2010年9月3日金曜日

結語 これからの人間の思想や宗教に向けて

【要約】
  1. これまでの議論の要点を振り返るとともに、現代社会に生きる人間にとっての示唆を考える。
  2. 人間は「文明」という檻に入れられた動物だが、人間は文明=現代社会に「適応していない」生物ではなく、むしろ図らずも「適応しすぎていた」ために繁栄した生物である。人間は世界にとって一種の外来種なのだ。
  3. 文明を存立させる上で重要だったのは、社会を安定化させようとする人間の本能である。安定化により人類は空前の繁栄を謳歌したが、安定化にも功罪の両面がある。
  4. 安定した社会は文化を洗練させる。一方で、社会が停滞し、新しい文化や価値観が生み出されなくなる。逆に不安定な社会では、社会に活力がある代わり、文化は洗練されず、刹那的、即物的なものになりがちだ。
  5. 安定はリスクでもあるため、管理できる形で不安定要素を社会に導入することが重要になるだろう。なぜなら、今世紀中に世界は「中世化」していくだろうからだ。原因は、持続的な技術革新が止まることである。それにより、世界は安定し停滞したものになる。だからこそ、技術革新に変わる不安定要素が重要になる。
  6. また、これからの社会は費用逓増的になり、拡大路線が止まる可能性がある。そして、大量で長大なものより僅少で短小なものが生産的であるような時代が来て、人間の生来の多様性に改めて光が当たるかもしれない。
  7. それにより、思想や宗教のあり方もこれまでと変わったものになっていくだろう。それは、必然である。これからの思想や宗教を形作る上で私が重要だと思うのは、①人間本性に立脚したものであるということ、②「外来種としての人間」ということを自覚したものであること、③社会の不安定要素を肯定するこ と、④人間の多様性を肯定すること、である。

これまで、人間はなぜ苦しむのかというテーマを巡り、人類史を辿りながら議論してきた。最後に、これまでの議論の要点を振り返るとともに、現代社会に生きる人間にとっての示唆を考えてまとめとしたいと思う。

まず、人間を見る重要な認識として、私は本ブログの最初の方で、人間は本来適応していた環境から引き離されて生きなくてはならなかった動物であるということを述べた。人間は、巨大な社会を構築し、コンピュータで仕事し、時には宇宙まで行くことすらあるが、未だに3万年前の狩猟採集社会に適応したままの生物なのである。普通、本来生きるべき環境から引き離された生物は、非常に強いストレスを受ける。例えば、動物園に入れられた動物は、人間顔負けの「現代病」の症状を見せる。動物園の動物と同じように、人間は「文明」という檻に入れられた動物なのだ

しかし、本当に重要な問題は、人間が本来適応していない文明的な環境で生きなくてはならないということではない。 もしそうであれば、文明などという人間本性に反するものは捨て去られていただろう。実際には、文明社会というものは、この地球上を席巻するに至った程繁栄したのだ。これはどういうことだろうか。人間は、文明に抑圧されたのではなかったのか。

この事実を考えると、私たちは、人間が文明=現代社会に「適応していない」生物であるという認識を改めなければならない。 むしろ、空前の繁栄を成し遂げた背景は、人間が本来は適応していなかったはずの文明という社会に、「適応しすぎていた」ということにあるのではないか。それを、本稿では丁寧に述べてきたつもりだ。例えば、狩猟採集社会では、群れは自然状態において十分に流動的になる要素があったため、人間は群れの構造を安定化させるように進化した。端的に言えば、人間は序列=不平等を許容するように進化した。これは、狩猟採集社会に適応して人類が身につけた性質だったが、農耕社会に移行したとき、この性質は群れをより巨大化し、中央集権化し、組織化することに役立った。これは、本来人類が適応していたはずの環境とは全く違う環境でより成功した性質なのだ

こういうことは、自然界では珍しくない現象である。一例として、外来種の問題がある。近年世界的に問題になっているが、本来の生態系には存在してなかった生物が人為的に持ち込まれることにより、その生物が繁栄しすぎて在来の固有種が絶滅してしまうといった状況がいろいろなところで生じている。日本で言えば、20世紀前半に釣りのために導入されたブラックバスは、もともと清流に棲んでいた鮎のような魚のにとって脅威になっている。本来、生物はそれが進化してきた環境に最も適応していると考えがちであるが、そんな単純なものではない。ブラックバスは、環境もよく天敵もいない日本という環境で、その原産地である北米よりも容易に繁栄することができたのである。

そう考えると、人間も一種のブラックバスのようなものではないかと思えてくる。本来人間が適応していたのは、熱帯地方の疎林やサバンナでの狩猟採集生活だったのに、文明社会という生物本来のあり方とは全く違っった環境でこそ空前の繁栄を収めたのだ。つまり、文明社会に生きる人間は、ある意味で「世界にとっての外来種」なのだ。文明社会で生きる限り、我々は外来種であることをやめることはできない。文明を捨て、本来適応していた心地良い環境に戻れば、現代的な人間の苦しみの多くはなくなるだろう。しかし、それは生物としての繁栄を捨て去ることになるだろう。我々は、本来適応していなかったはずの「文明」という外部環境に、図らずも適応しすぎていた生物なのだ。

そして、「文明」を存立させた我々の性質というものを振り返ってみた時、先程も述べたように「群れの構造の安定化」というものが大きく寄与していたということを私は述べた。人間は、動物の群れでは考えられないほど安定的で巨大な群れを作ることができる生物だったのだ。しかし、群れが安定していることは、同時にリスクであるとも述べておいた。本来、人間はやや不安定な、流動的な群れにこそ適応した生物であるからだ。もちろん私は、安定というものをことさら排撃するつもりはない。「文明」というものが手放しに礼賛すべき進歩ではないものの、それが人間に大きな利益をもたらしていることも否定しえないように、安定にも功罪の両面がある

例えば、安定した社会は文化を洗練させる。社会構造が安定していると、耐久財の期待使用年数は非常に長くなり、100年も200年も持つような文化を生み出す。封建時代において、世界的に偉大な建築物や美術作品が生み出されることは偶然ではない。支配階級に富が集積されるということはもちろんだが、その構造が非常に安定的だということが偉大な文化を生み出すインセンティブにもなるのである。

一方で、社会が安定していることは一種の停滞でもあるので、新しい文化や価値観は生み出されなくなる。文化や価値観の革新をもたらすのは、社会の不安定化であり、流動化である。日本においては、室町時代から安土桃山時代にかけて非常に社会構造が不安定になり、新しい価値観や美術が生まれたし、シナでも春秋戦国時代に諸子百家のような多様な思想が生まれたのである。

しかし、不安定な、流動的な社会では、洗練された文化は生まれにくい。明日をも知れない社会に住んでいる人は、どうしても刹那的、即物的になってしまう。100年や200年持つようなものを産み出そうとは思わない。それよりも、必要最小限のもの、実用的なもの、現世的なものを重視する。それが悪いというのではなくて、人間は自然にそうなる傾向があるということだ。

そして、人間は、安定した社会でこそ空前の繁栄を成し遂げたけれど、本当は少し不安定な、流動的な社会にも憧れている。なぜなら、元来そういう環境で進化したからだ。にもかかわらず、社会を安定化させる本能を持ってしまっているために、必要以上に安定な、頑強で画一的な社会を創り上げ、その社会が非常に成功を収めてしまった。そのために、現代社会で生きるほとんどの人間にとって、そういう強力に安定的な社会で生きる以外の選択肢はなくなってしまったのである。

また、社会が安定的であることから、戦争が生じることも既に述べた。そして、戦争が安定しすぎた社会を破壊し、人間に新しい活力を与えるという意味も持っているという考え方を示した。安定しすぎ、停滞した社会は、文明の周縁に生まれる不安定で暴力的な社会に倒される運命にあるのだ。だから、戦争を放棄するには、組織的に社会に不安定要素を導入する必要があるのではないかということも述べた。それがどういった方策によって可能なのか、人類はまだ見出していないが、管理できる形で不安定要素を社会に導入することは、これからの世界にとって非常に重要になるだろう

なぜなら、今世紀中に、世界は「中世化」していくに違いないからだ。「中世化」とは、要するに持続的な経済成長がない、停滞した世の中になるということを意味する。持続的な経済成長は、産業革命以降のたかだか2世紀に経験した、人類史的に見れば一刻の現象に過ぎない。人間は18世紀まで、生産性が一定で、一人当たりの土地面積で豊かさが決まるマルサス的世界に生きていたのである。産業革命が持続的経済成長を成し遂げたのは、たゆまぬ技術革新のお陰であったが、今世紀中には容易に到達できる科学的知見は概ね発見されてしまい、持続的に技術革新を続けていくことはどんどん困難になるだろう。つまり、人間の知性的領域が、ついに収穫逓減的になってしまうのだ

これは、人間の知性の限界に到達するということではない。収穫逓減的になるということは、次の発明・発見をするのは、それまでの発明・発見に比べてより困難になるということである。学問はこれまで、全世代の学説・知見を継承し、それに立脚することで、より多くの新しい発明・発見を可能にしてきた。ニュートンが、「私がより遠くまで見通すことができたのだとしたら、それは巨人の肩に乗っていたからだ」と述べたように、先人の業績は人間がより知的な意味で生産的になるための土台であった。すなわち、知的生産は時間軸的に見て収穫逓増的だったのだ。しかし、今世紀中には、先人の業績に新たな知見を加えることはどんどん困難になっていく。そうすると、どういうことが起きるか。

新たな技術革新が生まれないということは、旧来の秩序を脅かすものがなくなるということである。つまり、技術革新とは、社会に不安定要素をもたらすものでもあったのだ。それがなくなると、人間性来の社会安定化の指向を止めるものはないため、どんどん社会の構造が固定化する。格差や階級が固定化し、既得権益を脅かすものがなくなり、新しい文化や価値観が生まれなくなり、社会の活力がなくなってしまう。これが、社会の「中世化」である。もちろん、これも悪い部分ばかりではない。社会が中世化すれば、20世紀に生まれた文化や価値観はより洗練され、持続的な形へと発展していくだろう。そして、22世紀や23世紀に受け継がれるべき、偉大な精華が生まれうると思われる。しかし同時に、停滞した社会では、明日への希望なき多くの底辺の人間も生まれる。それが、偉大な精華を生むための社会的コストなのだ。

どのような社会が望ましいかは、どのような価値観を持つのかに依存する。だから、中世化した社会で偉大な精華を生み出すことに価値を見出し、そういう社会がよいと考える人もいるだろう。しかし、社会を構成する多くの人間は、実際にはそういう社会で下層階級で生きることになるのは間違いない。だから、多くの人間にとっては、ある程度社会が不安定で流動的であることが望ましいはずだ。その意味で、私はこれからの世界にとって、組織的に不安定要素を導入することが重要であると思われるのだ。産業革命この方2世紀ほど、技術革新というものが社会の不安定要素であり、だからこそこの2世紀は空前の繁栄を謳歌した。持続的技術革新が困難になったとき、社会の不安定要素になるものを見出すことは、人類の福祉にとって重要な課題であろう。

そしてもうひとつ、これからの社会がこれまでの社会と異なるであろうと予測されることがある。それは、文明が費用低減的から費用逓増的になるだろうということだ。その一つの例として、先程学問について述べておいた。俗な言い方をすれば、21世紀、学問は「拡大路線」を取れなくなるというという予想だ。これは何も学問だけについて言えることではない。本稿では、農耕社会は費用逓減的な生産様式であったことが社会の巨大化を招き、それが文明を生む要因の一つであったと説明していた。文明は、費用逓減的なものとして生まれたのだ。すなわち、文明は一度生まれると拡大路線を歩むということだった。しかし、これからの文明は費用低減的でいられなくなるかもしれない。学問について述べたことが、社会全体で当てはまるようになるかも知れないからだ。

具体的には、大量生産・大量消費的な産業、重厚長大的な産業、画一的なイデオロギーが栄えたのは、20世紀までだったと振り返られる時が来るかもしれない。なぜなら、本当に世界が中世化するなら、グローバルプレイヤーよりも小さな組織が繁栄する可能性があるからだ。現在、まだその兆しは明確には現れていない。むしろ、20世紀よりも企業が巨大化している面すらある。しかし、グローバルプレイヤーが競争上有利なのは、より多くの資源を研究開発に投資できるからという側面が強い。研究開発の意味が薄れてしまうと、グローバルプレイヤーは巨大で鈍重な組織の重みに耐えかねて、分裂していくように思われる。そして、これは産業だけでなく、思想についても言えるだろう。

私は、もともと人間は個人のレベルで多様な戦略・生き方を持っており、それこそが人間という種の強みであったと述べた。しかし、農耕社会はそれを一つの思想の枠に嵌めてしまった。人間が本来持っていたはずの多様性は、費用低減的な、20世紀型の拡大路線の中で見失われてしまったのだ。それが、費用逓増的な世界になって、大量で長大なものより、僅少で短小なものが生産的であるような時代が来ることによって、改めて人間の多様性に光が当たるかも知れない。そして、情報社会という大きな変化が、間違いなくこの傾向を後押しするだろう。

そして、思想や宗教のあり方もこれまでとは変わったものになっていくだろう。本稿において、人間社会が持つ制度が、その時の環境に適応する形で成立してきたことを述べた。例えば婚姻制は、女性が子育て中に資源を継続的に与えてくれる保護者を必要としたことから成立したものだ。しかし、社会福祉制度が整い、女性一人でも比較的楽に子供を育てることができる社会になれば、婚姻制は少なくとも表面的にはその必要がなくなる。実際、社会福祉が充実した北欧の諸国が「フリーセックス」の国だと(一部誤解もあるが)言われるのは故なきことではない。もちろん、単に資源の確保だけならば婚姻制はなくなってしまうだろうが、それと同時に、人間は「愛」という感情を発達させた動物であることにも留意すべきだ。人間に必要なものは金だけではなく、やはり、愛、慰安、信頼できるパートナー、絆というものも不可欠なのだ。というのも、そういう結びつきの中にいるほうが心地良く幸福感を持つように人間本性が進化しているからだ。

そういう自然な感情を軽んじてはいけないが、同時に、社会の変化に合わせて、思想や宗教をも変化させていくことが必要であり、また必然でもある。未だ我々は未来の思想や宗教がどういったものになるのか予見することはできない。しかし、未来の思想や宗教を形作る上で私が重要だと思う観点をいくつか述べて本稿の終わりとしたい。

一つ目は、人間本性に立脚したものであるということ。これまでの社会で支配的だった思想や宗教は、これまで述べたように人間を収容する檻の役目を果たした。これからの思想や宗教は、人間本性を肯定し、人間の求める自然な幸福を実現するものであって欲しい。

二つ目は、「外来種としての人間」ということを自覚したものであること。一つ目と矛盾するようだが、文明の中で生きる限り、人間は世界にとって外来種であり、自然な幸福など望むべくもない。しかしだからこそ、人間本性の求めるものと世界の矛盾をどうにかして解消していくことが求められる。例えば、その解消法の一つは、現代社会において、人間本性の求めるもののイミテーションを創りだすことであろう。もはや、外来種としての人間には、本来適応していた環境をハリボテで再現するしか自然な幸福を感じる方法が残されていないように見える。

三つ目は、社会の不安定要素を肯定すること。技術革新という不安定化要因がなくなった社会では、人間社会は極度に安定化し、停滞することが予想される。停滞にも良い面と悪い面があるが、人間本性に立脚した考え方をすると、適度に不安定要因や流動性がある方が好ましい。ただし、二つ目の観点を踏まえると、もしかすると、その不安定要素はイミテーションに過ぎないものになっているかもしれないが。

そして最後に、人間の多様性を肯定すること。これまで、支配的だった思想や宗教はあまりに全体主義的すぎた。社会が中世化するとともに、情報流通技術がより進むと考えると、世界はむしろ分散化・多様化すると思われる。そのため、思想や宗教もそれに対応したものである必要があるだろう。

2010年9月1日水曜日

農耕という不幸(4)都市という牢獄が世界宗教を生んだ

【要約】
  1. 農耕社会は、都市を生み出した。都市は、人間本性にとって居心地が悪い牢獄のような場所なのに、なぜ繁栄したのか。 
  2. 都市が誕生した理由は、寒冷化による農業生産の不安定化だという説がある。生産性を高めるため、大規模化と分業化による労働集約的な都市ができたのだ。そのために、都市は中央集権的になった。 
  3. 都市の成立には、防衛の観点もある。異民族の侵入に備えるための城壁や要塞が必要であり、壁の内側に住民が住むことが都市を形作った。 
  4. 文字の発明も都市の成立にとって重要だ。中央集権的な行政を運営する上で、信頼関係のない不特定多数の人間を相手にする必要があると、文字がなくてはならないからだ。文字は支配装置の一つだった。 
  5. 貨幣の発明も都市の成立にとって重要だ。貨幣は分業化を可能にした。貨幣がなければ、財の交換に大きなコストがかかり、生産と消費を分離する都市は成立しなかっただろう。貨幣は、それまでは人間関係の中に存在していた財の価値を具体化するメディアだった。貨幣は、様々な関係性で結ばれていた人間関係を解体し、人間は貨幣によっ て関係付けられることになった。 
  6. 都市は様々な面で人間本性のあり方に反しているが、この矛盾を解消する必要があり、仏教やキリスト教のような最初期の世界宗教はこの課題に取り組んだ。 そして、これらの宗教は、 中央集権 制、防衛機構、文字、貨幣など都市化を成立させる要素を否定しているように見える。 
  7. 特に、貨幣は強力なメディアであるため、これに対するスタンスは重要だったに違いない。金に惑わされるなという教えは現代でも通用する。 
  8. 貨幣というメディアで囲まれ、 農村社会で存在していた親密な信頼関係が崩壊し、中央集権という巨大な装置の中に組み込まれ、人間らしいリアリティが失われた中でどうやって人間が生きるのかということが、最初期の世界宗教の課題だった。彼らの答えは、人は究極的には独りであり、人間は個人で生きるしかないというものだ。 
  9. その思想は、社会性の動物として進化してきた人間本性に反したものである。しかし、人間本性に反した存在である都市が繁栄してしまったからこそ、世界宗教の思想は栄えたのであろう。 
  10. 都市は人間本性に反しているにも関わらず、成功しすぎた。そして、多くの人間が個人として生きざるをえなくなった。ヒトは社会を離れた社会性動物という奇形的存在になったのだ。

農耕社会は、狩猟採集社会に比べ大規模になった、ということは既に述べた。今回は、農耕社会は単に大規模になっただけでなく、都市を生み出したということについて述べたい。

私は、本稿の最初の方で、人間は「文明/都市」という檻に入れられた動物だとする見方を提示した。都市は、人類が本来適応していた環境とは大きく異なる。都市には心地良い自然がないし、窮屈だし、労働は辛く退屈、周りは知らない人だらけで、人が生きる上での基本的な人間の信頼関係すら不安定な要素を抱えている。このような環境は、人間本性が快適と感じられるものではない。都市は、人間の精神をすり減らす牢獄なのだ。

しかし、ではなぜ、都市が生まれ、そしてそれが繁栄したのだろうか。都市がそんなにも人間を抑圧したのなら、都市は村落社会との競争に負け、消失してしまったのではないだろうか。そうでなかったとしても、人間が都市の中でそんなにも苦しむのなら、人間は都市を捨てればよかったのではないだろうか。今回はこれについて考えたい。

まず、なぜ都市などというものができたのだろうか。簡単そうに見えて、意外と難しい問いである。仮説の一つは、農耕の開始と同じく、寒冷化によってもたらされたというものだ。紀元前3000年から4000年くらいは、「ヒプシサーマル期後の寒冷期」と呼ばれており、世界的に寒冷化した時代である。この寒冷期において、農業生産は不安定化したに違いない。そこで、牧歌的な農耕社会は存続できなくなり、中央集権的な集約農業の必要性が増したであろう。それが、都市の成立の理由なのかもしれない(なお、農耕の開始をもたらした寒冷期は別の寒冷期であるが、世界同時的に農耕が開始されたわけではないので、細かい点は今は触れない)。

都市の誕生が、本当に寒冷化に対応するためだったのかは不明だが、ここで重要な点は、都市は生産性を向上するために生み出されたという考え方である。古代都市というと、大勢の神官たちがいたり、インフラが整っていなかったりというイメージがあり、決して生産性が高いように思えないが、 実際は、都市以前と比べると生産性は確実に向上していただろう。

その理由は、大規模化と分業化である。大規模化については、農耕は費用低減的であるということから既に述べた。分業化については、人間の得意不得意にはばらつきがあるということから、比較優位のある作業に特化すると、全員が同じように作業するよりも全体の利得が増大するということで説明がつく。もちろん、古代における分業は得意不得意というよりは、職能集団に基づいて分業がなされていたのだが、これでも結論は変わらない。分業することにより、より頑強で使いやすい農耕器具が生み出されたし、安定的な灌漑施設を構築できた。そして、より精度の高い暦を作ることができ、作付計画は厳密かつ効率的になっただろう

現代においても、特に発展途上国において、半ばスラム化したような大都会にどんどん田舎から若者が流れてくる現象が見られる。スラム化しているような都市に来て、どうするのだろうと思うが、実は、都会にいるほうが田舎にいるよりも、生涯賃金の向上が期待できると主張する人もいる。単に都会に夢を見ている素朴な人もいるだろうが、実際に都会にいることが得にならないことが分かれば、田舎から都会への人の流れは持続的なものにならないだろう。古代に都市が成立した際も、このような人口の流入があったのかもしれない。寒冷化など何らかの理由で農村社会の生産性が落ちたとき、高い生産性を保っていた誕生間もない都市に人口が流れていったと考えられないだろうか

都市が農村よりも生産性が高かった原因は、大規模化と分業化であると述べたけれど、ではそれを実現した仕組みは何かといえば、紛れもなく中央集権化であろう。中央集権、つまり少数の権力者が人間社会を運営することにより、効率的な生産を可能にしたのだ。具体的には、統制の取れた計画、安定した労働力を確保するための階級制や奴隷制、技術の維持のための職能制、そしてこれらのしくみを正当化するための思想の構築。これについては前々回に述べたので繰り返さないが、要は、都市というものは、必要に駆られて作った全体主義体制なのだ

さらに、最初期の都市が生まれた時期に当てはまるかどうかは不明だが、都市の成立には防衛の観点も深く関わっている。特に、世界が寒冷化すると、遊牧民が拠点地から離れて、農耕民の暮らす世界に流れこんでくる。そのため、農耕民の居住地には、高く頑丈な壁、城壁、要塞などが必要になる。そして、住民は城壁で区切られた内部に居住することになるため、都市が成立してくるのである。日本においては異民族の侵入という事態は元寇の例外を除けばなかったため、ついに大陸風の都市国家は成立しなかったが、基本的に都市は防衛の単位でもあった

そして、既に説明したように、戦争というような集団間暴力が生まれたのは、農耕によって富が集積するとともに、土地や設備を守らなくてはならなかったからなのだ。だから、遊牧民という脅威が都市を作ったのではなくて、やはり農耕という生産方式が都市化を指向する部分があると考えたい。つまり、人間は富を持ってしまたことで、外敵に対抗して強くなる必要があったのだ。それまでの人間の敵は肉食動物や毒を持つ小動物・昆虫だったのが、都市構築の基本コンセプトは、人間の敵は人間、ということなのだ

また、別の観点から都市の成立にとって重要な発明がある。それは、「文字」である。都市は多くの人口を擁する。そして、それは基本的には中央集権的なものなのであり、そこの構成員は信頼関係では結ばれていない。特に、租税の徴収や土地の所有権など、関係者の言い分を聞くことで解決できない問題も多い。そこで、文字が必要になる。現代文明に生きる我々は、文字は便利なものであり、一度発明されるとすぐに広がるような印象を持ってしまうがそれは違う。文字を持たない社会では、(他の文化の)文字を知っていてもそれを使おうとはしない。なぜなら、何かに書いたものが信頼できないからだ。紙に書くと、風で飛んでいってしまうかもしれない。木に書いても、燃えてしまうかもしれない。それに比べて、当事者同士が覚えているなら、一番確実だという。実際、無文字社会での人々の記憶力は驚異的なものがある。

しかし、都市という環境では、それは通用しなかっただろう。まず、記憶しなければならないものの量が圧倒的に多い。なぜなら、中央集権的なシステムを構築しているため、行政機構の人間は租税徴収などについて大量の記憶をしなくてはいけないからだ。さらに、不特定多数の人間を相手にしなくてはならないため、当事者同士、といったような信頼関係を前提とすることができない。だから、客観的な記録の手段が必要であり、それが文字の発明へのインセンティブだったろう。つまり文字は、不特定多数の人間を中央が支配するために生み出されたという側面があるのである。文字は支配装置の一つなのだ。

都市の成立を考える上でもう一つ重要な要素は、「貨幣」の発明である。先程述べたように、都市の本質の一つは分業化である。もっと言うと、生産と消費を分離したことである。農村社会においては生産と消費が一体不可分になっており、基本的に人は生産したものを消費し、それ以外の必要品については物々交換(等価交換)や互酬的な交換(その場で等価なものと交換するわけではないが、別の機会に逆向きの提供が行われるなど、長い目でみると損得ゼロになるような交換)に依っている。しかし、都市では、このような交換は全く不能になる。まず、人間関係が固定的ではないので、互酬的な交換は不可能である。そして、物々交換もかなり難しくなる。なぜなら、野菜を持っている人が農耕器具が欲しい場合、農耕器具が余っていて野菜が欲しい人をいちいち探さなくてはならないからだ。都市においてこのように特定のニーズを持った人を探し出すのは困難である。

そこで、貨幣が登場する。貨幣は、こういった物々交換を不要のものにした。貨幣は、支払いの手段、貯蔵の手段、価値の尺度などの様々な機能があり、このうち物々交換を不要にしたのは、もちろん支払いの手段としての機能である。貨幣が存在しなければ、財の交換に大きなコストがかかり、生産と消費を分離することはできなかったであろう。ここで生産と消費が分離したというのは、生産としての村落と、その統治や生産物の集積としての都市との対立が誕生したということでもある。このように書くと、都市が村落を搾取しているように感じられるかもしれないが、それは違う。都市が中央集権的、集約的な構造を作り、村落がその構造の中に位置づけられることによって、村落の生産性も上がったのではないかというが、私の意見である。

さて、貨幣は、これだけでも本が一冊書けそうな重いテーマである。しかし、ここでは先を急ぐので、簡単に次の事実を指摘するに留めたい。貨幣は、これまで人間関係の中に存在していた財の価値を外に取り出したのだ。つまり、貨幣は価値を具体化するメディアだった。貨幣の登場以前においては、ものの価値というものは、信頼、互酬性、相互監視、血縁、利害関係などで結ばれていた人間同士が、互いの関係において決めていた。「決めていた」というよりは、自ずから決まっていたのだ。それが、貨幣が登場したことにより、そういった人間関係は、全く価値に関係ないものではないにせよ、中心ではなくなったのだ。そして、貨幣は、様々な関係性で結ばれていた人間関係を解体し、人間は貨幣によって関係付けられることになったのだ。貨幣は、人間を関係付けるメディアにもなったということだ。もちろん、最古代の都市成立時においては、これは言い過ぎかもしれない。当然ながら、都市においても血縁関係は重要だったし、ご近所づきあいのようなものはあっただろうし、交易という面から見ても、経済的な相互依存関係はあったはずだ。ただ、一度貨幣というメディアを通して世の中を見るということが定着してしまうと、そういうリアルな関係よりも、貨幣というメディアを通した関係の方が見えやすくなってしまったと思われる。

さて、これまで述べたように、都市は、様々な面で人間本性のあり方に反している。だから、都市が抱える矛盾を解消する必要があったと思われる。そして、それに応えたのが、仏教やキリスト教のような最初期の世界宗教である。 このことは、既に本稿の初めの方に述べておいたことであるが、今回はより詳しくこれについて考察したい。

最初期の世界宗教が成立した時、都市も現在の形のように発達していたと考えられる。具体的には、上に掲げたようなしくみ、すなわち中央集権制、防衛機構、文字、貨幣のようなものを備えた都市であっただろう。そして、最初期の世界宗教は、このようなものを基本的に否定することによって成立したものであるように思われる

例えば、中央集権制。ブッダは王子だったとされているが、王城での暮らしを捨てて修行生活に入った。ナザレのイエスはローマに反抗して処刑されている。防衛機構という観点では、そもそも中央集権を否定しているので明確には論じられていないが、キリストも仏教の場合も、争いの否定ということは言われている。また、文字については、これはむしろ文字の成立が世界宗教の成立を促したという側面があるので、かならずしも宗教の始祖たちが反文字の立場に立っていたかどうかはわからない。しかし、ブッダ、ナザレのイエス、孔子、ソクラテスなど古代の思想家の多くが自らは文字を残さなかったということは示唆的に思える。要は、文字は信頼する相手とのコミュニケーションに使うものではないということではなかったのだろうか。そして最後に、貨幣であるが、これは私が最も気になる部分である。

先述のように、貨幣は強力なメディアであり、人間関係のあり方を変えてしまう程の破壊力を持っていた。これに対してどのようなスタンスを取るのかということが、最初期の世界宗教にとって重要だったに違いない。そして、私の見るところでは、貨幣を否定はしないにしろ、要は「金に目をくらまされるな」「金で表される価値に惑わされるな」ということを最初期の世界宗教は述べているように思われる。特に、ユダがイエスを銀貨30枚で売ったということは私に取って非常に象徴的に思える。貨幣経済登場以前においては、こういう事態は存在せず、裏切りの原因は怨恨とかいい女といったものではなかったろうか。貨幣という単なるメディアが宗教指導者を裏切る原因となるという筋書きは、十分に現代的であると思うがどうだろうか。

つまり、貨幣というメディアで囲まれ、農村社会で存在していた親密な信頼関係が崩壊し、中央集権という巨大な装置の中に組み込まれ、人間らしいリアリティが失われた中でどうやって人間が生きるのかということが、最初期の世界宗教の課題だったのだ。そして、彼らの答えは、信頼すべきリアリティある共同体がなくなってしまった中、人間は個人で生きるしかないということだったのではないだろうか。個人というと、近代に登場した概念であるとよく言われるが、中世から近代の封建制が共同体との濃密かつ安定的な関係を保っていたために個人の意識が発達しなかったのであって、封建制のような支配体制が成立する以前の古代社会においては、意外と「個人」という意識は明確だったのではないかと思われる。

その証拠に、原始仏教においては、「人間は独りである」ということが繰り返し述べられるし、キリスト教においても、神の前の独りの人間という概念は基本概念であると思われる。このような教えを表明した仏教やキリスト教も、封建社会の成立など、社会の変化とともに教義の内容が変化し、共同体よりに変わっていくけれども、最初期においては、かなりラディカルだったと思われるのだ。

しかし、人は究極的には独りであるという思想は、根本的に人間本性に反したものである。なぜなら、人間は社会=群れで進化してきた動物であるからだ。人間は、物事の価値を社会の中での相対的な位置づけによってしか測れないし、幸せや不幸、快楽や絶望といった根本的かつ強力な感情すら社会的文脈に依存して発動するものである。だから、人は究極的には独りであるという思想は、大多数の人間にとって簡単に受け入れられるものではない。しかし、最初期の世界宗教はかなり大きな改変を経ながらも、現代までなんとか生き延びてきた。本当にラディカルだった認識の方ではなく、単なる因習や迷信のような部分の方がより強く生き延びているように見えるのは皮肉だが、それでも現代まで残ってきたのは、やはり都市と人間本性の問題に絡んでいたからではないかと空想したくなる。都市が人間本性に反する存在だったからこそ、人間本性に反する思想が栄えたのである。

都市は、これまで述べたように、人間本性には反する部分があるが、中央集権による生産、防衛などの面で農村に比べ確実な優位性があり、歴史的には浮沈はあったものの、基本的には大きな成功を収めてきた。具体的には、より多くの人口を擁し、安定的な社会を構築してきた。もし、都市という仕組みがもう少し脆弱な構造を持っていれば、人間には、都市で暮らすのではなく、もっとのびのびと農村で暮らす選択肢も多分に残されていたのかもしれない。しかし、生産や防衛が重要になればなるほど都市の重要性は増し、今では、世界人口の大きな割合が都市に住んでいる。つまり、都市は人間本性に反しているにも関わらず、成功しすぎたのだ。だからこそ、人間の多くにとって、個人として生きる道しかなくなってしまったのだ。そう、人間の多くは、生まれながらにして都市という牢獄で生きるしかなくなったのだ。これは、生物としてのヒトには不幸な事態だったに違いない。つまり、ヒトは社会を離れた社会性動物という奇形的存在になってしまったのだ。ここに、人が苦しむ理由の多くが存在しているのではないかと私は思う。