2010年7月6日火曜日

「家族」の論理(3)嫉妬は得なのか

【要約】
  1. 愛は万能ではない。誰かを愛しているからといって、他の誰かとセックスすることのインセンティブがなくなるわけではない。むしろ、浮気をすることが合理的な場合では、愛に囚われず浮気することが適応的な時がある。
  2. しかし、 配偶関係にある男女双方にとって、相手の浮気は大きなコストである。 だから、「人間はパートナーの浮気を防ぐようにも進化」したはずである。具体的には、浮気へのペナルティを高めることで浮気を防止しており、これが「嫉妬」の一つの意味であると考えられる。
  3. 男性が浮気をするのは、より多くの子供を残すために多くの女性とセックスをすることが合理的だからで、男性は肉体的かつ一時的な浮気をしがちだ。そして、男性の浮気は、女性にとっては男性からの投資が減少する危険があるという意味で危険だ。
  4. 浮気に嫉妬する女性を相手にしている男性は、現状の相手との安定的なセックスを楽しむ方が、割安になる。つまり、女性の嫉妬は男性の浮気防止に役立つ。
  5. 女性が浮気をする目的は、一つは優秀な遺伝子の獲得で、もう一つはセックスによる資源の獲得、つまり広い意味での売春である。どちらにせよ、男性にとっては他人の子供に資源を投資させられるかもしれないので、パートナーの浮気は脅威である。
  6. 浮気に嫉妬する男性を相手にしている女性は、浮気のコストが非常に高いので、男性の嫉妬は女性の浮気防止に役立つだろう。ただし、資源の提供能力がない男は、嫉妬する意味があまりないので、女性の浮気にはあまり嫉妬しない可能性がある。
  7. つまり、嫉妬という感情は、パートナーの浮気をある程度防止することができ、配偶関係を安定させる効果がある。人間は嫉妬のせいで非合理的な行動を取ってしまうこともあり、それは、一見すると適応的でないようだが、進化的視点で見ればそれらの行動にも合理的基盤があるということだ。嫉妬という感情を獲得したことにより、人類は得をしている。
  8. しかし、嫉妬という感情が適応的であることと、嫉妬が引き起こす行動を正当化することとは何の関連もない、ということには留意する必要がある。
  9. なお、愛と嫉妬という車の両輪があっても、配偶関係は十分に安定的ではなかった。その証左に、それを補完し、配偶関係をさらに強化するものとして、人類は「婚姻制」という文化を生んだ。

嫉妬は、文学の一大テーマだ。嫉妬は、普段なら考えられない行動をする原因になり、時に愛する人を殺してしまうことすらある。我々は嫉妬に苦しみ、そして嫉妬に操られる。嫉妬は、文学には絶好の怪物である。

(なお、ここで言っている嫉妬とは、愛と対置されるところの感情であり、他人の所有物に対するねたみなどはとりあえず考えないこととする。)

では、嫉妬は適応的な意味があるものだろうか。つまり、嫉妬という感情を獲得したことにより、人類は得をしているのだろうか。まず結論を言ってしまうと、その疑問への答えは、yesである。嫉妬は、一見不合理だけれども、実は合理的な基盤の上に立っている。今回はそれを論じたい。

前々回、女性は子育てへの男性の援助(資源)を求め、男性と同盟を組んだ、そしてその同盟関係を低コストで安定的に保つ仕組みが「愛」だった、と述べた。と同時に、「愛は万能ではない」ということも予告しておいた。「愛は万能でない」などということは正常な大人であれば自明と思えるだろうが、ここで一応説明しておきたい。

様々な動物で、「つがい」という関係がどういったものかが調べられているが、一般的な原則として、ある程度継続的なつがいを作る動物においては、その関係はかなり安定だということが言える。つまり、一度つがいが成立すると、滅多なことではそのつがいは解消されない(子供が出来なかった場合を除く)。擬人化していえば、他の男女に目移りせず、つがいのパートナー同士が違いに「夢中」になると言うことだ。これは、おそらく、つがいの成立を一つのスイッチにして、パートナーを捜すという行動への制約がかかり、現状のパートナーとの子育てを効率的に進める生得的な仕組みがあると考えられる。ただし、全く浮気をしないかというとそうでもなく、種によるが、そのチャンスがあればつがい外交尾(EPC=Extra-Pair Copulation)をする動物は多い。

そういう視点で人間のつがい、つまり夫婦を見てみると、とても「つがい成立がスイッチとなって、パートナーを捜す行動への制約がかかる」ようには思えない。特に男性は生殖能力があるかぎり、新しいパートナーを潜在的に捜していると言われる。この心理的傾向は、つがいを安定的に保つ観点からは脅威で、男性は常に「目移り」する誘惑と戦わねばならないことになるし、女性は男性の浮気を防止しなくてはならない。もし「愛」という心理的システムが完全なものであれば、このようなことは起こらないだろう。

では、愛はなぜ完全ではないのか。かなり当たり前の部分もあるので簡単に述べるが、一度配偶関係が成立したとしても、解消したり浮気したりする利得が現実にある以上、盲目的に愛に従う個体よりも、愛する愛さないに関わらず得になる行為をする個体の方が適応度が大きかっただろう。これが「愛は万能ではない」という理由である。つまり、「愛」に囚われて現状のつがいに固執していると、本当に大きな利益を生む新しい関係を見逃してしまうというコスト(機会費用)を払わなくてはならないとうことだ。とすると、逆に言えば、俗な言い方だが、人間は浮気するように進化した、といえるわけだ。

しかし、配偶関係にある男女双方にとって、相手の浮気は大きなコストである。女性に浮気された男性は、誰か別の男の子供に資源を投資させられるという大きなコストを払う可能性があるし、男性に浮気された女性は、本来自分や子供に配分されるはずだった資源がどこかの女に横取りされるというコストを払わなくてはならない。だから、先ほど私は「人間は浮気するように進化した」と不用意に書いたけれど、パートナーが浮気することが大きなコストである以上、「人間はパートナーの浮気を防ぐようにも進化」したはずである

では、具体的にはどのような方法で人間はパートナーの浮気を防ぎ得るだろうか。この課題への解決の一つとして、浮気へのペナルティを高めるという方策があり、これが「嫉妬」の一つの意味であると考えられる。つまり、もし浮気をしたら大変なことになるぞ、というペナルティが「嫉妬」なのだ

もう少し正確にこの辺の事情を述べたい。これまで、簡単に「浮気」と書いてきたけれど、人間が浮気する時、一時の情事という意味での浮気もあれば、配偶者との愛は完全に醒めてしまった場合に、新たな配偶者を捜す意味での浮気もある。また、精神的な浮気もあれば、肉体的な浮気もある。これら全てを単に「浮気」と表現すると、ちょっとおおざっぱに考えすぎになるので、以下、男性の立場、女性の立場に立って、これらの「浮気」を防止または軽減する意味で「嫉妬」が機能するか見てみたい。

まず、男性の浮気からだが、男性の場合ほとんど常に新しいパートナーとのセックスを求めている。こう書くと身も蓋もないが、男性に取っての生殖戦略はたくさんの女性とセックスすることが第一なので、セックスの機会を逃さない個体はより多くの子孫を遺すことができた。だから、男性は基本的にセックスの機会さえあれば、新しいパートナーとセックスするだろう。つまり、男性は肉体的な意味での浮気をしがちである。

では、その浮気は一時的なものであるか、それとも配偶関係の解消に至るものになりがちなのかどうかというと、実は、男性の生殖戦略から予見されるのは、男性の浮気は、配偶関係の解消に至るものになりづらいと考えられる。なぜなら、配偶関係維持のために男性に求められるのは、ある程度の資源を継続的に女性(と子供)に提供し続けることである。これは、どの女性をパートナーにしても変わらない。つまり誰とくっついても資源の提供は必要になる。であれば、一度ある女性をパートナーにしているとすれば、資源提供を確約するための先行投資等が既になされているので、現状のパートナーを維持するほうが、新しいパートナーに再び投資するよりお得である。ただし、これは短期的な話で、長期的には現状の配偶関係を解消して若い妻を迎え入れることが合理的になるのだが、これは後で述べる。

まとめると、男性は肉体的かつ一時的な浮気をしがちだということで、理屈をこねた割には結論は平凡である。さて、このような男性に対して女性はどう対処すべきだろうか。

合理的に考えれば、女性にとっては、男性が他の女とセックスしようが、自分に対する男性からの資源が減じない限りは、知ったことではない。なぜなら、夫に妾や隠し子がいたとしても、夫が妾や隠し子に資源投入をしない限りは自分の損にはならないからだ。ただ、妾を維持するにはある程度の資源を投入しなくてはならないのは確実だし、隠し子の場合はちょっと違うが、かなりの蓋然性で(ある意味での)養育費を支払う必要が生じる。とすると、男性が他の女とセックスすること自体は問題ではないが、男性からの投資が減少する危険がある以上、できるだけ浮気は防がなくてはならない

ここで、女性が「嫉妬」という心理メカニズムを身につけている場合に何が起こるだろうか。つまり、男性が他の女とセックスしたり、資源提供することに対して、怒り、悲しみ、攻撃的になり、男性の浮気行為を妨害し、セックスの提供を辞めるような行動を取ったらどうだろうか。これらの行動は、男性の、新しいセックスパートナーを獲得するコストを高騰させることになる。前回述べたように、通常、女性はセックスするために男性にある程度の資源の提供や確約を求める。しかし、現状のパートナーが他の女への資源提供に対して嫉妬する場合、それらの資源提供をすることが(心理的にも物理的にも)困難であり、しかも、浮気相手候補の女に資源提供したところで、セックスしてくれる保証はないからだ。であれば、現状の相手との安定的なセックスを楽しむ方が、割安なのだ

だから、女性が男性の浮気に対して嫉妬する場合、肉体的なものよりもまず精神的なもの(=他の女への資源提供)を重視することになる。そして、男性の浮気はもともと一時的なものになりがちだと予想されるけれども、女性が浮気を防ぐ目的は、配偶関係の維持(=継続的な男性からの資源提供)になっているだろうということが予想される。

次に、女性の浮気を考えてみたい。考察に入る前に一言留意事項を述べると、従来の社会学等では、女性を受動的な存在と見なしがちであったので、女性の方から積極的に浮気するということがあまり想定されていなかった。しかし、生物学的には、前回も述べたように配偶行動は女性の側が競争の基本ルールを決めており、女性の側も適応度を高めると言う利益を得るために積極的に行動すると考えられている。

さて、女性が浮気をするメリットは何だろうか。前回も述べたけれど、女性が産める子供の数は自然と上限があるので、多くの男性とセックスをすることは女性には必要なく、むしろエネルギーの浪費である。しかし、それでも現状のパートナーとのセックスからだけでは得られない利益を、浮気によって得られる可能性がある。

一つは、より優秀な遺伝子の獲得である。子育てには男性からの資源提供が必須だけれど、優秀な遺伝子を持つ男性が常に身持ちがよいとは限らない。そして、それ以上に、そういう男性は「高嶺の花」で、高い序列の女性しか配偶者になれないかもしれない。一方で、そういう男性でも、行きずりのセックスならしてくれるかもしれない。となれば、女性にとって合理的なのは、平凡だが継続的な資源提供が期待できる男と安定的な関係を築いておき、優秀な遺伝子を持つ男と一時的な情事を(特に排卵日付近にこっそりと)行うことである

もう一つは、セックスによる資源の獲得、つまり広い意味での売春である。ここで議論している状況は、現代社会ではなくて、大昔、狩猟採集社会の話だが、狩猟採集社会の場合、男は狩猟の為に長期に留守することがある。そんな時、女性は子供と家に残されて、誰も守ってくれない状態にある。そんな中で、女性が身の安全や食料と引き替えにセックスを提供することは、自身の適応度を高めただろう

男性に取っては、女性のこのような行動は脅威である。特に、一つ目の「優秀な遺伝子獲得のための浮気」は大打撃で、我が子でない子供に投資させられることは大きな損失である。だから、男性はこのような女性の行動を極力防がなくてはならない。ここで、女性が「嫉妬」という感情を身につけた男性を相手しているとすれば、どうだろうか。先ほど論じたのと同様に、やはり女性にとって浮気をする行動は高くつくだろう。つまり、女性が他の男とセックスすることに対して、怒り、悲しみ、攻撃的になり、女性の浮気行為を妨害し、資源の提供の停止あるいは無理矢理セックスするような行動を取るような男性を相手にしているとすれば、女性にとっては浮気は大きな賭である。もし浮気が成功し、優秀な遺伝子の子供を宿すことができればいいが、夫にばれた場合は配偶関係解消を含めた大きなペナルティが待っている。

男性にとっては、女性が他の男性の子供を宿すことが極めて大きなコストなので、女性とは対照的に、男性が女性の浮気に対して嫉妬する場合、精神的なものよりも肉体的なもの(=他の男とのセックス)を重視するだろう

しかし、先ほど挙げた二点目の状況、つまり、セックスによる資源の獲得はどうだろう。男性にとっては、やはり女性が他の男の子供を宿す危険性があるので、これも同様に防がなくてはならない。しかし、先ほど述べたように、この行動は女性の適応度を高めることに役立つ。のみならず、子供の適応度も高めることに役立っただろうから、間接的には夫の適応度を高めることに役立つのではないか

とはいえ、妻が売春する行動が夫にとっても利益になるのはごく限られた場合だけだろうということは容易に予想できる。なぜなら、夫にとって、他人の子供に投資させられるのは、とてつもなく大きな出費だからだ。だから、妻の売春が合理的なのは、夫に資源の提供能力があまりない時だろう。例えば、男がヒモの場合だ。この場合は、男はそもそも子供への投資を行っていないので、妻が生んだ子供が自分の子供でも他人の子供でも損することがない。だから、こういう状態にある男性は嫉妬の感情が弱まる可能性があるが、そうでない場合は、やはりこういう浮気も男性は防がなくてはならない。

なお、細かい点だが、嫉妬した男性と女性ではその反応に若干の差があると考えられる。嫉妬した女性は、セックスの提供を拒むだろうが、嫉妬した男性は無理矢理にでも妻とセックスするだろうという点である。男性が浮気した場合、それにペナルティを課すために女性はセックスの提供を拒む可能性がある。もちろん、男性の浮気が精神的なもので、その気持ちをつなぎ止める必要がある場合には妻は進んでセックスを提供するかもしれないが、男性の浮気が肉体的なものにあるとき、罰する意味でセックスの提供は停止しうる。しかし、男性が嫉妬している場合は、むしろ妻と無理矢理にでもセックスするだろう。なぜなら、妻の膣内には浮気相手の精子が残っているかもしれず、それらの精子に自分自身の精子を競合させて、妻が他人の子供を孕むのを防止するためである。事実、嫉妬の状態にある男性は、セックスの際により多くの精液を射精するというデータがある。嫉妬は媚薬であるということだ。

ここまでで、嫉妬という感情を得たことで、パートナーの浮気をある程度防止することができ、配偶関係を安定させる効果があることがわかったと思う。前回は「愛」という感情を、今回は「嫉妬」という感情を説明したが、これらが車の両輪になり、我々は配偶関係を安定的に運営することができるのだ。愛は完全ではない、と冒頭に述べたけれど、そこに嫉妬を加えると、少しだけ完全に近づくことができるのだ。人間は無意味な嫉妬に苦しめられることもあるし、嫉妬のせいで非合理的な行動を取ってしまうこともある。それは、一見すると適応的でないようだが、進化的視点で見ればそれらの行動にも合理的基盤があるわけで、その行動自身は合理的でないかもしれないが、人間の進化の産物なのである。

宗教においては、嫉妬という感情は概して評判が悪いようだ。そもそも、既婚者に対するアプローチ自体が悪とされている場合がほとんどだろうと思うが、嫉妬という感情も良くないもののように考えられていることが多い。しかし、これまで述べたように、嫉妬という感情自体は、配偶関係を安定的に保つ効能を持っており、それ自体が悪いものだとは言えない。しかし、嫉妬という感情が引き起こす行動については、問題がないわけではない。我々は狩猟採集時代であってすら、分不相応な攻撃力を持った存在であり、嫉妬に駆られてパートナーを殺してしまう場合すらあるのだ。パートナーを殺すのは、これまでの投資が無になるために、仮にパートナーが他人の子供を宿している場合ですら合理的でない場合がほとんどだと思われる。パートナーを殺すことが、群れの他の個体への「見せしめ」となり、以後の浮気を減らす効果があるのなら、利他行動として意味があるのだろうが、そのような効果があるのかどうかも疑問である。

つまり、嫉妬という感情が適応的であることと、嫉妬が引き起こす行動を正当化することとは何の関連もない、ということには留意しておこう

さて、愛と嫉妬という車の両輪で、配偶関係は十分に安定的になるだろうか。実は、これだけでは配偶関係は十分に維持されなかったようだ。なぜなら、人類は「婚姻制」という文化を生んだからだ。愛と嫉妬が完全に働けば、敢えて「婚姻」などという制度を設けなくてもパートナーとの関係は安定的だっただろう。しかし、実際にはそうではなかった。人間は、愛と嫉妬という感情を獲得してもなお、新しいパートナーの獲得や現在のパートナーとの関係解消を頻繁に試みたのだ。パートナーが安定していない状態は、おそらく群れ全体の利益を損ねたし、個人の利益も損ねたと考えられる。そのため、婚姻制という文化を発明し、配偶関係をより強固なものにしていったのだろう。次回は、それについて述べることとする。

0 件のコメント:

コメントを投稿