2010年12月22日水曜日

【善と悪】これから、進化と倫理について述べたい

善と悪は、人間を苦しめるしつこい「規制」の一つである。

善悪はアプリオリ(先験的)に決まっているものではない。善悪は、人の作り出したものである。その意味では、フライパンやデリバティブ取引や戦車と同じである。誰しも、人間という存在はこれらの被造物に優越すると思う。しかし、善悪の場合は、人間存在自体よりもこれが重要だ、と思う時がある。善悪のために、人は自ら死を選ぶことすらある。

ソクラテスは自ら毒杯をあおった。法に従うことが彼にとって善だったからだ。なぜ、善と悪、言い換えれば「正義」は我々を強く「規制」するのだろうか?  善悪という規制は、交通法規や金融商品取引法といった規制と何が違うのだろうか? そして、そもそも善や悪とは何なのか?

これらの疑問に対して、あなたは簡単に答えが出せると思うかも知れない。しかし、どのような行動が善であると呼びうるかは、西洋哲学が2500年以上考えてきた問題であり、今もって答えが出ていない根源的な問いである。そして、善悪という価値観が持つ「規制」としての力の源泉は、ようやく1980年代になって進化生物学の知見とゲーム理論の知見が融合して分かってきたものである。

私は、進化生物学と哲学の考え方を土台として、倫理の問題を検討してみたいと思う。これはすでに「進化倫理学」という学問が成立しつつある課題であはあるが、学術界でも支配的な学説がない状態であるので、私のような素人が大胆なことを言うことも許されるのではないかと思う。

もちろん、進化倫理学の先達の学究は十分に尊重したうえで、安易な妄想は避けるべきである。とはいえ、私は一好事家に過ぎないので、当然知っているべき研究について知らない場合も多いと思われる。そういう場合、読者諸賢からのご指摘を俟ちたいと思う。

【参考文献】
進化倫理学についての全体像を簡単につかめる手軽な本はまだ出ていないと思われる。しかし、倫理が進化的な産物であることはダーウィンが進化論を提唱した際に既に示唆していたことである。よって、「進化と倫理」という切り口の研究は割と存在している。そういう流れをまとめた本として、京都大学名誉教授の内井惣七先生の「進化論と倫理」は大変よくまとまった佳作としてお薦めできる。なお、内井先生はWEBでたくさんの論考を公開されているので、先生のWEBサイトを見るだけで、進化と倫理については十分学ぶことができる。

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