2010年7月29日木曜日

「家族」の論理(4)社会維持装置としての婚姻制

【要約】
  1. 「婚姻制」は人類の基本構造に組み込まれているものではなく、文化的所産と考えられるが、なぜ世界中で普遍的に見られるのか。それは、婚姻制に適応的な利点があったからだろう。 
  2. 具体的には、婚姻制は、配偶関係の維持のコストを安くし、解消のコストを高めることにより、配偶関係を安定的に保つ仕組みとして有効だ。
  3. 男性としては、配偶関係の維持には、女性の横取りと浮気を防がなくてはいけない。そこで、パートナーを自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する戦略が有効だ。これをコミュニティ全体で実施すれば、既婚女性に手を出すことは誰にとっても大きなコストになるという状態を作り出すことができる。
  4. 女性としては、配偶関係の維持には、男性の浮気を防がなくてはいけない。そのため、浮気へのペナルティを厳しくすることも一案だが、浮気した男性との関係を解消することはむしろ自分にとって不利になる。だから、配偶関係の解消(=離婚)のコストを高める戦略が有効だ。
  5. このために、配偶関係の成立と解消に対して次のような制約が設けられている。①莫大なコストがかかる結婚式、②離婚のための複雑・困難な手続き、③離婚は能力の欠如の現れであるというコミュニティからの評価、などだ。
  6. なぜわざわざいろいろな文化的制約を設けて離婚のコストを高めているのかというと、男性の配偶者としての価値は歳を経るにつれ上昇する一方で、女性の価値は下がってしまうという構造的問題があるため、男性側の離婚インセンティブが存在しているためだ。
  7. 婚姻制は、個人のレベルで考えると一長一短あるが、世の中にはダメ男ばかりという状態でない限り、平均的に見れば婚姻制は配偶関係を安定的にすることに役立つ。
  8. さらに、婚姻制には社会のレベルでも大きな利点がある。婚姻制は男性側の競争を抑止することにより、群れ全体の協力レベルを引き上げるからだ。婚姻制には、社会=「群れ」的に考えると、「配偶者争奪競争をあるところで終わらせる」という価値がある。「これ以上序列を上げたとしても、もっといい女を娶れるわけではない」という、ある意味での諦めが、群れでの競争を緩和しているのは間違いない。
前々回、前回は「愛」と「嫉妬」の進化的な基盤を説明したが、今回は、そういった自然な感情と対置するところの「婚姻制」について述べたい。

さて、前々回、婚姻制の意味は「子育てのため、女性が男性と同盟を組んだ」ことにあるとし、この「同盟」の基礎として男女双方の「愛」の感情が重要だったと述べた。そして、前回は、それを補完するものとして「嫉妬」という感情が位置づけられることを述べた。では、「愛」や「嫉妬」はヒトが進化していく上で獲得した生来の感情であったとしても、「婚姻制」は人類の基本構造に組み込まれているものなのか、それとも文化的所産なのか

このあたりのことについて、最近の文化人類学ではどのように考えるのが普通なのか承知していないのだが、私は、「婚姻制」はあくまでも文化的所産であるという立場で論を進めたい。もちろん、婚姻制も「言語」のように、「制度の基本設計は人間生来の機構に組み込まれているが、基本構造の中で文化的差異がある」というようなものの一つである可能性はある。しかし、人類に普遍的に見られる現象全て――例えば宗教、火の使用、通過儀礼など――を安直に人間生来の(本能的な)行動であると結論づけるのは危険である。ある行動がひとたび本能的な、生得的な行動であるとされてしまうと、特定の文化的パターンを人類の「正しい在り方」であるとしてしまい、それ以外を「間違った文化」であるとしてしまう過ちをおかしてしまいがちだ。だから、かなりの蓋然性がない限り、そういった措定はすべきでないだろう。婚姻制自体は人類社会にあまねく見られる現象だけれども、人間は本能的に婚姻関係を維持しているようには思えない(離婚率は現代の狩猟採集社会においても高いし、結婚している男女でも、魅力的な異性がそばにいると心惹かれてしまうのは、婚姻制が本能的なものでないことを示唆している)。

なお、本稿においても、倫理、群れ内の序列化、繁殖戦略における男女の差異などを人類の基本構造に組み込まれた生得的なものとして説明したが、これらがまったく遺伝的な基盤を持たないという可能性もなくはないのである。しかし、現在の進化心理学の標準的な立場では、これらはほとんど生得的なものであるとされているので、本稿では生得的なものとして説明している。

さて、「婚姻制」は文化的所産であると私は考えるが、では、一夫一妻、一夫多妻、多夫一妻などいろいろなヴァリアントはあるが、なぜ婚姻制は世界中で普遍的に見られる現象なのだろうか

それは、単純に言って婚姻制に適応的な利点があったからであると考えられる。つまり、婚姻制を持つ文化は婚姻制を持たない文化より栄えたのだ。そして、婚姻制は遺伝子による行動ではない分(生得的な機構の制約を受けないので)、いっそう急速に初期人類社会に広まったと考えられる。 では、どのあたりが適応的なのか。

既に述べたように、人類の女性は極端に未熟児の状態で生まれてくる子供を育てるため、子育てへの男性からの協力(資源の提供)を必要とした。そして、男性はその子供が間違いなく自分の子供であると確信するため、その女性からの排他的なセックス権を求めた。この結びつきをより強固で安定的なものとするため、男女間には「愛」という非合理的感情が生じたとした。

そして、「愛」による関係をより強固なものとするため、人間は「嫉妬」という感情を進化させた(愛は非合理的な感情だが、嫉妬は合理的な反応であるという点は面白い)。しかし、「愛」や「嫉妬」は万能ではない。このように安定的関係=配偶関係を築いている場合でも、男性にも女性にも浮気をするインセンティブはある。そしてそれ以上に、常に配偶者横取りの危険性も存在する。つまり、夫の留守中に妻が誘惑またはレイプされる可能性があるのだ。

そこで、配偶関係を感情のような生得的機構にゆだねるだけでなく、「婚姻制」という制度でより強固にしておくことに意味がある。「婚姻制」を一言で言えば、「配偶関係の維持のコストを安くし、解消のコストを高めることにより、配偶関係を安定的に保つ仕組み」である。そこで、以下、「維持のコストを安くする」という視点と、「解消のコストを高くする」という視点から婚姻制が適応的な意味を持っていたことを示したい。

まずは、「配偶関係の維持のコストを安くする」という視点から男性と女性の側それぞれから説明する。男性としては、配偶関係を維持するためには、女性が横取りされることと、浮気されることを防がなくてはいけない。そのための方策の一つが「嫉妬」だが、嫉妬はあくまでパートナーへのペナルティであって、社会的な抑止力はない。そこで、男性はいくつかの方法を考え出した。例えば、①女性を群れから離して隠してしまう、②女性を自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する、というようなものだ。もちろんこれ以外にも方法はあるが、基本的な路線はこの二つだ。

①女性を群れから離して隠してしまう、の具体的な例としては、厳格なイスラム圏で見られるブルカの風習とか、日本語でも妻を「家内」や「奥様」と言ったり、女性が結婚することを「家に入る」と言ったりするように、物理的にどこか(服の中や家の中)に軟禁するやり方である。これは他の男性から女性を守るのには効率的だが、全体的な効率の低下は避けられない。なぜなら、物理的に妻を隔離してしまうと、妻の生産性が下がるのはしょうがないので、夫への経済的負担は増えることになる。夫に安定的で高い収入がある場合は、このような戦略が有効だが、人類の曙である狩猟採集の生活でこのような戦略を採れたのは極めて少数であろう。

②女性を自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する、の具体的な例としては、単純には、「この女は俺の女だ」と宣言することであり、これこそが婚姻制の萌芽である。もっと一般的かつ広義な例としては、公衆の面前で手を繋ぐ、腰に手を回す、キスをするといった行動も含まれる。

女性を自分のものだと宣言することは、仮に「手を出す」ことへの罰がなかったとしても、他の男からの横取りをある程度防ぐことができる。なぜなら、まず横取りすること自体が、誰とも関係を持っていない女性を誘惑するよりコスト高だ。前回述べたように女性はセックスの提供の前提として男性からの資源の確約と先行投資を求めるので、すでにある男性からの資源を確約している女性は、それ以上の資源を約束/先行投資しなければセックスに応じないだろう。つまり、交渉金額のベースが高くなっているため、女性が交渉において有利なのだ。また、その男が仮に首尾良くその女性を横取りできたとしても、女が生んだ子供が自分の子供である可能性は十分高くはないということもある。

とはいえ、ただ宣言するだけではそれは「制度」とは呼べない。「制度」とは、コミュニティの構成員が共通のフレームワークを共有することである。この場合は、「性的にアプローチすれば大きな罰を与える」という部分を共有化しているということだ。これにより、仕返しを怖れる必要がないような強い個体に多くの女性が寡占される可能性が低減される。つまり、特定の配偶者が決まっている女性に手を出した男性は罰されるべきという規範が共有されることで、もし既婚女性に手を出すことは誰にとっても大きなコストになるという状態を作り出すことができたのだ。

ただしここで一つ注意すべきことは、既婚女性に手をだした男への「罰」のコストは、必ずしも群れ(コミュニティ)の男性と女性が等しく負担するわけではないということだ。普通、浮気男に対する男性からの評価はそんなに低くならず、実際的には男性からの罰は(嫉妬に狂った寝取られ男本人からの復讐は別として)多くはない。むしろ、浮気男への罰のコストを負担するのは通常女性側である。女性は、その男に物理的な攻撃を加えるようなことはしないが、「評判を落とす」「相手にしない」といった戦略を採ることにより、その男の将来のセックス可能性を減じさせるのである。こういった戦略は、負担するコストが低い割に効果は大きいため、女性の方がこの場合の罰を「担当」していると考えられる。つまり、ドン・ファンは男性の中では英雄になるが、女性からは実際はつまはじきにされる可能性が高い。 (ただし、ドン・ファンが近くにいたら、男性も女性も迷惑だ。多情な女性は喜ぶかもしれないが。)

さて、「配偶関係の維持のコストを安くする」ことの女性側の視点だが、女性としては、配偶関係を維持するためには、男性が他の女に心移りしないで、継続的に自分(と子供)に資源を提供してくれることが重要だ。女性が男性をこういう状態にしておくすべはどのようなものがあるだろうか。ここで、男性側が使った「配偶者を群れから離して隠してしまう」という戦略は使えない。なぜなら、そもそも女性が男性に期待するものは資源の提供なのに、群れから夫を引き離してしまっては大きな資源提供が期待できないからだ。

では二番目の「男性を自分のものだと宣言し、その男性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する」という方法はどうだろうか。こちらは、ある程度効果はあるが、男性が宣言する場合ほど大きな効果は得られないだろう。なぜなら、多情な女が夫に近づいたとしても、十分に罰を与えることができないと予想されるからだ。先ほどと同様、群れのメンバーが結託してその女の評判を落とす、というような罰は出来るが、これは男性に対する場合ほど効果的ではない。なぜなら、その多情な女にとっては、群れの女性からランクづけられる序列は自身の適応度には直結せず、あくまでも男性側からの評判の方が重要だからだ。そして、男性側としては、多情な女はむしろ歓迎である。自身への排他的なセックスは期待できないけれども、ともかくセックスを提供してくれる女性は男性にとっては価値がある。だから、先ほどのケースでは婚姻制は多情な男を排除するメカニズムとして機能するけれど、多情な女を排除することは出来ない可能性がある

しかし、女性にとってこのことはあまり重要ではない。なぜなら、多情な女の割り込みは配偶関係の維持には脅威だが、実際には、自分の夫の方が他の女とセックスすること自体は大したコストではない。なぜなら、配偶関係が維持されるのであれば、夫からの資源提供は引き続き期待できるからだ。それよりも重要なのは、夫が本来妻に振り向けるべき資源を他の女に振り向けてしまうことだ。だから、優先順位としては、多情な女のアプローチを防ぐより夫の浮気を阻止することの方が大事だ。だから、配偶関係をより安定的に保つ戦略として有効なのは、浮気へのペナルティとしての「嫉妬」の能力を高めるということだろう。極端に言えば、一度でも浮気したら即配偶関係を解消する(=離婚する)というような戦略だ。そうすれば、男性は浮気が発覚することを怖れて(男性は、隠すのが下手だ)、浮気をしにくくなるに違いない。

しかし、実際の世界ではこのような戦略は徹底されていないようだ。実際には、一度婚姻関係が成立すると、男性側が多少浮気しても婚姻関係を解消しづらいような制約がある一方で、女性側が浮気した場合、問答無用で婚姻関係を解消できるような文化は多い。つまり、一般的に言って婚姻制は男性の浮気に対して甘い。これは女性には不平等じゃないか、そう思われる方が多いと思われるが、私には、だからこそ婚姻制の適応的意味があると思われる。

なぜなら、先述のように、男性の浮気を阻止する戦略として有効なのは、浮気へのペナルティを高めるということだが、この戦略を採っていると、男性が浮気するたびに配偶関係が解消され、安定的な関係を築くことができない。これは、女性がそのような戦略を採っていたとしても、男性には浮気をするインセンティブがあるためだ。例えば、そもそも男性側が配偶関係の解消を望んでいる場合は、浮気をすれば女性側から離婚してくれるわけだ。その結果、男性は浮気相手を新しい配偶者として新たな「家庭」を築けばよいだけだが、女性側は残された子供を女手一人で育てるという大きなコストを払わなくてはならない。そして、女性が「コブ付き」の場合は新しい夫を見つけるのも格段に困難になる。他人の子供を育てるのに喜んで資源を提供するような男はあまりいないからだ。

では、「男性側が配偶関係の解消を望む」場合がそんなに頻繁にあるのかと言う点だが、実はこれが頻繁に起こりうる。男性は歳を経るにつれて老獪になり、技術を習得するので、群れでの序列も高くなる傾向にある。そのため、男性側の性的な魅力が資源の提供能力にあるとしたら、群れでの序列の上昇とともに、これまでは手の届かなかった魅力的な女を手に入れる機会が増えることになる。とすると、現在の妻との関係を維持するより、手持ちの資源を有効に使って、より魅力的な女を獲得することが、男性にとって合理的だ。さらに、もう一つ重要な点は、女性の性的魅力は繁殖能力にあるため、歳を経るにつれて女性の配偶者としての価値は逓減していくというこだ。だから、男性の配偶者としての価値は歳を経るにつれ上昇する一方で、女性の価値は下がってしまう。この構造的問題があるために男性側の浮気は不可避的だ。しかし、先述したとおり、女性としては夫の浮気を許したくはないが、一度の浮気を許さずに配偶関係を解消すれば、損するのは自分の方である。ここに女性のジレンマがある

だから、配偶関係を安定的に保つためには、男性の浮気まである程度計算のうちに入れておかなければならない。すなわち、男性が(仮に浮気したとしても)軽々に配偶関係を解消できないようにしておかなくてはならない。これが、先ほど予告した「解消のコストを高くする」という視点での婚姻制の意味になる。

すなわち、婚姻制は、配偶関係を解消することへの文化的制約を設けることによって、解消のコストを格段に大きくすることができるのだ。つまり、仮に男性が女性との関係を解消したくなったとしても、そのコストが大きすぎ、新しい配偶者を獲得するより、今の配偶者との関係を続けた方が「お得」であるという状態を作っているのである。コストを大きくしている制約としては、例えば次のようなものだ。
  • 莫大なコスト(手続き、資源)がかかる結婚式(二度目の結婚式をためらう)
  • 離婚のための複雑・困難な手続き(結婚を家族間同盟とすることで、利害関係解消を困難にさせる)
  • 離婚は能力の欠如の現れであるというコミュニティからの評価(二度目の結婚がしにくくなる)
こういった制約を設けることにより、離婚は非常に高価な行為になっている。さて、ここで「離婚しづらい」ということが、男性と女性それぞれにどのような効果を及ぼすか考えてみたい。先述のとおり、男性側は一般的に言って歳を経ると婚姻関係解消のインセンティブが高まる場合が多い。つまり、男性側から離婚したいという要望が出る蓋然性が大きくなる。しかし、女性としては、そのような男性は是非とも自分の元につなぎ止めておきたい。なぜなら、その男は結婚当初より資源の獲得能力が向上しているからだ。こういうケースでは、婚姻制は女性にとって都合よく働く。逆に、男性にとっては都合が悪い。

では、女性側から離婚したい場合はどうだろうか。例えば、男性がダメ男だった場合とか、多情で浮気者の男だった場合などだ。多くの狩猟採集文化では(近代においても)、これらは離婚の理由として成立しづらいようである。とすると、女性としてはダメ男と一生を添い遂げなければならず、かなり適応上不利になる。この場合は婚姻制は女性にとって都合が悪く、男性にとって都合がよい。

また、男性の場合と同様に、現夫に不満はなくても、より素晴らしい夫候補が見つかったという女性にとっての婚姻制の損益も考慮すべきだが、こういうケースは構造的にはあまりない。なぜなら、先述のとおり女性の性的価値は年齢とともに落ちていくので、より素晴らしい男性が最初の結婚から数年経って現れる可能性は低いし、避妊が不完全だった時代は、配偶関係にある健康なカップルには普通子供が生まれるので、コブ付きの女性を受け入れてくれる男性は少ないからだ。だから、より素晴らしい夫候補を見つけた女性にとっては婚姻制は確かに不利になるけれど、実際にはそういう場合は少ないと思われる。

逆に、妻が不妊や浮気性の夫にとっては婚姻制はどう働くだろうか。実は、女の不妊や浮気は多くの文化で離婚の正当な理由として認められており、男性側にとって婚姻制が離婚に不利に働くことはあまりない。もちろん、妻に浮気をされるという、所謂「寝取られ男」として社会的評判は落ちるのだが、それは婚姻制があるためというよりは、単に他の男との競争に負けたという社会的不名誉のせいだ。


これまでの話をまとめると、次のようになる。
  • 「婚姻制」により配偶関係維持のコストを安くすることは、通常配偶関係維持のコストを払っているのは男性なので女性側にはあまり利点はない(リスクもない)が、男性側からすると現状の配偶関係を安上がりに維持できる点で利点がある。
  • 「婚姻制」により配偶関係解消のコストを高くすることは、女性側からすると資源獲得能力がある男をつなぎ止めておく利点があるが、逆にダメ男と離れられなくなるリスクがある。男性側からすると、多少の浮気や収入の低下というマイナス要素があっても女性を自分につなぎ留めておく利点があるが、よりいい女が現れた時に「乗り換える」ことができなくなるリスクがある。
 つまり、婚姻制は、個人のレベルで考えると一長一短あるが、世の中にはダメ男ばかりという状態でない限り、平均的に見れば婚姻制は配偶関係を安定的にすることに役立つ。しかし、話はこれだけではない。婚姻制を社会のレベルで考えるとどうか。

実は、社会=群れのレベルで考えた時、婚姻制のもたらす利益はとても大きいと思われる。なぜなら、婚姻制は男性側の競争を抑止することにより、群れ全体の協力レベルを引き上げるからだ。この重要な点について述べて本項を終わりたい。

婚姻制のない状態では、「愛」や「嫉妬」の感情が発達していても、十分に配偶関係を維持できないと思われる。なぜなら、いかに「愛」や「嫉妬」や女性が男性に資源を確約するという戦略があったとしても、配偶関係を成立させた条件が何十年も変わらないことはあり得ないからだ。そして、その条件が変化した時、魅力的な相手がそこにいないとは限らない。配偶関係が基本的にいつでもオープン(=解消可能)であれば、少しでもその前提条件が崩れた時に新しい配偶関係に乗り換えるインセンティブが男女双方にある。

例えば、チンパンジーの社会を見てみよう。もちろん、彼らには人間のレベルで言うところの「愛」とか「嫉妬」がないということもあるが、配偶関係が非常に安定していない。群れのボスがメスを総取りする形のため、ボスの交替によってパートナーが入れ替わっていく。こういう場合、オス全体の協力は発達しにくく、むしろ、ボスを出し抜くことが下位のオスの利益になり、集団的な統率は取りにくい。

一方、婚姻制を発達させた人間社会はどうだろうか。婚姻制は、社会=「群れ」的に考えると、「配偶者争奪競争をあるところで終わらせる」という価値がある。つまり、そういう制度がないと下剋上的にパートナーが入れ替わっていく可能性があるが、婚姻制によって誰が誰のパートナーになるかという配偶者獲得ゲームの結果をある時点で確定し、それ以降動かせなくすることで、それ以降に配偶者獲得競争が続くのを防止することができるのだ。

その結果、男性同士の協力が促進されることになる。例えば、危険な狩りを行う際、ボスの指示に従うことができるのは、ボスを出し抜いてもボスの女を娶ることはできないという理由がないわけではないだろう。また、安心して男同士で協力し狩りに出かけることができるのも、誰かに出し抜かれて妻を寝取られる可能性が少ないと確信できるからだ。そしてそれ以上に、「これ以上序列を上げたとしても、もっといい女を娶れるわけではない」という、ある意味での諦めが、群れでの競争を緩和しているのは間違いないだろう。

おそらく、これこそが婚姻制がある社会とない社会を比べた時に、婚姻制がある社会の適応度が高かった真の理由であるように私には感じられる。進化生物学的に人間の心理や社会制度を見た時、より安定的な群れ=社会の構造を実現する進化・発明の重要性は非常に高い。群れの中での競争を緩和し、現在の人間関係を是認し、群れの中での協力を促進するような変化は、群れを競争的・下剋上的にする変化よりも概して適応度が大きく、人間社会の発展に寄与したのだ。

つまり、婚姻制は、個人のレベルで適応的であることはもちろん、社会のレベルで考えた時、群れの競争を緩和し、関係を安定的に保つ上で非常に大きな利点があったと思われるのである。

2010年7月6日火曜日

「家族」の論理(3)嫉妬は得なのか

【要約】
  1. 愛は万能ではない。誰かを愛しているからといって、他の誰かとセックスすることのインセンティブがなくなるわけではない。むしろ、浮気をすることが合理的な場合では、愛に囚われず浮気することが適応的な時がある。
  2. しかし、 配偶関係にある男女双方にとって、相手の浮気は大きなコストである。 だから、「人間はパートナーの浮気を防ぐようにも進化」したはずである。具体的には、浮気へのペナルティを高めることで浮気を防止しており、これが「嫉妬」の一つの意味であると考えられる。
  3. 男性が浮気をするのは、より多くの子供を残すために多くの女性とセックスをすることが合理的だからで、男性は肉体的かつ一時的な浮気をしがちだ。そして、男性の浮気は、女性にとっては男性からの投資が減少する危険があるという意味で危険だ。
  4. 浮気に嫉妬する女性を相手にしている男性は、現状の相手との安定的なセックスを楽しむ方が、割安になる。つまり、女性の嫉妬は男性の浮気防止に役立つ。
  5. 女性が浮気をする目的は、一つは優秀な遺伝子の獲得で、もう一つはセックスによる資源の獲得、つまり広い意味での売春である。どちらにせよ、男性にとっては他人の子供に資源を投資させられるかもしれないので、パートナーの浮気は脅威である。
  6. 浮気に嫉妬する男性を相手にしている女性は、浮気のコストが非常に高いので、男性の嫉妬は女性の浮気防止に役立つだろう。ただし、資源の提供能力がない男は、嫉妬する意味があまりないので、女性の浮気にはあまり嫉妬しない可能性がある。
  7. つまり、嫉妬という感情は、パートナーの浮気をある程度防止することができ、配偶関係を安定させる効果がある。人間は嫉妬のせいで非合理的な行動を取ってしまうこともあり、それは、一見すると適応的でないようだが、進化的視点で見ればそれらの行動にも合理的基盤があるということだ。嫉妬という感情を獲得したことにより、人類は得をしている。
  8. しかし、嫉妬という感情が適応的であることと、嫉妬が引き起こす行動を正当化することとは何の関連もない、ということには留意する必要がある。
  9. なお、愛と嫉妬という車の両輪があっても、配偶関係は十分に安定的ではなかった。その証左に、それを補完し、配偶関係をさらに強化するものとして、人類は「婚姻制」という文化を生んだ。

嫉妬は、文学の一大テーマだ。嫉妬は、普段なら考えられない行動をする原因になり、時に愛する人を殺してしまうことすらある。我々は嫉妬に苦しみ、そして嫉妬に操られる。嫉妬は、文学には絶好の怪物である。

(なお、ここで言っている嫉妬とは、愛と対置されるところの感情であり、他人の所有物に対するねたみなどはとりあえず考えないこととする。)

では、嫉妬は適応的な意味があるものだろうか。つまり、嫉妬という感情を獲得したことにより、人類は得をしているのだろうか。まず結論を言ってしまうと、その疑問への答えは、yesである。嫉妬は、一見不合理だけれども、実は合理的な基盤の上に立っている。今回はそれを論じたい。

前々回、女性は子育てへの男性の援助(資源)を求め、男性と同盟を組んだ、そしてその同盟関係を低コストで安定的に保つ仕組みが「愛」だった、と述べた。と同時に、「愛は万能ではない」ということも予告しておいた。「愛は万能でない」などということは正常な大人であれば自明と思えるだろうが、ここで一応説明しておきたい。

様々な動物で、「つがい」という関係がどういったものかが調べられているが、一般的な原則として、ある程度継続的なつがいを作る動物においては、その関係はかなり安定だということが言える。つまり、一度つがいが成立すると、滅多なことではそのつがいは解消されない(子供が出来なかった場合を除く)。擬人化していえば、他の男女に目移りせず、つがいのパートナー同士が違いに「夢中」になると言うことだ。これは、おそらく、つがいの成立を一つのスイッチにして、パートナーを捜すという行動への制約がかかり、現状のパートナーとの子育てを効率的に進める生得的な仕組みがあると考えられる。ただし、全く浮気をしないかというとそうでもなく、種によるが、そのチャンスがあればつがい外交尾(EPC=Extra-Pair Copulation)をする動物は多い。

そういう視点で人間のつがい、つまり夫婦を見てみると、とても「つがい成立がスイッチとなって、パートナーを捜す行動への制約がかかる」ようには思えない。特に男性は生殖能力があるかぎり、新しいパートナーを潜在的に捜していると言われる。この心理的傾向は、つがいを安定的に保つ観点からは脅威で、男性は常に「目移り」する誘惑と戦わねばならないことになるし、女性は男性の浮気を防止しなくてはならない。もし「愛」という心理的システムが完全なものであれば、このようなことは起こらないだろう。

では、愛はなぜ完全ではないのか。かなり当たり前の部分もあるので簡単に述べるが、一度配偶関係が成立したとしても、解消したり浮気したりする利得が現実にある以上、盲目的に愛に従う個体よりも、愛する愛さないに関わらず得になる行為をする個体の方が適応度が大きかっただろう。これが「愛は万能ではない」という理由である。つまり、「愛」に囚われて現状のつがいに固執していると、本当に大きな利益を生む新しい関係を見逃してしまうというコスト(機会費用)を払わなくてはならないとうことだ。とすると、逆に言えば、俗な言い方だが、人間は浮気するように進化した、といえるわけだ。

しかし、配偶関係にある男女双方にとって、相手の浮気は大きなコストである。女性に浮気された男性は、誰か別の男の子供に資源を投資させられるという大きなコストを払う可能性があるし、男性に浮気された女性は、本来自分や子供に配分されるはずだった資源がどこかの女に横取りされるというコストを払わなくてはならない。だから、先ほど私は「人間は浮気するように進化した」と不用意に書いたけれど、パートナーが浮気することが大きなコストである以上、「人間はパートナーの浮気を防ぐようにも進化」したはずである

では、具体的にはどのような方法で人間はパートナーの浮気を防ぎ得るだろうか。この課題への解決の一つとして、浮気へのペナルティを高めるという方策があり、これが「嫉妬」の一つの意味であると考えられる。つまり、もし浮気をしたら大変なことになるぞ、というペナルティが「嫉妬」なのだ

もう少し正確にこの辺の事情を述べたい。これまで、簡単に「浮気」と書いてきたけれど、人間が浮気する時、一時の情事という意味での浮気もあれば、配偶者との愛は完全に醒めてしまった場合に、新たな配偶者を捜す意味での浮気もある。また、精神的な浮気もあれば、肉体的な浮気もある。これら全てを単に「浮気」と表現すると、ちょっとおおざっぱに考えすぎになるので、以下、男性の立場、女性の立場に立って、これらの「浮気」を防止または軽減する意味で「嫉妬」が機能するか見てみたい。

まず、男性の浮気からだが、男性の場合ほとんど常に新しいパートナーとのセックスを求めている。こう書くと身も蓋もないが、男性に取っての生殖戦略はたくさんの女性とセックスすることが第一なので、セックスの機会を逃さない個体はより多くの子孫を遺すことができた。だから、男性は基本的にセックスの機会さえあれば、新しいパートナーとセックスするだろう。つまり、男性は肉体的な意味での浮気をしがちである。

では、その浮気は一時的なものであるか、それとも配偶関係の解消に至るものになりがちなのかどうかというと、実は、男性の生殖戦略から予見されるのは、男性の浮気は、配偶関係の解消に至るものになりづらいと考えられる。なぜなら、配偶関係維持のために男性に求められるのは、ある程度の資源を継続的に女性(と子供)に提供し続けることである。これは、どの女性をパートナーにしても変わらない。つまり誰とくっついても資源の提供は必要になる。であれば、一度ある女性をパートナーにしているとすれば、資源提供を確約するための先行投資等が既になされているので、現状のパートナーを維持するほうが、新しいパートナーに再び投資するよりお得である。ただし、これは短期的な話で、長期的には現状の配偶関係を解消して若い妻を迎え入れることが合理的になるのだが、これは後で述べる。

まとめると、男性は肉体的かつ一時的な浮気をしがちだということで、理屈をこねた割には結論は平凡である。さて、このような男性に対して女性はどう対処すべきだろうか。

合理的に考えれば、女性にとっては、男性が他の女とセックスしようが、自分に対する男性からの資源が減じない限りは、知ったことではない。なぜなら、夫に妾や隠し子がいたとしても、夫が妾や隠し子に資源投入をしない限りは自分の損にはならないからだ。ただ、妾を維持するにはある程度の資源を投入しなくてはならないのは確実だし、隠し子の場合はちょっと違うが、かなりの蓋然性で(ある意味での)養育費を支払う必要が生じる。とすると、男性が他の女とセックスすること自体は問題ではないが、男性からの投資が減少する危険がある以上、できるだけ浮気は防がなくてはならない

ここで、女性が「嫉妬」という心理メカニズムを身につけている場合に何が起こるだろうか。つまり、男性が他の女とセックスしたり、資源提供することに対して、怒り、悲しみ、攻撃的になり、男性の浮気行為を妨害し、セックスの提供を辞めるような行動を取ったらどうだろうか。これらの行動は、男性の、新しいセックスパートナーを獲得するコストを高騰させることになる。前回述べたように、通常、女性はセックスするために男性にある程度の資源の提供や確約を求める。しかし、現状のパートナーが他の女への資源提供に対して嫉妬する場合、それらの資源提供をすることが(心理的にも物理的にも)困難であり、しかも、浮気相手候補の女に資源提供したところで、セックスしてくれる保証はないからだ。であれば、現状の相手との安定的なセックスを楽しむ方が、割安なのだ

だから、女性が男性の浮気に対して嫉妬する場合、肉体的なものよりもまず精神的なもの(=他の女への資源提供)を重視することになる。そして、男性の浮気はもともと一時的なものになりがちだと予想されるけれども、女性が浮気を防ぐ目的は、配偶関係の維持(=継続的な男性からの資源提供)になっているだろうということが予想される。

次に、女性の浮気を考えてみたい。考察に入る前に一言留意事項を述べると、従来の社会学等では、女性を受動的な存在と見なしがちであったので、女性の方から積極的に浮気するということがあまり想定されていなかった。しかし、生物学的には、前回も述べたように配偶行動は女性の側が競争の基本ルールを決めており、女性の側も適応度を高めると言う利益を得るために積極的に行動すると考えられている。

さて、女性が浮気をするメリットは何だろうか。前回も述べたけれど、女性が産める子供の数は自然と上限があるので、多くの男性とセックスをすることは女性には必要なく、むしろエネルギーの浪費である。しかし、それでも現状のパートナーとのセックスからだけでは得られない利益を、浮気によって得られる可能性がある。

一つは、より優秀な遺伝子の獲得である。子育てには男性からの資源提供が必須だけれど、優秀な遺伝子を持つ男性が常に身持ちがよいとは限らない。そして、それ以上に、そういう男性は「高嶺の花」で、高い序列の女性しか配偶者になれないかもしれない。一方で、そういう男性でも、行きずりのセックスならしてくれるかもしれない。となれば、女性にとって合理的なのは、平凡だが継続的な資源提供が期待できる男と安定的な関係を築いておき、優秀な遺伝子を持つ男と一時的な情事を(特に排卵日付近にこっそりと)行うことである

もう一つは、セックスによる資源の獲得、つまり広い意味での売春である。ここで議論している状況は、現代社会ではなくて、大昔、狩猟採集社会の話だが、狩猟採集社会の場合、男は狩猟の為に長期に留守することがある。そんな時、女性は子供と家に残されて、誰も守ってくれない状態にある。そんな中で、女性が身の安全や食料と引き替えにセックスを提供することは、自身の適応度を高めただろう

男性に取っては、女性のこのような行動は脅威である。特に、一つ目の「優秀な遺伝子獲得のための浮気」は大打撃で、我が子でない子供に投資させられることは大きな損失である。だから、男性はこのような女性の行動を極力防がなくてはならない。ここで、女性が「嫉妬」という感情を身につけた男性を相手しているとすれば、どうだろうか。先ほど論じたのと同様に、やはり女性にとって浮気をする行動は高くつくだろう。つまり、女性が他の男とセックスすることに対して、怒り、悲しみ、攻撃的になり、女性の浮気行為を妨害し、資源の提供の停止あるいは無理矢理セックスするような行動を取るような男性を相手にしているとすれば、女性にとっては浮気は大きな賭である。もし浮気が成功し、優秀な遺伝子の子供を宿すことができればいいが、夫にばれた場合は配偶関係解消を含めた大きなペナルティが待っている。

男性にとっては、女性が他の男性の子供を宿すことが極めて大きなコストなので、女性とは対照的に、男性が女性の浮気に対して嫉妬する場合、精神的なものよりも肉体的なもの(=他の男とのセックス)を重視するだろう

しかし、先ほど挙げた二点目の状況、つまり、セックスによる資源の獲得はどうだろう。男性にとっては、やはり女性が他の男の子供を宿す危険性があるので、これも同様に防がなくてはならない。しかし、先ほど述べたように、この行動は女性の適応度を高めることに役立つ。のみならず、子供の適応度も高めることに役立っただろうから、間接的には夫の適応度を高めることに役立つのではないか

とはいえ、妻が売春する行動が夫にとっても利益になるのはごく限られた場合だけだろうということは容易に予想できる。なぜなら、夫にとって、他人の子供に投資させられるのは、とてつもなく大きな出費だからだ。だから、妻の売春が合理的なのは、夫に資源の提供能力があまりない時だろう。例えば、男がヒモの場合だ。この場合は、男はそもそも子供への投資を行っていないので、妻が生んだ子供が自分の子供でも他人の子供でも損することがない。だから、こういう状態にある男性は嫉妬の感情が弱まる可能性があるが、そうでない場合は、やはりこういう浮気も男性は防がなくてはならない。

なお、細かい点だが、嫉妬した男性と女性ではその反応に若干の差があると考えられる。嫉妬した女性は、セックスの提供を拒むだろうが、嫉妬した男性は無理矢理にでも妻とセックスするだろうという点である。男性が浮気した場合、それにペナルティを課すために女性はセックスの提供を拒む可能性がある。もちろん、男性の浮気が精神的なもので、その気持ちをつなぎ止める必要がある場合には妻は進んでセックスを提供するかもしれないが、男性の浮気が肉体的なものにあるとき、罰する意味でセックスの提供は停止しうる。しかし、男性が嫉妬している場合は、むしろ妻と無理矢理にでもセックスするだろう。なぜなら、妻の膣内には浮気相手の精子が残っているかもしれず、それらの精子に自分自身の精子を競合させて、妻が他人の子供を孕むのを防止するためである。事実、嫉妬の状態にある男性は、セックスの際により多くの精液を射精するというデータがある。嫉妬は媚薬であるということだ。

ここまでで、嫉妬という感情を得たことで、パートナーの浮気をある程度防止することができ、配偶関係を安定させる効果があることがわかったと思う。前回は「愛」という感情を、今回は「嫉妬」という感情を説明したが、これらが車の両輪になり、我々は配偶関係を安定的に運営することができるのだ。愛は完全ではない、と冒頭に述べたけれど、そこに嫉妬を加えると、少しだけ完全に近づくことができるのだ。人間は無意味な嫉妬に苦しめられることもあるし、嫉妬のせいで非合理的な行動を取ってしまうこともある。それは、一見すると適応的でないようだが、進化的視点で見ればそれらの行動にも合理的基盤があるわけで、その行動自身は合理的でないかもしれないが、人間の進化の産物なのである。

宗教においては、嫉妬という感情は概して評判が悪いようだ。そもそも、既婚者に対するアプローチ自体が悪とされている場合がほとんどだろうと思うが、嫉妬という感情も良くないもののように考えられていることが多い。しかし、これまで述べたように、嫉妬という感情自体は、配偶関係を安定的に保つ効能を持っており、それ自体が悪いものだとは言えない。しかし、嫉妬という感情が引き起こす行動については、問題がないわけではない。我々は狩猟採集時代であってすら、分不相応な攻撃力を持った存在であり、嫉妬に駆られてパートナーを殺してしまう場合すらあるのだ。パートナーを殺すのは、これまでの投資が無になるために、仮にパートナーが他人の子供を宿している場合ですら合理的でない場合がほとんどだと思われる。パートナーを殺すことが、群れの他の個体への「見せしめ」となり、以後の浮気を減らす効果があるのなら、利他行動として意味があるのだろうが、そのような効果があるのかどうかも疑問である。

つまり、嫉妬という感情が適応的であることと、嫉妬が引き起こす行動を正当化することとは何の関連もない、ということには留意しておこう

さて、愛と嫉妬という車の両輪で、配偶関係は十分に安定的になるだろうか。実は、これだけでは配偶関係は十分に維持されなかったようだ。なぜなら、人類は「婚姻制」という文化を生んだからだ。愛と嫉妬が完全に働けば、敢えて「婚姻」などという制度を設けなくてもパートナーとの関係は安定的だっただろう。しかし、実際にはそうではなかった。人間は、愛と嫉妬という感情を獲得してもなお、新しいパートナーの獲得や現在のパートナーとの関係解消を頻繁に試みたのだ。パートナーが安定していない状態は、おそらく群れ全体の利益を損ねたし、個人の利益も損ねたと考えられる。そのため、婚姻制という文化を発明し、配偶関係をより強固なものにしていったのだろう。次回は、それについて述べることとする。