルは捨て去るべきだったのだ。つまり、狩猟採集型の食事スタイルである、「食事は義務的に、時々ドカ食 い」のスタイルになるべきだった。なぜなら、彼らが食するものは、もはや果実や茎や葉だけではなく、高カロリーな動物性タンパク質だったからだ。とはい え、人類が狩猟採集生活に移行した時は、肉をそんなに多く食べることができたわけではない。現代の狩猟採集民族の調査でも、食料の6-7割は女性による採 集活動から賄われており、狩猟による肉の摂取はカロリーの3-4割を補っているに過ぎないことがわかっている。しかし、現代においてはどうだろうか。現代 の先進国に生きる人間は、そう望めば、殆ど完全な肉食生活すら可能だ。原始社会における基準からは、現代は相当な高カロリーの食材に溢れている。 さらに、糖分、塩分、脂質、タンパク質は原始社会においては稀少な栄養素だったから、我々の舌はこれらを非常に美味しく感じるように出来ている。この嗜好 は、原始社会では入手が困難なこれらの栄養素を苦労をいとわず手に入れる行動を催したと考えられるから、その時は合理的なものであった。しかし、この進化的適応は、先ほど掲げた要素と相俟って、現代においては肥満をもたらした

すなわち、(1)頻繁に食事を摂る「食べ続け」の食事スタイルと、(2)糖分、塩分、脂質、タンパク質等を好む嗜好、そして(3)食事自体に快楽を感じる霊長類的感覚は、現代人が四六時中高カロリーのものを食べ続ける要因になったのだ。つまり、肥満が生じる原因は、我々が未だに食料採集するサルであったころの嗜好を捨てきれないことにある。これは「愛」とは関係のない話であるが、狩猟採集時代には合理的だった性質を、現代社会において捨てられないために生じている問題の一例として挙げておいた。

「手の誕生」がもたらしたもう一つの悩みは、こちらも「愛」とは関係ないが、「肩こり」だ。人間の腕のように、宙づりになった器官は動物の世界では珍しい。すぐに思いつくものとしては、像の鼻くらいだ。宙づりになっていることで、肩には常にかなりの負担がかかることになった。動物の世界には基本的に肩こりは生じ得ないが、人間は直立歩行を始めた時から、おそらく肩こりに悩まされる運命にあったのだろう(ち なみに、よく欧米の言葉では「肩こり」を表す言葉がないというが、「肩こり」をしないわけではなくて、日本人と同じように凝っているらしい)。なお、想像 を逞しくすれば、人間が肩こりすることを援用すると、像には「鼻こり」があるのかもしれない。あんなに重いものが頭にぶら下がっているのだから、額や後頭 部などはかなり凝りそうである。

さて、話が逸れたけれど、本筋から重要なのは、「手の誕生」によって、ものを運ぶ能力が格段に進歩したということである。もちろん、道具を使うということも重要だが、ここではそれよりも「運搬能力」が重要だ。だが、何がどう重要なのかという点については、後述する。

次に、「大脳の巨大化」であるが、人間の「悩み」というテーマに関連して言えば、本当はこれが一番重要な変化なのかもしれないが、当たり前すぎる話であると同時に、かなり複雑で哲学的な話になってしまうおそれがあるので、ここでは敢えて深く触れないことにしよう。
むしろ、あまり指摘されないこととして、狩猟採集生活になることで、高カロリーな食料を得ることができ、かなり大きなエネルギーを必要とする器官である大脳の巨大化に(少し)役立った、ということを指摘しておこう。

この点は、これこそが人類を狩猟を始めた原因ではないかと考えている人もいる。すなわち、巨大化する脳を栄養面で支えるには、従来の食料採集生活では十分な 食料が得られなくなったため、人間は狩猟を初め、肉を欲したというのだ。脳は、体重の2%しかないにもかかわらず、摂取カロリーの20%も消費するという かなり”燃費”の悪い器官だ。だから、そういうこともあるのかもしれない。(人間が、なぜ狩猟生活を始めたのかは十分に解明されていない課題だ。)

さて、最後の「骨盤の変化」については、他の二つに比べれば地味な変化のようだけど、これこそが婚姻制の誕生と関係がある重要事項だ。

骨盤は、四足歩行の生物にとっては、基本的に後ろ足を支える機能を主としている。しかし、人類が直立歩行に移行した際、骨盤には内臓を支えるという、全く別種の機能が付与された。 もう少し詳しく説明すると、四足歩行の生物の内臓は、背骨にぶら下がるような形で胴体に収まっている。ところが、直立すると背骨は地面と垂直になってしま うので、内臓は背骨にぶら下がるだけでは十分に支えられない。内臓が基本位置に十分に支えられていないために引き起こされたのが、例えば胃下垂だ。胃下垂 は人間特有の病気で、胃が背骨にぶら下がっている四足歩行の生物では起こらない病気である。

背骨だけで支えられなくなった内臓を受け止めるため、人類の骨盤はお椀状に変化することになった。骨盤は、仙骨、恥骨、腸骨という3組の骨が組み合わさって出来たものであり、このような骨盤を持った生物は人間の他にはない。この骨盤のおかげで、人間は常に直立していることができるようになったのだ。

しかし、ここに落とし穴があった。骨盤は内臓を支えるためにはできるだけ完全なお椀状になる必要があったが、一方で出産のためにはお椀には大きな穴を開ける必要があったのだ。しかし、お産は時々のことであり、直立歩行は日常的なことである。よって、どうしても骨盤に大きな穴を開けるわけにはいかなかった。そこで、人間の産道は他の動物に比べてかなり狭いものになってしまった。だから、人間のお産は動物に比べて極度に難産なのだ

難産なだけではない。狭い産道を通れるように、子供が極端に未熟児の状態で生まれてくるようになってしまったの だ。これが婚姻制に繋がる重要な変化だった。極端に未熟児の状態で生まれた子供は、母親の高度の保護を必要とした。育児の期間中、母親は殆ど赤ちゃんにか かりっきりになってしまう。その間、食料採集活動をすることはできないし、例えば猛獣や乱暴な男から自分の身を守ることすらままならなくなってしまった。 だから、子供をちゃんと育てるためには、食料供給と保護の面で恒常的な支援者が必要だったのだ。そのため、子供の父親と同盟を組んだこれが婚姻制の起源だろう。

婚姻制、そして家父長制は、男性による女性の所有(女性の奴隷化)が起源だとか、封建時代の遺産であるとか言われることもあるが、婚姻制は上述のように適応的な意味を持っており、断じて男性による女性支配とか封建制とは関係がない。むしろ、婚姻制をそのように捕らえることは、人類史的な大発明である「愛」の価値を軽んじ、男と女のつながりという神秘から目を背けることとなるだろう。婚姻制の誕生については次回述べるが、今回は婚姻制の基礎としての男女の「愛」について述べる。

さて、なぜヒトの母親は子供の父親と同盟を組むことができたのだろうか。理由は、煎じ詰めれば子供の父親と自分の利害を合致させることができたからだが、これは、簡単なようでいて実は難し い。子供の父親と自分の利害はいつでも一致するわけではないからだ。利害の不一致は、男と女の様々なドラマを生む原因となった。さて、女性はどのように男性と利害を一致させたのか

通常、(家族でない)群れで暮らす動物のオスは子供に対して無関心だ。時には、敵対的な場合さえある。なぜな ら、その子供が本当に自分の子供だという確証はどこにもないからだ。自分の子供だと思って手塩にかけて育てた子供が、実は他人の子供だったという場合は、 コストは二重の意味で無駄になる。つまり、本来自分のために使えたコストを無駄にしてしまうということと、無関係な他のオスの遺伝子を広めることになっ た、という2点で無駄なのだ。だから、オスとしては、メスが生む子供には無関心を決め込むのがよく、むしろ新しいメスの獲得に頑張った方が有益だ。

だから、(家族でない)群れで暮らす動物のオスとメスの利害は通常一致しない。生殖の観点、つまり遺伝子を次世代に残していくという観点からは、メスは、現在の子供を育てることが重要だが、オスは新たな交尾機会の獲得が重要だ。 この環境では、婚姻性は生まれない。むしろ乱交性が発達するだろうと思われる。なぜなら、この環境だと特定のパートナーとの交尾を行い続ける理由がオスに もメスにもない。オスにとっては、できるだけ多くのメスと交尾することが合理的なのは言うまでもないが、実はメスにとっても多くのオスと交尾するのがよ い。なぜなら、交尾の相手を選ぶ基準は純粋にその個体が勝れているかどうかだけになり、その個体が持つ性格や資産や年齢は考慮する必要がない。よって、自 分が最も優れていると感じるオスと交尾すればよく、もっと人間風に言えば、「男をとっかえひっかえ」すればいいということだ。

人間の先祖も、おそらく乱交性の霊長類だったと 推測できるいくつかの理由がある。例えば一つの理由は、霊長類の中ではかなり大きな睾丸だ。睾丸の大きさと交尾パターンにはある程度の相関があり、大きい ほど乱交性が高いとされる。なぜなら、より多くの精子を膣内に残せる個体こそが、より自分の遺伝子を次世代に残すことが出来たからだ。

なお、「乱交」ではなくて、「雑婚」という言葉を使う人もいるけれど、その場その場で婚姻をしているわけではなく、むしろ婚姻は存在しない社会であるという意味で、ここでは「乱交」の方を使いたい。

さて、乱交性のサルだった人間が、どうして婚姻制を発達させることができたのか。それには、女性のいくつかの戦略が大きな役割を果たした。まずは発情のサインを消し去る戦略だ。 よく、「人間は四六時中発情している動物だ」というような言い方がされるが、これは間違いで、むしろ「いつ発情しているのかわからない動物だ」と言うべき であろう。発情というのは、動物学的には妊娠可能な状態であることを指す言葉で、排卵の期間と結びついている。一方で、人間の女性は、いつ妊娠可能なのか (排卵日なのか)、本人すらわからない。例えば、チンパンジーは発情期になると膣が大きくピンク色に腫れ上がり、一目で「今交尾すれば妊娠させられる」と いうのがオス側からわかる。大抵の動物は発情期はそれとわかるサインを出すようになっており、オスはその発情のサインがなければ性的に興奮することが出来ず、交尾することはできない

発情のサインを明瞭にすることは、いろいろな利点がある。 まずは、無用な交尾をすることが避けられるという点だ。交尾をすることには体力も使うし、捕食動物に狙われるリスクもある。そしてなにより、一年に何度も ない排卵日がわからなければ、妊娠可能性は大きく下がってしまう。だから、妊娠可能性を高めることができるということが一番大きな利点だ。

ところが、人間の女性には明確な発情のサインはない。 妊娠可能性のある成熟した女になったということについては、大きくふくらんだ胸、ふくよかな体、ピンク色の唇などの穏健なサインが準備されているが、「現 在排卵期にあります」というような直接的なサインはない。発情のサインを持っていないことは、他の動物を基準に考えるとかなり不経済なのだが、これこそが 人間の子育てには役に立つ。

いつ排卵日かわからないということは、男性側からすれば、いつがセックスに適当な時期かわからないということだ。子孫を残す観点からは、排卵日にセックスして、あとは女性を放っておくことだって生物学上からは有益だ。だが、排卵日がいつなのかわからないため、男は自分の遺伝子を残すためには、継続的にセックスする必要がある。そして、自分以外の男がその女とセックスしないよう、継続的に見張っておく必要がある

排卵日が明確な生物では、その期間だけずっとオスがメスにくっついているような生物もある。また、精子が卵子に到達するまで、ずっと交尾を続けっぱなしにしているような生物もある。これらは、排卵日が明確であるために、ある期間だけ重点的にメスを独り占めする戦略である。しかし、人間の場合は、その期間がいつなのかわからないため、「排卵日だけ独り占めする」というような戦略はとりようがない。むしろ、「ずっと独り占め」にしなくてはいけない

男 性の側から女性を「ずっと独り占め」にする、などと書くと、女性をあたかももののように扱っている、と世のフェミニストから批判を受けそうだが、もちろん そんな意図はなく、むしろこれは女性側が発情のサインをわかりにくくしたことの目的であると考えるべきだ。つまり、発情のサインをわかりにくくすることに より、女性は発情期(=排卵日)でない時も男性からの関心を獲得することに成功したのだ。この変化によって、男性は、常に女性(=セックス)のことが頭から離れなくなってしまったといえるだろう。繰り返すと、発情のサインを消し去ることは、排卵期に限らず、継続的に男性からの食料と保護を引き出すための女性の戦略であるというこだ

ただ、ここで次のような反論があるだろう。すなわち、「例え発情のサインが明らかでなくても、男性側は乱交的なのが合理的ではないか?」 という疑問だ。確かに、そうだ。例えば、ボノボのメスは人間とは逆に常に発情のサインを出しているのだが、ボノボは完全に乱交性である。もちろん、常に発情している(=妊娠可能)なわけではなくて、常に交尾可能である状態に偽装しているだけなのだが、これは、性をコミュニケーションの道具に使うことによっ て群れを平和的に保つための戦略なのだ。さて、常に発情中なのと、常に発情していないのでは、論理的にはこの二つの状態は(男性にとって)区別できない。だから、ボノボが乱交性である以上、やはり人間も(少なくとも男性は)乱交性ではないか? という疑問は合理的だろう。

しかし、ここで女性側の二つ目の戦略が効いてくる。その戦略とは、資源(食料や保護、優しさや世話など)を確約しない男とはセックスしないというものだ。そして、この戦略の実現のためには、二足歩行が生み出した「自由な手」というものが効いてくる。普通の動物は手のような運搬器官を持っていないため、狩った獲物はその場やごく近くで消費する。人類の場合は、手で運搬するということができるため、手に入れた資源を別の人間に持っていく、ということができる。これは、手の登場による革命の一つであり、これにより、商取引が成立するし、資源を求める女性の戦略が実現できるのである。

さて、男性が乱交的だと、男性側からすればいつかは誰かを妊娠させることができるので、特定のパートナーを持っている時と子孫を残せる可能性には大差ないように思える。しかし、乱交的で在ればどの子供が自分の子供かはわからないので、子供に対する保護は生じ得ない。これだと男性の資源を期待したい女 性側は困る。そこで、女性は、資源を確約しない男性を性の相手から排除するという戦略を生み出した。こうなると、男は乱交的になるわけにはいかない。女性がこのような戦略を取っている以上、男にとって合理的なのは、少数の女に資源を確約しておき、その少数のパートナーと継続的にセックスするということだろう。

しかし、「資源を確約する」とは、具体的には何を意味しているのだろうか? (まさか、「私はあなたに資源を提供します」という誓約書を書くことではあるまい。)また、資源を確約するフリをしながら、多くの女とセックスする戦略もあり得るのではないか? 

自然状態(法律のない状態)で、こういう「約束」をすることはかなり困難である。約束を破った時にそれを裁く機関もないし、こういう約束を した、という証明すらも文字がないのでできない。つまり、「資源を確約する」と言っても、(仮に言語がその時あればだが)いわゆる「口約束」以上のものに はならない(言語がなかったら、「口約束」にすらならない!)。

だから、女は男の「資源を確約する」という約束が真実であることを保証するため、いろいろな戦略を編み出した。例えば、女は、男の様々な嘘を暴くための心理観察メカニズムを発達させた。大言壮語するだけの男ではないか? 他に女がいるのではないか? 都合が悪くなったらどこかに行ってしまうような男ではないか? といったようなことを女は敏感に直観できる能力を備えたのである(完全ではないが)。


さらに重要な戦略として、女は男に資源の先行投資を求めた。つまり、セックスするためには贈り物(物だけではなくて、優しさや世話(毛づくろいとか)なども含む)が必要なのだ。女は、こんな素敵な贈り物をしてくれる男は、きっと継続的に資源を提供してくれるだろうと確信することができた。なぜなら、男が行きずりのセックスだけが目的だったとしたら、大きなコストを負担するわけがないと考えられるか らだ。また、男の側としても、どんな女とセックスするとしても、ある程度の先行投資というコストが必要だとしたら、多くの女と行きずりのセックスを繰り返 すことはコストが高すぎる(多くの女に、その都度”贈り物”をしなくてはいけない!)。ある女に一度先行投資をした場合、その女を「捨てて」しまうと、そ のコストが回収できなくなってしまうため、その女と継続的にセックスすることがコストの節約になる。(なお、経済学的に言えば、女にした贈り物=先行投資 は所謂サンクコストであって、いずれにせよ回収できないのだが、一度投資してしまうと、「ここまで投資したんだから」という理由で追加の投資を行ってしまうインセンティブが”心理的に”働く。)

「男の様々な嘘を暴くための心理観察メカニズム」と「男に資源の先行投資を求めること」、これが「資源を確約する」という約束を男に守らせるために女が取った戦略だった。この2つがあることで、男は約束を破りにくくなったと考えられる。しかし、これですら十分ではない。なぜなら、女が嘘つきを見破るメカニズムを発達させたとしたら、男はより巧妙な嘘つきの手法を進化させたかもしれないからだ。先行投資の方は、なかなか嘘の投資をすることは困難だが、妊娠・出産・育児に必要なコストに比べたら小さいものであり、その場しのぎの贈り物で女を騙すことは十分可能であったのではないか?

しかし、実際の進化の歴史は、男の騙しの能力が十分に発達しなかったことを示しているように思える。男は、普通女よりも嘘をつくのが下手で、セックスだけを目的として女に近づく男は、だいたい、女にその下心が見抜かれているようだ。男と女は、騙しあいを発達させる方向ではなくて、信頼を強化する方向に進化したと考えられるのだ。

つまり、男が女に対して行う「資源を確約する」という約束を、男自身が否応なく守りたくなるような心理メカニズムが発達したのである。この心理メカニズムを、私は「愛」と呼びたい。 もう少し具体的に言うと、女に対してセックスを求める男がいたとして、「私はあなたを大事にします(=資源を確約します)」というメッセージを発していた としよう。女としては、その男が本当にその約束を守るかどうか信頼できるまで、贈り物を求めたり、わざと冷たくあしらったりするかもしれない。しかし、それだけでは、本当にその男が自分を捨てないという保証はできない。自分より若く魅力的な女が現れた時、その男が引き続き自分の元に留まるかどうかという確 証は持てないのだ。しかし、男が女を「愛している」という特別な状態にあることがわかっていたらどうだろうか。男は、合理的に考えてその女より値打ちのある(繁殖能力等が高い)女がそばにいる場合でも、常に自分を選んでくれるという状態にある場合はどうだろうか。先ほどの定義から明らかなように、「愛」は、合理的な損得勘定を越えた心理状態である。約束を破る場合が(経済的に考えて)合理的な場合でも、男は、女との約束を否応なく守りたくなるのである。男がこういう状態にあることがわかったら、女としては、その男を十分に信頼することができる

こ の説明だと、「愛」は男性側にしか生まれないように誤解する人がいるかもしれないが、そうではない。「愛」の感情は、女の方にも生まれる理由があるのだ。 それは、女の発情のサインが消し去られていて、いつが排卵日なのかわからないということに起因する。先述したように、排卵日がわからないことで、男としては、排卵日だけ女を独り占めするという戦略を採ることができない。だから、さきほどは、「むしろ、ずっと「独り占め」しなくてはいけない」と書いた。しかし、これは現実的に不可能だ。 なぜなら、もはや人類は「狩りをするサル」なのだ。理由は定かでないが、狩りが男の役割として発達した以上、狩りの場に女を連れて行くわけにはいかず、四 六時中女と一緒にいることはできないからだ。現代風に言えば、夫は仕事のために家を離れなければならないので、ずっと妻を監視することは不可能なのだ。

だから、男が女に対して自分の資源の提供を確約するためには、本当にその女が自分以外の男とセックスしないのか、確信する必要があった。 女の場合と同様に、「いい男」が近くにいてもその男になびかないことを確信する必要があったのだ。そのために、先ほど説明した理由と同様に、女の側にも男 を愛するメカニズムが発達したと考えられる。 男としては、女が自分を「愛している」ということが確信できたなら、その女が排他的に自分だけにセックスを提供するであろうこと、そしてその女が生む子供が間違いなく自分の子供であろうことを信頼できたのである。

しかし、男の側は、先述したような、男の資源を確実にするために女が編み出したような戦略は生み出さなかった。 なぜなら、男が女を裏切った場合に女が負担するコストは大きく、逆に女が男を裏切った場合に男が負担するコストはたいしたことではないからだ。具体的に言えば、多情な男に騙されて妊娠させられた女は、一人で出産し、育児するという大きなコストを負担しなくてはいけない。だから、女の側からすれば、男からの資源を確かなものにしておくことは極めて重要である。一方で、浮気性の女に貢いでしまった男は、仮にその女が妊娠したとしても、お腹の子供は自分の子供とは限らないし、別の身持ちの堅 い女性を一から探すというコストだけで済む。

ただし、その女が浮気性だということがわかっていればその女を捨てればいいだけなのだが、もしそれに男が気づかなかった場合は、自分の子供でないかもしれない子供に対して継続的に投資させられることになる。先述の通りこれは男に取っては二重の無駄なので、是非避けなくては行けない。だか ら、男は女に貞節を求めた。自分がいないところでも、決して他の男とセックスしないよう、心理的束縛を必要としたのである。その心理的束縛こそ、女の男への「愛」であったろう。「束縛」という言葉は、あたかも男が女を監禁しているかのような印象を抱くかもしれないが、そうではない。男女が、共通の心理的束縛に囚われていることを互いに確信することが、「愛」という非合理的な感情だったと思われるのだ。

このように、愛を発達させた人類の祖先は、愛を知らない競争者よりも繁殖上で有利だっただ ろう。なぜなら、愛がなかった場合、女は男からの資源を確信するために、より多くの贈り物を男に要求しただろう。その結果、男は大きくなりすぎた贈り物の 値段を下げるために、嘘をつく技術を発達させるか、大きな贈り物を提供できる一部の男のみが女に求婚することが出来ただろう。あるいは、その両方が起こり えただろう。その結果、男と女は尽きることのない騙しあいを行った挙げ句、結局男は女に資源を提供しない場合が多くなっただろう(つまり、多くの女を騙し ておいて、女が妊娠したらその女への資源供給をストップするという戦略が発達するのではないだろうか)。一部の男だけが女に求婚できる世界になった場合 は、現在のチンパンジーがそうであるように、女の価値が高まりすぎ、女側に男性選択の自由がなくなり(女は男に翻弄されるだけの存在になる)、ボスが入れ替わった時に自分の子供でない子を殺す「子殺し」や下剋上の気風が発達し、安定的な群れの構造を保てなかった可能性が高いからだ。

もちろん、歴史にIFを語ることは差し控えるべきだけれども、我々人類の祖先が「愛」という非合理的な男女の結びつきを生み出したことは、そうでない場合に比べて、男女双方にとって、約束を信頼するためのコストを低減させ、互いの資源を確かなものとし、結果として群れの構造を安定的に保ち、適応度(子孫の数)を高めたと考えられる。なお、以前は、「愛」というのは近代ヨーロッパが生み出した幻想だ、というような説明をされる場合もあったが、これは間違いで、男女の愛は人類普遍の現象であるように思われる。未だ、男女が互いに愛するということをしない民族は発見されていない。

ここまでの説明で、「愛」というこの非合理的な感情の由来が少しわかったのではないだろうか。我々は、「愛」をどうしようもできない。一度生まれてしまった愛という感情は、消し去ろうと思っても消すことはできないし、一度醒めてしまった愛は、二度と取り戻すことはできない(ただし、また一から築くことはできるが)。この非合理な感情に、有史以前から人間は苦しめられてきたし、至高の喜びもまた味わってきた。愛が非合理なのは、進化的な歴史を踏まえれば当然なのだ。なぜなら、合理的な損得計算からは超越したところに男女の結びつきを確立しなければ、よりいい男、 よりいい女が現れた時に、従前の関係が崩壊しかねない我々ヒトは、愛しているというだけで一切の合理的計算を廃し、男女が互いに尽くすことができる、いわばクレイジーな生物なのだ。そのことこそが、人類が現代のような空前の繁栄を謳歌できた一因ではないかと私は思う。

そして、この「愛」を生んだ原因が、直立歩行によって産道が狭くなり、極端な未熟児を育てなくてはならなかったメスが、妊娠・出産・育児へのオスの資源の投資を確約するためであったということは、強調するに足ることであろう。つまり、「愛」は直立歩行から生まれたのである。また、これまで説明した「愛」が生まれた経緯を鑑みれば、その進化的主導権は常に女性側にあったということも重要である。従来の社会学では、婚姻制における女性の役割をややもすると受動的な存在に措定しがちであったけれども、進化学的にはオスの生殖ゲームの基本ルールを決めるのは、メス側がどんなオスを好むかということであって、それは人間の場合も当てはまる。進化的には女性が主導権を持っているといっても、現代社会(や古代社会)においても女性が意志決定の中心だということはもちろん意味しないのだが、生殖というゲームにおいては女性の戦略こそ注目すべきだということは、常に留意すべき点ではないかと思われる。

さて、ようやく「愛」の進化的意義が説明できたけれど、話はこれだけで終わらない。愛は万能ではなかった。愛は、それを補完するものとして「嫉妬」という感情も生んだし、婚姻制という制度を生み出した。また、 パートナーとの愛が確かな場合であってすら、人間は浮気をすることもある。愛にまつわる感情は大変に複雑であり、これこそが人を人たらしめているとも言えるだろう。

さて、最後に、女が発情のサインを消し去ったことで生じた、強烈な副産物を紹介して本稿を終わりたい。それは、「強姦」や「童女趣味」である。先述の通り、人間の女性は発情のサインを殆ど示さないのであるが、これを男の側から考えると、人間の男は発情のサインを示さない相手に対して興奮してセックスするという心理を発達させる必要があった、 ということだ。普通、動物の世界では強姦や童女趣味はありえない。なぜなら、メスが発情中でないとオスも発情しない(交尾できない)ように出来ているし、 発情中も、無理矢理交尾するというのは互いにとって危険なので、基本的に交尾には同意を必要とする(ただし、例外的に無理矢理交尾する生物もある。ある種の昆虫とか)。その意味で、強姦とか幼い少女に対する性的暴行を「野獣のような所業」などというけど、あれは全くの間違いで、「極めて人間的な所業」というべきである。賢明な読者はすぐに予想できるとおり、強姦や童女趣味は「発情のサインを示さない相手に対して興奮してセックスするという心理」が生んだ副産物である。たとえ相手がいやがっていようが、初潮を迎えていない幼い個体で あろが、人間の男はお構いなしに発情することができるのだ。もちろん、このようなセックスをする個体は限定されていて、通常の方法でセックスパートーナー を獲得することができない劣位の個体が行うものである。とはいえ、「愛」を生むことになった「発情のサインを消し去る」という女の戦略が、強姦や童女趣味もまた生み出してしまうというのは、なんという皮肉であろうか

【参考文献】
ヒトの性を考える上で、ボノボの性は非常に参考になる。ヒトの性についての直接研究ではない部分も多いが、深い示唆を与えてくる本として、「性の進化、ヒトの進化」(古市剛史著)はお勧めである。また、ヒトの性戦略の基礎をわかりやすく説いてくれる本として、「女と男のだましあい-ヒトの性行動の進化」(デヴィッド・バス著、狩野秀之訳)は気軽に読めてよい。