2010年9月1日水曜日

農耕という不幸(4)都市という牢獄が世界宗教を生んだ

【要約】
  1. 農耕社会は、都市を生み出した。都市は、人間本性にとって居心地が悪い牢獄のような場所なのに、なぜ繁栄したのか。 
  2. 都市が誕生した理由は、寒冷化による農業生産の不安定化だという説がある。生産性を高めるため、大規模化と分業化による労働集約的な都市ができたのだ。そのために、都市は中央集権的になった。 
  3. 都市の成立には、防衛の観点もある。異民族の侵入に備えるための城壁や要塞が必要であり、壁の内側に住民が住むことが都市を形作った。 
  4. 文字の発明も都市の成立にとって重要だ。中央集権的な行政を運営する上で、信頼関係のない不特定多数の人間を相手にする必要があると、文字がなくてはならないからだ。文字は支配装置の一つだった。 
  5. 貨幣の発明も都市の成立にとって重要だ。貨幣は分業化を可能にした。貨幣がなければ、財の交換に大きなコストがかかり、生産と消費を分離する都市は成立しなかっただろう。貨幣は、それまでは人間関係の中に存在していた財の価値を具体化するメディアだった。貨幣は、様々な関係性で結ばれていた人間関係を解体し、人間は貨幣によっ て関係付けられることになった。 
  6. 都市は様々な面で人間本性のあり方に反しているが、この矛盾を解消する必要があり、仏教やキリスト教のような最初期の世界宗教はこの課題に取り組んだ。 そして、これらの宗教は、 中央集権 制、防衛機構、文字、貨幣など都市化を成立させる要素を否定しているように見える。 
  7. 特に、貨幣は強力なメディアであるため、これに対するスタンスは重要だったに違いない。金に惑わされるなという教えは現代でも通用する。 
  8. 貨幣というメディアで囲まれ、 農村社会で存在していた親密な信頼関係が崩壊し、中央集権という巨大な装置の中に組み込まれ、人間らしいリアリティが失われた中でどうやって人間が生きるのかということが、最初期の世界宗教の課題だった。彼らの答えは、人は究極的には独りであり、人間は個人で生きるしかないというものだ。 
  9. その思想は、社会性の動物として進化してきた人間本性に反したものである。しかし、人間本性に反した存在である都市が繁栄してしまったからこそ、世界宗教の思想は栄えたのであろう。 
  10. 都市は人間本性に反しているにも関わらず、成功しすぎた。そして、多くの人間が個人として生きざるをえなくなった。ヒトは社会を離れた社会性動物という奇形的存在になったのだ。

農耕社会は、狩猟採集社会に比べ大規模になった、ということは既に述べた。今回は、農耕社会は単に大規模になっただけでなく、都市を生み出したということについて述べたい。

私は、本稿の最初の方で、人間は「文明/都市」という檻に入れられた動物だとする見方を提示した。都市は、人類が本来適応していた環境とは大きく異なる。都市には心地良い自然がないし、窮屈だし、労働は辛く退屈、周りは知らない人だらけで、人が生きる上での基本的な人間の信頼関係すら不安定な要素を抱えている。このような環境は、人間本性が快適と感じられるものではない。都市は、人間の精神をすり減らす牢獄なのだ。

しかし、ではなぜ、都市が生まれ、そしてそれが繁栄したのだろうか。都市がそんなにも人間を抑圧したのなら、都市は村落社会との競争に負け、消失してしまったのではないだろうか。そうでなかったとしても、人間が都市の中でそんなにも苦しむのなら、人間は都市を捨てればよかったのではないだろうか。今回はこれについて考えたい。

まず、なぜ都市などというものができたのだろうか。簡単そうに見えて、意外と難しい問いである。仮説の一つは、農耕の開始と同じく、寒冷化によってもたらされたというものだ。紀元前3000年から4000年くらいは、「ヒプシサーマル期後の寒冷期」と呼ばれており、世界的に寒冷化した時代である。この寒冷期において、農業生産は不安定化したに違いない。そこで、牧歌的な農耕社会は存続できなくなり、中央集権的な集約農業の必要性が増したであろう。それが、都市の成立の理由なのかもしれない(なお、農耕の開始をもたらした寒冷期は別の寒冷期であるが、世界同時的に農耕が開始されたわけではないので、細かい点は今は触れない)。

都市の誕生が、本当に寒冷化に対応するためだったのかは不明だが、ここで重要な点は、都市は生産性を向上するために生み出されたという考え方である。古代都市というと、大勢の神官たちがいたり、インフラが整っていなかったりというイメージがあり、決して生産性が高いように思えないが、 実際は、都市以前と比べると生産性は確実に向上していただろう。

その理由は、大規模化と分業化である。大規模化については、農耕は費用低減的であるということから既に述べた。分業化については、人間の得意不得意にはばらつきがあるということから、比較優位のある作業に特化すると、全員が同じように作業するよりも全体の利得が増大するということで説明がつく。もちろん、古代における分業は得意不得意というよりは、職能集団に基づいて分業がなされていたのだが、これでも結論は変わらない。分業することにより、より頑強で使いやすい農耕器具が生み出されたし、安定的な灌漑施設を構築できた。そして、より精度の高い暦を作ることができ、作付計画は厳密かつ効率的になっただろう

現代においても、特に発展途上国において、半ばスラム化したような大都会にどんどん田舎から若者が流れてくる現象が見られる。スラム化しているような都市に来て、どうするのだろうと思うが、実は、都会にいるほうが田舎にいるよりも、生涯賃金の向上が期待できると主張する人もいる。単に都会に夢を見ている素朴な人もいるだろうが、実際に都会にいることが得にならないことが分かれば、田舎から都会への人の流れは持続的なものにならないだろう。古代に都市が成立した際も、このような人口の流入があったのかもしれない。寒冷化など何らかの理由で農村社会の生産性が落ちたとき、高い生産性を保っていた誕生間もない都市に人口が流れていったと考えられないだろうか

都市が農村よりも生産性が高かった原因は、大規模化と分業化であると述べたけれど、ではそれを実現した仕組みは何かといえば、紛れもなく中央集権化であろう。中央集権、つまり少数の権力者が人間社会を運営することにより、効率的な生産を可能にしたのだ。具体的には、統制の取れた計画、安定した労働力を確保するための階級制や奴隷制、技術の維持のための職能制、そしてこれらのしくみを正当化するための思想の構築。これについては前々回に述べたので繰り返さないが、要は、都市というものは、必要に駆られて作った全体主義体制なのだ

さらに、最初期の都市が生まれた時期に当てはまるかどうかは不明だが、都市の成立には防衛の観点も深く関わっている。特に、世界が寒冷化すると、遊牧民が拠点地から離れて、農耕民の暮らす世界に流れこんでくる。そのため、農耕民の居住地には、高く頑丈な壁、城壁、要塞などが必要になる。そして、住民は城壁で区切られた内部に居住することになるため、都市が成立してくるのである。日本においては異民族の侵入という事態は元寇の例外を除けばなかったため、ついに大陸風の都市国家は成立しなかったが、基本的に都市は防衛の単位でもあった

そして、既に説明したように、戦争というような集団間暴力が生まれたのは、農耕によって富が集積するとともに、土地や設備を守らなくてはならなかったからなのだ。だから、遊牧民という脅威が都市を作ったのではなくて、やはり農耕という生産方式が都市化を指向する部分があると考えたい。つまり、人間は富を持ってしまたことで、外敵に対抗して強くなる必要があったのだ。それまでの人間の敵は肉食動物や毒を持つ小動物・昆虫だったのが、都市構築の基本コンセプトは、人間の敵は人間、ということなのだ

また、別の観点から都市の成立にとって重要な発明がある。それは、「文字」である。都市は多くの人口を擁する。そして、それは基本的には中央集権的なものなのであり、そこの構成員は信頼関係では結ばれていない。特に、租税の徴収や土地の所有権など、関係者の言い分を聞くことで解決できない問題も多い。そこで、文字が必要になる。現代文明に生きる我々は、文字は便利なものであり、一度発明されるとすぐに広がるような印象を持ってしまうがそれは違う。文字を持たない社会では、(他の文化の)文字を知っていてもそれを使おうとはしない。なぜなら、何かに書いたものが信頼できないからだ。紙に書くと、風で飛んでいってしまうかもしれない。木に書いても、燃えてしまうかもしれない。それに比べて、当事者同士が覚えているなら、一番確実だという。実際、無文字社会での人々の記憶力は驚異的なものがある。

しかし、都市という環境では、それは通用しなかっただろう。まず、記憶しなければならないものの量が圧倒的に多い。なぜなら、中央集権的なシステムを構築しているため、行政機構の人間は租税徴収などについて大量の記憶をしなくてはいけないからだ。さらに、不特定多数の人間を相手にしなくてはならないため、当事者同士、といったような信頼関係を前提とすることができない。だから、客観的な記録の手段が必要であり、それが文字の発明へのインセンティブだったろう。つまり文字は、不特定多数の人間を中央が支配するために生み出されたという側面があるのである。文字は支配装置の一つなのだ。

都市の成立を考える上でもう一つ重要な要素は、「貨幣」の発明である。先程述べたように、都市の本質の一つは分業化である。もっと言うと、生産と消費を分離したことである。農村社会においては生産と消費が一体不可分になっており、基本的に人は生産したものを消費し、それ以外の必要品については物々交換(等価交換)や互酬的な交換(その場で等価なものと交換するわけではないが、別の機会に逆向きの提供が行われるなど、長い目でみると損得ゼロになるような交換)に依っている。しかし、都市では、このような交換は全く不能になる。まず、人間関係が固定的ではないので、互酬的な交換は不可能である。そして、物々交換もかなり難しくなる。なぜなら、野菜を持っている人が農耕器具が欲しい場合、農耕器具が余っていて野菜が欲しい人をいちいち探さなくてはならないからだ。都市においてこのように特定のニーズを持った人を探し出すのは困難である。

そこで、貨幣が登場する。貨幣は、こういった物々交換を不要のものにした。貨幣は、支払いの手段、貯蔵の手段、価値の尺度などの様々な機能があり、このうち物々交換を不要にしたのは、もちろん支払いの手段としての機能である。貨幣が存在しなければ、財の交換に大きなコストがかかり、生産と消費を分離することはできなかったであろう。ここで生産と消費が分離したというのは、生産としての村落と、その統治や生産物の集積としての都市との対立が誕生したということでもある。このように書くと、都市が村落を搾取しているように感じられるかもしれないが、それは違う。都市が中央集権的、集約的な構造を作り、村落がその構造の中に位置づけられることによって、村落の生産性も上がったのではないかというが、私の意見である。

さて、貨幣は、これだけでも本が一冊書けそうな重いテーマである。しかし、ここでは先を急ぐので、簡単に次の事実を指摘するに留めたい。貨幣は、これまで人間関係の中に存在していた財の価値を外に取り出したのだ。つまり、貨幣は価値を具体化するメディアだった。貨幣の登場以前においては、ものの価値というものは、信頼、互酬性、相互監視、血縁、利害関係などで結ばれていた人間同士が、互いの関係において決めていた。「決めていた」というよりは、自ずから決まっていたのだ。それが、貨幣が登場したことにより、そういった人間関係は、全く価値に関係ないものではないにせよ、中心ではなくなったのだ。そして、貨幣は、様々な関係性で結ばれていた人間関係を解体し、人間は貨幣によって関係付けられることになったのだ。貨幣は、人間を関係付けるメディアにもなったということだ。もちろん、最古代の都市成立時においては、これは言い過ぎかもしれない。当然ながら、都市においても血縁関係は重要だったし、ご近所づきあいのようなものはあっただろうし、交易という面から見ても、経済的な相互依存関係はあったはずだ。ただ、一度貨幣というメディアを通して世の中を見るということが定着してしまうと、そういうリアルな関係よりも、貨幣というメディアを通した関係の方が見えやすくなってしまったと思われる。

さて、これまで述べたように、都市は、様々な面で人間本性のあり方に反している。だから、都市が抱える矛盾を解消する必要があったと思われる。そして、それに応えたのが、仏教やキリスト教のような最初期の世界宗教である。 このことは、既に本稿の初めの方に述べておいたことであるが、今回はより詳しくこれについて考察したい。

最初期の世界宗教が成立した時、都市も現在の形のように発達していたと考えられる。具体的には、上に掲げたようなしくみ、すなわち中央集権制、防衛機構、文字、貨幣のようなものを備えた都市であっただろう。そして、最初期の世界宗教は、このようなものを基本的に否定することによって成立したものであるように思われる

例えば、中央集権制。ブッダは王子だったとされているが、王城での暮らしを捨てて修行生活に入った。ナザレのイエスはローマに反抗して処刑されている。防衛機構という観点では、そもそも中央集権を否定しているので明確には論じられていないが、キリストも仏教の場合も、争いの否定ということは言われている。また、文字については、これはむしろ文字の成立が世界宗教の成立を促したという側面があるので、かならずしも宗教の始祖たちが反文字の立場に立っていたかどうかはわからない。しかし、ブッダ、ナザレのイエス、孔子、ソクラテスなど古代の思想家の多くが自らは文字を残さなかったということは示唆的に思える。要は、文字は信頼する相手とのコミュニケーションに使うものではないということではなかったのだろうか。そして最後に、貨幣であるが、これは私が最も気になる部分である。

先述のように、貨幣は強力なメディアであり、人間関係のあり方を変えてしまう程の破壊力を持っていた。これに対してどのようなスタンスを取るのかということが、最初期の世界宗教にとって重要だったに違いない。そして、私の見るところでは、貨幣を否定はしないにしろ、要は「金に目をくらまされるな」「金で表される価値に惑わされるな」ということを最初期の世界宗教は述べているように思われる。特に、ユダがイエスを銀貨30枚で売ったということは私に取って非常に象徴的に思える。貨幣経済登場以前においては、こういう事態は存在せず、裏切りの原因は怨恨とかいい女といったものではなかったろうか。貨幣という単なるメディアが宗教指導者を裏切る原因となるという筋書きは、十分に現代的であると思うがどうだろうか。

つまり、貨幣というメディアで囲まれ、農村社会で存在していた親密な信頼関係が崩壊し、中央集権という巨大な装置の中に組み込まれ、人間らしいリアリティが失われた中でどうやって人間が生きるのかということが、最初期の世界宗教の課題だったのだ。そして、彼らの答えは、信頼すべきリアリティある共同体がなくなってしまった中、人間は個人で生きるしかないということだったのではないだろうか。個人というと、近代に登場した概念であるとよく言われるが、中世から近代の封建制が共同体との濃密かつ安定的な関係を保っていたために個人の意識が発達しなかったのであって、封建制のような支配体制が成立する以前の古代社会においては、意外と「個人」という意識は明確だったのではないかと思われる。

その証拠に、原始仏教においては、「人間は独りである」ということが繰り返し述べられるし、キリスト教においても、神の前の独りの人間という概念は基本概念であると思われる。このような教えを表明した仏教やキリスト教も、封建社会の成立など、社会の変化とともに教義の内容が変化し、共同体よりに変わっていくけれども、最初期においては、かなりラディカルだったと思われるのだ。

しかし、人は究極的には独りであるという思想は、根本的に人間本性に反したものである。なぜなら、人間は社会=群れで進化してきた動物であるからだ。人間は、物事の価値を社会の中での相対的な位置づけによってしか測れないし、幸せや不幸、快楽や絶望といった根本的かつ強力な感情すら社会的文脈に依存して発動するものである。だから、人は究極的には独りであるという思想は、大多数の人間にとって簡単に受け入れられるものではない。しかし、最初期の世界宗教はかなり大きな改変を経ながらも、現代までなんとか生き延びてきた。本当にラディカルだった認識の方ではなく、単なる因習や迷信のような部分の方がより強く生き延びているように見えるのは皮肉だが、それでも現代まで残ってきたのは、やはり都市と人間本性の問題に絡んでいたからではないかと空想したくなる。都市が人間本性に反する存在だったからこそ、人間本性に反する思想が栄えたのである。

都市は、これまで述べたように、人間本性には反する部分があるが、中央集権による生産、防衛などの面で農村に比べ確実な優位性があり、歴史的には浮沈はあったものの、基本的には大きな成功を収めてきた。具体的には、より多くの人口を擁し、安定的な社会を構築してきた。もし、都市という仕組みがもう少し脆弱な構造を持っていれば、人間には、都市で暮らすのではなく、もっとのびのびと農村で暮らす選択肢も多分に残されていたのかもしれない。しかし、生産や防衛が重要になればなるほど都市の重要性は増し、今では、世界人口の大きな割合が都市に住んでいる。つまり、都市は人間本性に反しているにも関わらず、成功しすぎたのだ。だからこそ、人間の多くにとって、個人として生きる道しかなくなってしまったのだ。そう、人間の多くは、生まれながらにして都市という牢獄で生きるしかなくなったのだ。これは、生物としてのヒトには不幸な事態だったに違いない。つまり、ヒトは社会を離れた社会性動物という奇形的存在になってしまったのだ。ここに、人が苦しむ理由の多くが存在しているのではないかと私は思う。

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