【要約】
- 「婚姻制」は人類の基本構造に組み込まれているものではなく、文化的所産と考えられるが、なぜ世界中で普遍的に見られるのか。それは、婚姻制に適応的な利点があったからだろう。
- 具体的には、婚姻制は、配偶関係の維持のコストを安くし、解消のコストを高めることにより、配偶関係を安定的に保つ仕組みとして有効だ。
- 男性としては、配偶関係の維持には、女性の横取りと浮気を防がなくてはいけない。そこで、パートナーを自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する戦略が有効だ。これをコミュニティ全体で実施すれば、既婚女性に手を出すことは誰にとっても大きなコストになるという状態を作り出すことができる。
- 女性としては、配偶関係の維持には、男性の浮気を防がなくてはいけない。そのため、浮気へのペナルティを厳しくすることも一案だが、浮気した男性との関係を解消することはむしろ自分にとって不利になる。だから、配偶関係の解消(=離婚)のコストを高める戦略が有効だ。
- このために、配偶関係の成立と解消に対して次のような制約が設けられている。①莫大なコストがかかる結婚式、②離婚のための複雑・困難な手続き、③離婚は能力の欠如の現れであるというコミュニティからの評価、などだ。
- なぜわざわざいろいろな文化的制約を設けて離婚のコストを高めているのかというと、男性の配偶者としての価値は歳を経るにつれ上昇する一方で、女性の価値は下がってしまうという構造的問題があるため、男性側の離婚インセンティブが存在しているためだ。
- 婚姻制は、個人のレベルで考えると一長一短あるが、世の中にはダメ男ばかりという状態でない限り、平均的に見れば婚姻制は配偶関係を安定的にすることに役立つ。
- さらに、婚姻制には社会のレベルでも大きな利点がある。婚姻制は男性側の競争を抑止することにより、群れ全体の協力レベルを引き上げるからだ。婚姻制には、社会=「群れ」的に考えると、「配偶者争奪競争をあるところで終わらせる」という価値がある。「これ以上序列を上げたとしても、もっといい女を娶れるわけではない」という、ある意味での諦めが、群れでの競争を緩和しているのは間違いない。
さて、前々回、婚姻制の意味は「子育てのため、女性が男性と同盟を組んだ」ことにあるとし、この「同盟」の基礎として男女双方の「愛」の感情が重要だったと述べた。そして、前回は、それを補完するものとして「嫉妬」という感情が位置づけられることを述べた。では、「愛」や「嫉妬」はヒトが進化していく上で獲得した生来の感情であったとしても、「婚姻制」は人類の基本構造に組み込まれているものなのか、それとも文化的所産なのか。
このあたりのことについて、最近の文化人類学ではどのように考えるのが普通なのか承知していないのだが、私は、「婚姻制」はあくまでも文化的所産であるという立場で論を進めたい。もちろん、婚姻制も「言語」のように、「制度の基本設計は人間生来の機構に組み込まれているが、基本構造の中で文化的差異がある」というようなものの一つである可能性はある。しかし、人類に普遍的に見られる現象全て――例えば宗教、火の使用、通過儀礼など――を安直に人間生来の(本能的な)行動であると結論づけるのは危険である。ある行動がひとたび本能的な、生得的な行動であるとされてしまうと、特定の文化的パターンを人類の「正しい在り方」であるとしてしまい、それ以外を「間違った文化」であるとしてしまう過ちをおかしてしまいがちだ。だから、かなりの蓋然性がない限り、そういった措定はすべきでないだろう。婚姻制自体は人類社会にあまねく見られる現象だけれども、人間は本能的に婚姻関係を維持しているようには思えない(離婚率は現代の狩猟採集社会においても高いし、結婚している男女でも、魅力的な異性がそばにいると心惹かれてしまうのは、婚姻制が本能的なものでないことを示唆している)。
なお、本稿においても、倫理、群れ内の序列化、繁殖戦略における男女の差異などを人類の基本構造に組み込まれた生得的なものとして説明したが、これらがまったく遺伝的な基盤を持たないという可能性もなくはないのである。しかし、現在の進化心理学の標準的な立場では、これらはほとんど生得的なものであるとされているので、本稿では生得的なものとして説明している。
さて、「婚姻制」は文化的所産であると私は考えるが、では、一夫一妻、一夫多妻、多夫一妻などいろいろなヴァリアントはあるが、なぜ婚姻制は世界中で普遍的に見られる現象なのだろうか。
それは、単純に言って婚姻制に適応的な利点があったからであると考えられる。つまり、婚姻制を持つ文化は婚姻制を持たない文化より栄えたのだ。そして、婚姻制は遺伝子による行動ではない分(生得的な機構の制約を受けないので)、いっそう急速に初期人類社会に広まったと考えられる。 では、どのあたりが適応的なのか。
既に述べたように、人類の女性は極端に未熟児の状態で生まれてくる子供を育てるため、子育てへの男性からの協力(資源の提供)を必要とした。そして、男性はその子供が間違いなく自分の子供であると確信するため、その女性からの排他的なセックス権を求めた。この結びつきをより強固で安定的なものとするため、男女間には「愛」という非合理的感情が生じたとした。
そして、「愛」による関係をより強固なものとするため、人間は「嫉妬」という感情を進化させた(愛は非合理的な感情だが、嫉妬は合理的な反応であるという点は面白い)。しかし、「愛」や「嫉妬」は万能ではない。このように安定的関係=配偶関係を築いている場合でも、男性にも女性にも浮気をするインセンティブはある。そしてそれ以上に、常に配偶者横取りの危険性も存在する。つまり、夫の留守中に妻が誘惑またはレイプされる可能性があるのだ。
そこで、配偶関係を感情のような生得的機構にゆだねるだけでなく、「婚姻制」という制度でより強固にしておくことに意味がある。「婚姻制」を一言で言えば、「配偶関係の維持のコストを安くし、解消のコストを高めることにより、配偶関係を安定的に保つ仕組み」である。そこで、以下、「維持のコストを安くする」という視点と、「解消のコストを高くする」という視点から婚姻制が適応的な意味を持っていたことを示したい。
まずは、「配偶関係の維持のコストを安くする」という視点から男性と女性の側それぞれから説明する。男性としては、配偶関係を維持するためには、女性が横取りされることと、浮気されることを防がなくてはいけない。そのための方策の一つが「嫉妬」だが、嫉妬はあくまでパートナーへのペナルティであって、社会的な抑止力はない。そこで、男性はいくつかの方法を考え出した。例えば、①女性を群れから離して隠してしまう、②女性を自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する、というようなものだ。もちろんこれ以外にも方法はあるが、基本的な路線はこの二つだ。
①女性を群れから離して隠してしまう、の具体的な例としては、厳格なイスラム圏で見られるブルカの風習とか、日本語でも妻を「家内」や「奥様」と言ったり、女性が結婚することを「家に入る」と言ったりするように、物理的にどこか(服の中や家の中)に軟禁するやり方である。これは他の男性から女性を守るのには効率的だが、全体的な効率の低下は避けられない。なぜなら、物理的に妻を隔離してしまうと、妻の生産性が下がるのはしょうがないので、夫への経済的負担は増えることになる。夫に安定的で高い収入がある場合は、このような戦略が有効だが、人類の曙である狩猟採集の生活でこのような戦略を採れたのは極めて少数であろう。
②女性を自分のものだと宣言し、その女性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する、の具体的な例としては、単純には、「この女は俺の女だ」と宣言することであり、これこそが婚姻制の萌芽である。もっと一般的かつ広義な例としては、公衆の面前で手を繋ぐ、腰に手を回す、キスをするといった行動も含まれる。
女性を自分のものだと宣言することは、仮に「手を出す」ことへの罰がなかったとしても、他の男からの横取りをある程度防ぐことができる。なぜなら、まず横取りすること自体が、誰とも関係を持っていない女性を誘惑するよりコスト高だ。前回述べたように女性はセックスの提供の前提として男性からの資源の確約と先行投資を求めるので、すでにある男性からの資源を確約している女性は、それ以上の資源を約束/先行投資しなければセックスに応じないだろう。つまり、交渉金額のベースが高くなっているため、女性が交渉において有利なのだ。また、その男が仮に首尾良くその女性を横取りできたとしても、女が生んだ子供が自分の子供である可能性は十分高くはないということもある。
とはいえ、ただ宣言するだけではそれは「制度」とは呼べない。「制度」とは、コミュニティの構成員が共通のフレームワークを共有することである。この場合は、「性的にアプローチすれば大きな罰を与える」という部分を共有化しているということだ。これにより、仕返しを怖れる必要がないような強い個体に多くの女性が寡占される可能性が低減される。つまり、特定の配偶者が決まっている女性に手を出した男性は罰されるべきという規範が共有されることで、もし既婚女性に手を出すことは誰にとっても大きなコストになるという状態を作り出すことができたのだ。
ただしここで一つ注意すべきことは、既婚女性に手をだした男への「罰」のコストは、必ずしも群れ(コミュニティ)の男性と女性が等しく負担するわけではないということだ。普通、浮気男に対する男性からの評価はそんなに低くならず、実際的には男性からの罰は(嫉妬に狂った寝取られ男本人からの復讐は別として)多くはない。むしろ、浮気男への罰のコストを負担するのは通常女性側である。女性は、その男に物理的な攻撃を加えるようなことはしないが、「評判を落とす」「相手にしない」といった戦略を採ることにより、その男の将来のセックス可能性を減じさせるのである。こういった戦略は、負担するコストが低い割に効果は大きいため、女性の方がこの場合の罰を「担当」していると考えられる。つまり、ドン・ファンは男性の中では英雄になるが、女性からは実際はつまはじきにされる可能性が高い。 (ただし、ドン・ファンが近くにいたら、男性も女性も迷惑だ。多情な女性は喜ぶかもしれないが。)
さて、「配偶関係の維持のコストを安くする」ことの女性側の視点だが、女性としては、配偶関係を維持するためには、男性が他の女に心移りしないで、継続的に自分(と子供)に資源を提供してくれることが重要だ。女性が男性をこういう状態にしておくすべはどのようなものがあるだろうか。ここで、男性側が使った「配偶者を群れから離して隠してしまう」という戦略は使えない。なぜなら、そもそも女性が男性に期待するものは資源の提供なのに、群れから夫を引き離してしまっては大きな資源提供が期待できないからだ。
では二番目の「男性を自分のものだと宣言し、その男性に性的にアプローチすれば大きな罰を与えることを公言する」という方法はどうだろうか。こちらは、ある程度効果はあるが、男性が宣言する場合ほど大きな効果は得られないだろう。なぜなら、多情な女が夫に近づいたとしても、十分に罰を与えることができないと予想されるからだ。先ほどと同様、群れのメンバーが結託してその女の評判を落とす、というような罰は出来るが、これは男性に対する場合ほど効果的ではない。なぜなら、その多情な女にとっては、群れの女性からランクづけられる序列は自身の適応度には直結せず、あくまでも男性側からの評判の方が重要だからだ。そして、男性側としては、多情な女はむしろ歓迎である。自身への排他的なセックスは期待できないけれども、ともかくセックスを提供してくれる女性は男性にとっては価値がある。だから、先ほどのケースでは婚姻制は多情な男を排除するメカニズムとして機能するけれど、多情な女を排除することは出来ない可能性がある。
しかし、女性にとってこのことはあまり重要ではない。なぜなら、多情な女の割り込みは配偶関係の維持には脅威だが、実際には、自分の夫の方が他の女とセックスすること自体は大したコストではない。なぜなら、配偶関係が維持されるのであれば、夫からの資源提供は引き続き期待できるからだ。それよりも重要なのは、夫が本来妻に振り向けるべき資源を他の女に振り向けてしまうことだ。だから、優先順位としては、多情な女のアプローチを防ぐより夫の浮気を阻止することの方が大事だ。だから、配偶関係をより安定的に保つ戦略として有効なのは、浮気へのペナルティとしての「嫉妬」の能力を高めるということだろう。極端に言えば、一度でも浮気したら即配偶関係を解消する(=離婚する)というような戦略だ。そうすれば、男性は浮気が発覚することを怖れて(男性は、隠すのが下手だ)、浮気をしにくくなるに違いない。
しかし、実際の世界ではこのような戦略は徹底されていないようだ。実際には、一度婚姻関係が成立すると、男性側が多少浮気しても婚姻関係を解消しづらいような制約がある一方で、女性側が浮気した場合、問答無用で婚姻関係を解消できるような文化は多い。つまり、一般的に言って婚姻制は男性の浮気に対して甘い。これは女性には不平等じゃないか、そう思われる方が多いと思われるが、私には、だからこそ婚姻制の適応的意味があると思われる。
なぜなら、先述のように、男性の浮気を阻止する戦略として有効なのは、浮気へのペナルティを高めるということだが、この戦略を採っていると、男性が浮気するたびに配偶関係が解消され、安定的な関係を築くことができない。これは、女性がそのような戦略を採っていたとしても、男性には浮気をするインセンティブがあるためだ。例えば、そもそも男性側が配偶関係の解消を望んでいる場合は、浮気をすれば女性側から離婚してくれるわけだ。その結果、男性は浮気相手を新しい配偶者として新たな「家庭」を築けばよいだけだが、女性側は残された子供を女手一人で育てるという大きなコストを払わなくてはならない。そして、女性が「コブ付き」の場合は新しい夫を見つけるのも格段に困難になる。他人の子供を育てるのに喜んで資源を提供するような男はあまりいないからだ。
では、「男性側が配偶関係の解消を望む」場合がそんなに頻繁にあるのかと言う点だが、実はこれが頻繁に起こりうる。男性は歳を経るにつれて老獪になり、技術を習得するので、群れでの序列も高くなる傾向にある。そのため、男性側の性的な魅力が資源の提供能力にあるとしたら、群れでの序列の上昇とともに、これまでは手の届かなかった魅力的な女を手に入れる機会が増えることになる。とすると、現在の妻との関係を維持するより、手持ちの資源を有効に使って、より魅力的な女を獲得することが、男性にとって合理的だ。さらに、もう一つ重要な点は、女性の性的魅力は繁殖能力にあるため、歳を経るにつれて女性の配偶者としての価値は逓減していくというこだ。だから、男性の配偶者としての価値は歳を経るにつれ上昇する一方で、女性の価値は下がってしまう。この構造的問題があるために男性側の浮気は不可避的だ。しかし、先述したとおり、女性としては夫の浮気を許したくはないが、一度の浮気を許さずに配偶関係を解消すれば、損するのは自分の方である。ここに女性のジレンマがある。
だから、配偶関係を安定的に保つためには、男性の浮気まである程度計算のうちに入れておかなければならない。すなわち、男性が(仮に浮気したとしても)軽々に配偶関係を解消できないようにしておかなくてはならない。これが、先ほど予告した「解消のコストを高くする」という視点での婚姻制の意味になる。
すなわち、婚姻制は、配偶関係を解消することへの文化的制約を設けることによって、解消のコストを格段に大きくすることができるのだ。つまり、仮に男性が女性との関係を解消したくなったとしても、そのコストが大きすぎ、新しい配偶者を獲得するより、今の配偶者との関係を続けた方が「お得」であるという状態を作っているのである。コストを大きくしている制約としては、例えば次のようなものだ。
- 莫大なコスト(手続き、資源)がかかる結婚式(二度目の結婚式をためらう)
- 離婚のための複雑・困難な手続き(結婚を家族間同盟とすることで、利害関係解消を困難にさせる)
- 離婚は能力の欠如の現れであるというコミュニティからの評価(二度目の結婚がしにくくなる)
では、女性側から離婚したい場合はどうだろうか。例えば、男性がダメ男だった場合とか、多情で浮気者の男だった場合などだ。多くの狩猟採集文化では(近代においても)、これらは離婚の理由として成立しづらいようである。とすると、女性としてはダメ男と一生を添い遂げなければならず、かなり適応上不利になる。この場合は婚姻制は女性にとって都合が悪く、男性にとって都合がよい。
また、男性の場合と同様に、現夫に不満はなくても、より素晴らしい夫候補が見つかったという女性にとっての婚姻制の損益も考慮すべきだが、こういうケースは構造的にはあまりない。なぜなら、先述のとおり女性の性的価値は年齢とともに落ちていくので、より素晴らしい男性が最初の結婚から数年経って現れる可能性は低いし、避妊が不完全だった時代は、配偶関係にある健康なカップルには普通子供が生まれるので、コブ付きの女性を受け入れてくれる男性は少ないからだ。だから、より素晴らしい夫候補を見つけた女性にとっては婚姻制は確かに不利になるけれど、実際にはそういう場合は少ないと思われる。
逆に、妻が不妊や浮気性の夫にとっては婚姻制はどう働くだろうか。実は、女の不妊や浮気は多くの文化で離婚の正当な理由として認められており、男性側にとって婚姻制が離婚に不利に働くことはあまりない。もちろん、妻に浮気をされるという、所謂「寝取られ男」として社会的評判は落ちるのだが、それは婚姻制があるためというよりは、単に他の男との競争に負けたという社会的不名誉のせいだ。
これまでの話をまとめると、次のようになる。
- 「婚姻制」により配偶関係維持のコストを安くすることは、通常配偶関係維持のコストを払っているのは男性なので女性側にはあまり利点はない(リスクもない)が、男性側からすると現状の配偶関係を安上がりに維持できる点で利点がある。
- 「婚姻制」により配偶関係解消のコストを高くすることは、女性側からすると資源獲得能力がある男をつなぎ止めておく利点があるが、逆にダメ男と離れられなくなるリスクがある。男性側からすると、多少の浮気や収入の低下というマイナス要素があっても女性を自分につなぎ留めておく利点があるが、よりいい女が現れた時に「乗り換える」ことができなくなるリスクがある。
実は、社会=群れのレベルで考えた時、婚姻制のもたらす利益はとても大きいと思われる。なぜなら、婚姻制は男性側の競争を抑止することにより、群れ全体の協力レベルを引き上げるからだ。この重要な点について述べて本項を終わりたい。
婚姻制のない状態では、「愛」や「嫉妬」の感情が発達していても、十分に配偶関係を維持できないと思われる。なぜなら、いかに「愛」や「嫉妬」や女性が男性に資源を確約するという戦略があったとしても、配偶関係を成立させた条件が何十年も変わらないことはあり得ないからだ。そして、その条件が変化した時、魅力的な相手がそこにいないとは限らない。配偶関係が基本的にいつでもオープン(=解消可能)であれば、少しでもその前提条件が崩れた時に新しい配偶関係に乗り換えるインセンティブが男女双方にある。
例えば、チンパンジーの社会を見てみよう。もちろん、彼らには人間のレベルで言うところの「愛」とか「嫉妬」がないということもあるが、配偶関係が非常に安定していない。群れのボスがメスを総取りする形のため、ボスの交替によってパートナーが入れ替わっていく。こういう場合、オス全体の協力は発達しにくく、むしろ、ボスを出し抜くことが下位のオスの利益になり、集団的な統率は取りにくい。
一方、婚姻制を発達させた人間社会はどうだろうか。婚姻制は、社会=「群れ」的に考えると、「配偶者争奪競争をあるところで終わらせる」という価値がある。つまり、そういう制度がないと下剋上的にパートナーが入れ替わっていく可能性があるが、婚姻制によって誰が誰のパートナーになるかという配偶者獲得ゲームの結果をある時点で確定し、それ以降動かせなくすることで、それ以降に配偶者獲得競争が続くのを防止することができるのだ。
その結果、男性同士の協力が促進されることになる。例えば、危険な狩りを行う際、ボスの指示に従うことができるのは、ボスを出し抜いてもボスの女を娶ることはできないという理由がないわけではないだろう。また、安心して男同士で協力し狩りに出かけることができるのも、誰かに出し抜かれて妻を寝取られる可能性が少ないと確信できるからだ。そしてそれ以上に、「これ以上序列を上げたとしても、もっといい女を娶れるわけではない」という、ある意味での諦めが、群れでの競争を緩和しているのは間違いないだろう。
おそらく、これこそが婚姻制がある社会とない社会を比べた時に、婚姻制がある社会の適応度が高かった真の理由であるように私には感じられる。進化生物学的に人間の心理や社会制度を見た時、より安定的な群れ=社会の構造を実現する進化・発明の重要性は非常に高い。群れの中での競争を緩和し、現在の人間関係を是認し、群れの中での協力を促進するような変化は、群れを競争的・下剋上的にする変化よりも概して適応度が大きく、人間社会の発展に寄与したのだ。
つまり、婚姻制は、個人のレベルで適応的であることはもちろん、社会のレベルで考えた時、群れの競争を緩和し、関係を安定的に保つ上で非常に大きな利点があったと思われるのである。