2010年8月28日土曜日

農耕という不幸(3)必要悪としての戦争と階級制

【要約】
  1. 近代的な意味での戦争が生まれたのは、農耕社会以降である。なぜなら、狩猟採集社会においては、攻める方にも応戦する方にも戦う理由があまり無いからだ。農耕社会においては、蓄積された資産、守るべき食料と土地があり、戦争するインセンティブが存在したために、近代的な意味での戦争が生まれた。人類史的には、戦争はごく最近の現象であるために、戦争は放棄できると主張する人もいる。
  2. 農耕社会での戦争のインセンティブとして、具体的には飢餓がある。飢餓は戦争の原因として普遍的だが、それより本質的な理由として、農耕という生産方法が人間にとって非常に退屈であったために、単純作業を奴隷にやらせたいという欲求があったことがあるのではないか。
  3. 奴隷の存在から、階級制が生じる。階級制誕生の原因は、農耕における仕事が単純で退屈だということが大きいのではないか。 人間本性には元来合致しない「労働」を必要とする社会を作り上げたため、階級制が生まれたのだ。
  4. また、個人のレベルでは必ずしも利益にならない戦争に群れのメンバーを参加させるために、戦争を正当化する思想が生まれただろう。これは、19世紀以降の近代的戦争にも当てはまる。
  5. 戦争がなくならない理由の一つは、人間の倫理観は、あくまでも群れの内部を友好的・協力的に保つために進化したものであり、群れの外の人間には適用されないものだということだ。だから、戦争の抑止のためには、全ての国家が共通の利害を何かしら持つことが必要だが、これは現実的には困難だ。
  6. 二つ目の理由は、戦争は旧い社会秩序の破壊に役立つということだ。人間社会の大多数は、かなり秩序が安定してしまっているが、そのような社会は人間本性に反している部分があるため、脆弱となり、新興勢力に滅ぼされてしまう可能性が高い。戦争は、停滞した社会が活力を取り戻す手法の一つであり、必要悪だ。
  7. その意味で、戦争を撲滅させたいのであれば、戦争に代わる社会秩序の破壊法を見出さなくてはならないと思われる

私は以前、農耕社会において相続がなされていったことが階級制誕生のきっかけであったと述べた。今回は、戦争という観点から階級制の創出について考え、また、戦争そのものの持つ意味を考えてみたい。

さて、以前、狩猟採集社会でも戦争はあったが、それは近代的な意味での戦争ではなかったと述べた。近代的な意味での戦争が生まれたのは、農耕社会以降の話であって、戦争というのは、人類史的にはごく最近の現象なのだ

なぜかというと、狩猟採集社会においては、他集団から略奪できるものがあまりないということと、その時の居住地に固執する理由もないため、仮に敵から攻めて来られても、単に逃げればよいからだ。だから、攻める方にも攻撃の理由があまりないし、攻められる方にも応戦する理由があまりない。だから、狩猟採集社会においては、集団間の争いという意味での戦争はあったけれど、大規模な資源の略奪としての戦争は存在しなかった。

一方、農耕社会においては、富の蓄積が組織的に行われているし、軽々に移動できないような資産(例えば、灌漑設備、大きな家屋)もある。だから、それらを略奪するインセンティブがあるわけだ。そして、攻められる方も自分たちの資産を必死で守る必要がある。土地を奪われることは、農耕民族にとって死活問題だし、仮に土地を守れたとしても、備蓄していた食料を奪われると次の収穫の時期まで人々は飢えなくてはいけない。

だから、攻撃にも応戦にもインセンティブがあるのだ。これが農耕社会において戦争が生まれた理由である。そして、この主張は考古学的証拠により支持される。大量の武器(矢尻、投石機など)と戦いによって死んだ多数の人骨は、農耕社会出現以降、大雑把に言って7000年前から6000年前くらいから出土するようになる。だから、人間はその黎明から現代までのほとんどの期間、戦争というような状態を経験したことがなかった。集団間の暴力というものはサルの時代からあっただろうが、組織的かつ計画的な、大量の虐殺と略奪という意味での戦争が人類史に登場するのは、つい最近のことなのだ。

人は、弓矢や投石といった殺傷能力の高い武器を開発し、動物としての能力を遥かに超えた攻撃力を持つようになった。だから、人間本性(human nature)が戦争を志向していないということではなく、単に、そういった技術革新が、人間本性が持つ攻撃性を拡大しただけだ、という考え方もあるかもしれない。確かに、以前述べたように、ヒトは他の肉食動物が持つような、同族に対する攻撃性の本能的な制御機構を持っていない。これは、戦争というむごたらしい行為を可能にする理由の一つではある。しかし、事実人類は、数百万年にサル(ape)からヒトとなる道を歩み始めた時から、戦争などというものを経験してこなかったのであって、戦争が人間本性に立脚する行動であるとは言えないというのが私の考えである。

そのため、ある人は、戦争は必ず放棄できると主張する。いつの日か、人間は「昔は、戦争という組織的な争いがあってね」というような昔話をする日が来るだろうというのだ。確かに、国際連盟や国際連合の取り組みは、必ずしもうまくいったとは言えないが、一つの進歩なのは確かだ。しかし、私はその見方は少しナイーブすぎるのではないかと思う

その理由について述べる前に、農耕社会における戦争についてもう少し深く考えてみたい。先程、農耕社会においては、「攻撃する方にも応戦する方にもインセンティブがある」と述べた。しかし、応戦する方のインセンティブは当然だが、攻撃する方のインセンティブは本質的にはどんなところにあっただろうか。もちろん、うまくすれば大きな富を一時にして得ることができるが、そのためには仲間の犠牲もある程度は覚悟しなくてはいけない。費用と便益を天秤にかけたとき、果たして戦争は得になるのだろうか? 人間は自分が死ぬ可能性があっても、他の集団の富を収奪しようとするのだろうか

つまり、戦争というコストのかかる行為をするためには、大きな利益が期待できるだけではなくて、それがやむにやまれずに行われるものである必要があるのではないだろうか。例えば、そういう理由として考えられるものは、飢餓である。農耕社会においては、計画的に食料を生産するため、その計画が狂った時の修正が大問題になる。欠乏をすぐに補う方法がないからだ。例えば、不作の時、次の収穫時までの食料が絶対的に足りないという状況になったらどうするか? 何もしなければ、群れのメンバーの幾許かは餓死してしまうということが明確な食料の備蓄量だったとき、あなたが群れのボスだったらどうするだろうか?

対処方法の一つは、別の群れから食料を奪うというものだろう。これは十分に戦争の理由になるのではないかと思う。事実、そういう理由で起こった争いも多かったに違いない。歴史的には、他集団の大規模な侵略は大きな気候変動と連動するように起こっているが、これは飢餓が戦争を起こす要因として大きいことを示している。例えば、ゲルマン人の移動やモンゴル人のシナ地方への侵略は、地球規模の寒冷化による飢餓がその要因の一つに挙げられている。飢餓は戦争の原因として最も普遍的なものであることは間違いない。ただ、私は、農耕社会で戦争が出現した原因が他にも考えられるのではないかと思う。

既に述べたように、農耕という生産方法は、人間本性にとって、非常に退屈な作業であったに違いなく、できれば、単純作業から開放されたいという強い欲求が生じたに違いない。つまり、農耕は奴隷を欲したのである。狩猟採集社会においては、通常は奴隷のような存在は見つからない。狩猟社会では、単純労働はあまりないし、そもそも群れのサイズを大きくすると、一人あたりの生産高は減ってしまう。一方、農耕社会は費用低減的であるので、大規模に耕作を行うことが得になる。だから、退屈な農作業は奴隷にやらせようというわけだ

そう、奴隷を獲得するために戦争を行うのである。実際、農耕社会以前においては、奴隷のような人間はいなかったと考えられている。飢餓が戦争の大きな理由であることは否定しないが、奴隷の獲得もかなり重要な戦争の動機だったのではないだろうか。戦争で獲得した奴隷を労働力として使うことで、農耕社会はより発展しただろう。そして、親世代のもつ資産(これは、有形無形のいろいろなものを含む)を子供世代が相続するという人類特有の行動と相俟って、階級制が誕生したのである。つまり、階級制は、そもそも農耕における仕事が単純で退屈だということが大きな原因であるように思えるのだ。農耕社会において、仕事は「労働」になった。一方、狩猟採集における仕事は大変なものではあっても、単純さや退屈さはあまりない。それらは、探求やスリルなど、我々の人間本性が求めるものを提供してくれる側面もあるからだ。つまり、我々が、人間本性には元来合致しない「労働」を必要とする社会を作り上げてしまったが為に、階級制が生まれたのだ

ただし、先程の問いに戻って考えてみると、戦争を行うには群れのメンバーに危険を強いることが必要だったわけだが、奴隷獲得のためという理由はその動機として十分であろうか。飢餓状態では、人はやむにやまれず戦いに繰り出しただろう。だが、労働力の確保というような目的で、人は危険を犯して戦争などしただろうか。

私は、必ずしも奴隷獲得は自らを危険にさらす強い動機にはならないと思う。しかし、前回議論したように、農耕社会において成立した「善悪の概念」が、こういった場合に生きてきただろう。つまり、思想的に戦争が正当化されたのではないかということだ。そして、個人のレベルでは必ずしも得にならない戦争に、参加させられた大勢の人間がいたのではないだろうか。

そう考える理由として、多くの神話には戦争が描かれているということがある。神話は、過去の歴史、民族の思想を伝えるものであり、未来への指針ともなるものである。現代に残っている神話に、戦争のことがよく出てくるのはなぜならのだろうか。一つは、戦争という記憶が大変に強烈なものだったということがあるだろう。しかし、それだけでなく、神話は群れのメンバーに戦争を正当化する理由を与えたのではないだろうか。もっと言えば、群れにとって戦争を善とする思想が形成されたのだ

これは、19世紀以降の戦争にも言えることである。19世紀以前の戦争、特に封建社会における戦争には、善悪の概念はない。なぜなら、戦争は利益のために行うものであり、封建領主との契約や相互依存関係に基づいて、その利益は参加者たる戦士階級や傭兵に分配されたからである。こういう形で戦争が行われる限り、戦争は利益を生むことこそ必要だが、善である必要はない。しかし、19世紀以降の戦争においては、より大規模化したことで、国民全員を動員することが必要になった。実際には戦争に勝利しても利益を得ることがない一般国民を戦争に動員するには、思想的にまとめ上げるしかなく、善のための戦争を掲げざるを得なかった。なお、私は、これが国民国家(nation state)が生まれた背景として重要ではないかと思っている。

このことは、古代社会の戦争においても言えたのではないだろうか。戦士階級や傭兵といった階級が未分化だった時、戦争は群れ全員を巻き込むようなものだったはずだ。その際、人類は、本質的には利害を共有していない群れの大多数を戦争に駆り出すため、その思想を統一する必要に迫られたと考えられる。これは、もちろん前回の主張と同等なので詳しくは述べないけれども、古代思想のある部分は、利害を実際には共有していない群れのメンバーを仮想的に利害関係者に仕立て上げる機能を有していたのではないだろうか。

さて、次に、なぜ戦争はなくならないかという点について考えてみたい。先程挙げた戦争が起きる理由は、実際に争いが起きる理由のごく一部ではあるが、現代社会においては克服不能なものではないように見える。飢餓や労働力の確保は、戦争によって解決する方が、現代では高くつくだろう。しかし、やはり戦争は簡単にはなくならないだろう。

一つ目の理由は、人間の倫理観は、あくまでも群れの内部を友好的・協力的に保つために進化したものであり、群れの外の人間には適用されないものだということだ。群れと群れの利害が対立しているとき、他の群れのメンバーへ利他的行為をすべき理由は何もない。人間の倫理観は、あくまでも仲間内だけに適用されるものなのだ。だから、他の群れのメンバーには著しく不利益になるような行為でも、自分の利益になる行為ならば、人間はそれを行うであろう。

戦争を防止するという観点で考えると、そのように人間が行動しないためには、群れと群れの間に共通の利害関係を作ることが重要である。その方法の一つとして、以前述べたように婚姻関係を結ぶということが考えられる。群れ同士を親戚にしてしまうのだ。もちろん、この方法は群れのサイズが大きくなってくると使えなくなる。だから、農耕社会においては、このような方法よりも、交易関係を結ぶといったような方法で共通の利害を構成したであろう。これは、近代社会においても同様であり、国家間の友好のためには、通常は軍事的に不可侵条約を結ぶ必要はなくて、特別に対立する状況になければ、通商の自由化など、貿易拡大で十分であると考えられている。

この観点で現代における戦争の抑止を考えると、全ての国家が共通の利害を何かしら持っている状態が必要だということだ。しかし、これは実際かなり難しい課題である。グローバル化により、国家間の相互依存関係はかなり進んできたけれども、すべての国家が何らかの意味で相互依存することは、不可能でないにしろ、極めて困難であろう。先程、貿易拡大を進めることは国家間の友好に効果的だと述べたけど、貿易においては、利害が対立する場合もかなり多い。そういった利害を超えて、複数国があたかも一つのコミュニティを成すような共通の利害関係を作るのは、 現実的でない。我々は群れの外の人間に対しては冷淡なのだ。これは、いつになっても変わらないだろう。

二つ目の理由は、こちらの方が本質的であると思うのだが、戦争は旧い社会秩序の破壊に役立つということである。これまで縷々説明したように、人間社会は一貫して安定化する方向に変化してきた。その結果、現代においては社会の安定性は非常に高くなっており、社会秩序は非常に強固になってしまっている。一方で、人間本性は適度な不確実性や流動性を前提として進化しているように思われる。なぜなら、社会秩序が強固な、例えば厳しい階級制が存在している社会は、そうでない社会よりも停滞しがちだし、そこにいる人間の満足度が高いようには思えない。

やはり、人間にとって自然なのは、ある程度頻繁にボスが入れ替わっていくことであり、そして、潜在的に誰にもボスになる可能性が存在している状態なのであろう。しかし、そのような下剋上を許す社会は持続的に発展することができない。だから、人間社会の大多数は、かなり静的な構造のものとなってしまった。だが、そのような高度に安定的な社会はいずれ脆弱となり、新興勢力に滅ぼされてしまう可能性が高い。もちろん、滅ぼされた側の大多数の人間にとって、そのような敗北は耐え難いことであろう。しかし、そうなることで、旧い社会秩序の下で虐げられてた者や弱い者、抑圧されていた者などが、新しいパラダイムの中で活力を得たこともあるのではないだろうか

人間の抱えるジレンマの一つが、極度に安定的な社会秩序であるとすれば、それを破壊しうる戦争は、必要悪とみなせないだろうか。もちろん、戦争などというコストのかかるものは無いに越したことはない。しかし、もし戦争がなければ、旧い社会秩序がいつまでも温存され、相当に社会が停滞するように思われる。そして、そのような安定的な社会は、戦争の存在する社会との競争には勝てそうにない。

その意味で、戦争を撲滅させたいのであれば、戦争に代わる社会秩序の破壊法を見出さなくてはならないと思われる。20世紀にアメリカが大きく発展したのは、地政学的な要因はもちろんのこと、移民という社会秩序の破壊要因を積極的に受け入れたからという側面もあったように思われる。管理できるやり方で社会秩序を破壊していく方法を見つけることができなければ、人間社会が戦争なしに人々に幸福を与え続けていくことは不可能であるように思うが、どうだろうか

2010年8月23日月曜日

農耕という不幸(2)不平等のための行政と思想

【要約】
  1. 農耕社会は、人間は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを安定的に構築できたという点で繁栄しすぎた。この群れの構造は、人間の本性にはマッチしていないようだ。にも関わらず、人類の大部分はそういう社会で生きざるを得ない。
  2. なぜ、農耕社会は巨大で安定的な群れを構築することができたのか。理由の一つ目は、農耕はある程度まで収穫逓減的であり、大規模でやれば大規模でやるほど効率がいいからだ。理由の二つ目は、人が「不平等を甘受できる」性質を持っていたということだ。
  3. 農耕社会においては、富を蓄積することが可能になってしまったために、人は「不平等を甘受できる」性質で、本来想定されていた程度を超えて不平等を是認していると考えられる。
  4. 農耕社会で富の蓄積を可能にした理由は3つ。①定住、②農耕における主要生産物が穀類だったことで、食料の長期保存が可能になったこと、③農耕は計画的に余剰生産物を生み出すことができたこと。
  5. 蓄積された富は、ボスが集中管理することになった。なぜなら、人間が進化的に培ってきた分配の哲学は群れの規模が大きいとうまく働かないため、富を分配する社会的な仕組みを作る必要があったからだ。分配は、ボスの重要な機能になった。
  6. なお、ボスが富を集中管理することの正当性は、おそらく不作時に備えるための貯蓄を組織的に行なったということにあるのだろう。
  7. ボスが大きな富を持つことで、ボスの支持基盤も優先的に富が配分される。結果的に、社会は不平等になった。そして、生産と配分を組織的に行うため、行政が誕生した。文明の産物の一つだ。
  8. 安定したボスとその周辺、という社会構造は、群れ全体の満足度とは無関係に存立しているため、その矛盾を解消するものとして、時々、革命やクーデターが起こる。それを防止するため、社会の不平等を糊塗=言い訳する必要があり、そのために作り出された堅牢な論理体系が文明の核ではないか。それは神話によって表現されてきた。なお、民主主義もそういう神話の一つだ。
  9. 文明の別の重要な機能は、群れの全員が否応なく協力するように強制することだ。群れのサイズが大きくなると、協力しにくくなり、相互監視も難しくなる。そのため、協力を実現するために、天国と地獄という観念を生み出したのではないか。これは、現実世界における信賞必罰が不可能な状況で、善行=協力を行うインセンティブとなるからだ。つまり、天国・地獄、善悪という二項対立は農耕社会的なのだ。ただしシナ文明は例外。
  10. 天国と地獄自体は意義があるが、問題なのは、善悪の価値観を決めるのが支配体制だという点。これは一種の全体主義であり、これにより社会の構造が固定化され、社会を停滞させた側面もあるのではないか。
  11. 現代社会において、宗教やイデオロギーが世界的な大問題になっている理由の一つに、文明同士の思想統制合戦の面がないか。文明は、人間から多様な思想を奪ったという部分があるのである。 

私は、前回、農耕社会は繁栄しすぎたと書いた。そして、それこそが人類が不幸になったことを示唆していると書いた。しかし、これは矛盾していないか。普通は、繁栄は良きものであるはずであり、繁栄したら人間は幸せになるものである。

そこで、私の意図することをもう一度正確に述べてみたい。「繁栄」という言葉の意図するところは、人間は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを構築できたことがまず一つ。もう一つが、群れの構造が非常に安定的だったこと。結果として、人間社会が持続的に発展することができたということである。もちろん、最後の結果については悪いところばかりではない。持続的に発展できたことで、乳幼児の死亡率の低下や公衆衛生の改善など、人々の福祉は概ね向上している。しかし、私が問題としたいのは、その前提となっている、「巨大で安定的な群れの構造」である。

私は、人類の本性というものを考えると、巨大で安定的な群れに所属することは必ずしも幸せでなかったのではないかと思う。狩猟採集生活において人類の祖先がそうであったように、せいぜい150人くらいまでのバンド(小集団)で生活することが人間は現在でも居心地が良いと思うし、群れの構造は適度に不安定要因がなければ、既得権益の保護が社会活動の中心になり、(特に若者の)精神が停滞してしまう。人類は常に創意工夫によって生き残って来た生物であり、停滞した群れで生きることは、息苦しさと退屈を招くことが明らかだ。

にも関わらず、農耕社会というものが非常にうまくいってしまったがために、人類の大部分には、農耕社会という巨大で安定的な、そして退屈な群れに所属するという選択肢しかなくなってしまった。そして、そこは、そこそこ居心地が良くて安全なのだ。ここに人類が抱えるジレンマがあるのではないかと思う。

さらに、前回は文明というものを農耕社会の社会維持装置であると述べたが、どういった意味で社会維持装置であるのか、ということについて深く説明しなかった。そこで今回は、なぜ人類は農耕社会において巨大で安定的な群れ=社会を形作ることができたのかということ、そして社会維持装置としての文明の機能について説明したい。この議論を行うなかで、なぜ農耕が人類最大の不幸なのかということの一端を明らかにしたい。

さて、まずは、「人類は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを構築できた」ということから説明していこう。

以前述べた通り、生物の構成する群れには大きく分けると2種類があって、

(1)血縁のない個体が、集団を作っている場合(selfish herdという)
(2)血縁のある個体が、家族としてまとまっている場合

のどちらかである。しかし、人間の群れ=人間社会の場合は、どちらのタイプにも当てはまらず、非血縁者と家族が混在している。群れは一種の利害関係者の集団であり、その利害関係が一筋縄でいかないからこそ、人間の悩みの原因があるのだ、ということを以前は述べた。人間が巨大な群れを構築できた原因は、人間の群れが基本的に血縁ではなく「利害関係者」の集団であるということにある。

狩猟採集社会においては、利害関係者といっても血縁者、つまり家族が中心になる。なぜなら、狩猟採集は収穫逓減(diminishing returns)の生産方法だからだ。つまり、規模が大きくなるほど一人あたりの獲物の量は減る。群れの行動範囲にはいくらメンバーの数が多くても限界があり、 その行動範囲にある食料は一定なので、群れのサイズが大きくなりすぎると、群れを維持することが出来なくなるのだ。だから、狩猟採集社会においては、群れは小さいサイズのほうが概ね得なのだ。よって、自然と利害関係者は血縁者中心になってしまう。事実、現代の狩猟採集民族は例外なく血縁を基本にして社会を構成している。

一方、農耕社会においては、利害関係者が膨大にふくれあがってしまう。なぜなら、ここが重要な点だが、農耕は(ある程度まで)収穫逓増、あるいは同じことだが費用低減(diminishing cost)の生産方法なのだ。つまり、農耕には「規模の経済」が効く。農耕をする場合は、基本となる装置(灌漑、農耕具、生産計画の立案など)はどんなサイズの農耕でも必要である一方、これらが揃いさえすれば、規模を拡大すれば拡大しただけの収穫が期待できる。

なお、現代においては農業は収穫逓増ではない。なぜなら、土地の取得が非常に困難になっているからだ。これは、古代においても山間部などの開墾が難しい地域においては当てはまっていただろう。そして、収穫逓増という条件が最も良く合致するのは、単なる農耕ではなくて、灌漑農耕である場合であろう。だから、文明の起源として、単なる農耕ではなくて灌漑農耕を重視している学者も多い。もちろん、灌漑という大事業を成し遂げることに、文明の力が必要だったことは明らかだ。しかし、灌漑施設の構築には多くの人手が必要であり、これはある程度文明が発達した段階における精算方法だと思われるので、やはり文明の本質を考察する際には、基本は天水による農耕を考えるべきであると思う。

さて、農耕が費用低減的であるということは、農耕社会は本質的に拡大路線になりがちだということだ。しかしながら、規模の経済が効いたから人間は巨大な群れを構築できた、というほど話は単純ではない。ここで、以前議論した人間の特徴が効いてくる。すなわち、「不平等を甘受できる」という性質がそれだ。

この性質が、その説明の際にも述べておいた通り、巨大な群れを構成する際には不可欠な性質であることは明らかだろう。なぜなら、群れが巨大になるほど、大多数の人間は序列の末端に位置することになり、極端な不平等にも甘んじなくてはいけない。動物の群れの場合、いくら規模の経済が効くような状況になっても、ボスになろうとする本能が強いため、大きすぎる群れには必ず離反者が出てくる。つまり、一生ボスになれないなら、独立してやろうという選択をするのである。人間の場合もそのような選択はなくはないが、人間が協力行動から受ける利益は莫大であり、一匹狼的な生き方は大抵得にならない。将来の見込みが不確実でしかも収穫逓減的である狩猟採集社会においては、そういう生き方も得になったかもしれないが、農耕社会においては、収穫逓増であるばかりでなく、安定的な収入も確保されているわけで、群れから離反するインセンティブはぐっと低くなったはずだ

だから、人類は、「不平等を甘受できる」というその生来の特質を農耕社会において遺憾なく発揮し、巨大な群れを構成することができたのである。しかしこれにより、狩猟採集社会ではあり得なかったほどの不平等を生むことになった。そもそも、人類が「不平等を甘受できる」ように進化したのは、狩猟社会においては、ボスであることのウマ味があまりなかったからなのだ。つまり、群れの序列はあったが、実質的な差は大きくなかった。捕った獲物は群れの全員で分けることが狩猟採取社会の基本であり、ボスであるからといって、資源の独占はできない。しかし、農耕社会ではそうはいかない。農耕社会では富の蓄積が可能になった結果、ボスが資源を集約することが可能になったのだ。つまり、「不平等を甘受できる」という人間本来の性質が、元来想定していた程度を超えて、不平等の是認が行われたのだ。

ところで、なぜ、農耕社会では富の蓄積が可能になったのか。それには3つの理由がある。

一つ目は、定住である。定住することにより、簡単に移動できない大きな財産を持つことができるようになった。なお、これは厳密には農耕を必要条件とするわけではない。ただし、農耕開始以前でも定住していた社会はあると思われるが、大規模な定住が可能となったのは農耕開始以降であろう。

二つ目は、農耕における主要生産物が穀類だったことで、食料の長期保存が可能になったということである。なお、この点は、若干の留意を要する。人類は同時並行的に世界各地で農耕を開始したが、必ずしも穀類の生産を行っていた地域ばかりではない。たとえば、ある種のイモを主要生産物にしている社会もある。しかし、そういった社会は現代においてはかなり「遅れて」いるとみなされている(発展途上国であったり、いわゆる「未開」と呼ばれる地域にあったりする)。農耕と一言に言っても、長期保存可能な穀類の生産なのか、長期保存可能でないバナナやイモの生産なのかによって、その集団が辿った歴史は大変異なるものになった。中東で高度な文明が栄えたのは、メソポタミア川流域の人がとりわけ優秀だったわけではなくて、何を生産したかという歴史の偶然という側面も大きいだろう。

三つ目は、農耕は計画的に余剰生産物を生み出すことができたということだ。狩猟採集の場合は、収穫逓減的な生産様式であるため、必要以上の獲物を狩ることは難しい。一方農耕の場合は、100トンの生産でも105トンの生産でも必要なコストはそれほど変わらない。また、天候不順などによって栽培植物の生育が悪かった場合でも途中で作付面積を増やすことはできないため、自然と余裕を持って作付を行うことになる。その結果、仮に余剰生産を意識していなくても豊作時には余剰が生まれるのである。

そして、余剰生産物としての富は、自然と群れのボスに集中することになった。正確には、ボス個人の持ち物になったのではなくて、ボスの下で集中して管理が行われたのだろう。これは、生産物の「管理」には規模の経済(費用低減)が働いたということからの帰結である。この結果、群れのボスは狩猟採集社会ではありえなかったほどの大きな富を管理することになった。このことは、ボスがその富を群れのメンバーに平等に配分した可能性を排除するものではないが、大きな富を持った者がそれを進んで他人に分配するにはその理由がなくてはならない。富が自らの適応度を高めることが自明である以上、その富は我が物にしたいと思うのが自然だ。

社会のサイズが小さい場合には、収穫物の分配はかなり平等に行われることが経験的に知られている。特に極端な場合として、二人で生産したものをその二人で分配する場合は、その生産への寄与度のいかんに関わらず、かなり折半に近い形で分配されるだろう。これは、人類が狩猟採集時代に獲得した分配の哲学であると考えられている。狩猟においては参加メンバーの狩り行為への寄与度の個人差は大きい。最後のとどめを差す役割の人間もいれば、ただ周りを見張っているだけの役割の者もいる。そういったメンバーが、最終的には平等に獲物の配分にありつけるという期待があったことこそが、複雑な役割分担が必要な狩猟という行為を可能にした理由の一つでもある。

しかし、社会のサイズが大きくなると、収穫物の分配は必ずしも平等に行われない。おそらく、関係者の数が100人や200人を超えてしまうと、人類が狩猟採集時代に獲得した分配の哲学がうまく働かなくなるためなのだろう。そして、現代においてすら、どういった分配がもっとも良い(=効率的、公正、持続的)なのかは答えが出ていない難しい問題なのである。そういうわけで、なぜ人間本性に基づく分配の哲学がうまく働かなくなるのかは不明だが、とにかく我々は大多数の人間で資源を分配するのが苦手なのだ

先程、「ボスは生産物の管理を集中して行った」と書いたが、それは、人間が分配下手だったことで、人間社会が調停者を必要としたためであろう。多くの人間で分捕合戦をすると、対立が生じやすかったり、あるいは単に力の強い人間が多くを得ることになる。だから、ボスが分配を担うことにより、少なくとも無政府状態で分捕合戦をするよりは、より効率的に生産物を分配することができただろう。もちろん、ボスは狩猟採集社会においてもそのような役割を担っている場合がある。しかし、農耕社会においては、生産物の分配はボスの重要な役割、ひょっとすると最大の役割となっただろう

では、ボスは分配をどのように行ったのか。これは、一般論では答えの出ない問題である。ボスが何故にボスであるかという、政治的なバックグラウンドによって分配方法は大きく変わっただろうからだ。祭祀を司るシャーマン的なボスだったのか、遠い昔からあるボスの家系の者なのか、あるいは民主的に選ばれたボスなのか、下克上の成り上がりのボスなのか、といったことによって。だから、ボスが比較的平等に生産物を分配した社会もあった可能性も否定出来ない、しかし、それでも、ボスはきっと自分の手元により多くの資源を確保しただろう。なぜそう言い切れるかというと、農耕社会では、不作の時をどうするかという問題を解決する必要があったからだ

もちろん、狩猟だってあまり獲物がないときもある。しかし、彼らはそれを群れを移動することによって解決する。より獲物が豊富な場所に移るのだ。一方、大規模な定住をする場合は、天候不順になったからといって簡単には畑を移動することはできない。だから、天候不順の場合にも群れのメンバーを食べさせていくことがボスの役割として重要になってくる。そして、これに対する解決策は基本的に、組織的に余剰生産物を貯めておくということに尽きるのだ。非常時への対処ということであれば、群れのメンバーはボスだけが巨大な富を持っていることを不正だと思わない。だから、ボスは大きな富を所持することができたのだ。

そして、ボスが大きな富を持つことができるのであるから、当然ボスはボスの座を守ろうとするだろう。そのために、自らをボスたらしめている政治的基盤である、少数の群れの重要なメンバーには平メンバーよりも大きな富を分配するだろう。当然、それらの需要なメンバーは、自分たちの支持基盤には重点的に富を配分するようにボスに要求しただろう。こういうわけで、一度ボスに集中した富は、平等的というよりは階層的に分配され、結果としてかなり不平等な状態になるだろう。普通の動物では、このような不平等な状態では群れのメンバーが納得せず、安定的にボスが存立することができないと予見される。しかし、人間の場合、「不平等を甘受できる」という性質を生来持っていた。この性質は農耕社会と不思議なほどうまく噛み合い、ボスによる不平等な分配を受け入れることで、結果として不平等な社会をつくり上げることになった。

しかし、その社会は単に不平等というわけではなかった。生産と生産物の管理はボスの元に集約され、組織的に行われることになったからだ。もっと直接的に言えば、ここで行政が誕生したのである。行政機構は文明において必須の要素であるが、これは農耕を組織的に行うだけでなく、収穫物の配分を組織的に行うために必要であったと考えられるのだ。

ところで、ここで一つの疑問が生じる。もともと、分配の問題を解決することがボスの役割として大きかったと推測されるわけだが、結果として不平等な分配になってしまったということは矛盾していないだろうか。実は、これは矛盾しているのだ。ただし、ボスという権力の中心がなく、秩序のない無政府状態よりは、仮に多少不平等でも、安定的に分配することが可能ならば、その方が有益だったということは言えるだろう。一言で言えば、悪法もまた法なのである。

そして、この矛盾が、ボスという存在は必ずしも永続的でないという事態を生んだわけだ。動物の社会であれば、小集団の中で日常的に新陳代謝していくはずのボスの座が、人間の場合は革命とか、クーデターといった社会全体の大変革で行われていく理由がここにあるのである。極端に安定したボスとその周辺、という社会構造があるにも関わらず、その構造は群れ全体の満足度とは無関係に存立しているという矛盾があるため、その矛盾を解消するものとして、時々、群れ構造の地殻変動が起きる必要があるのだ。

なお、この考え方は一つの陰鬱な結論を導きだす。つまり、農耕社会におけるボスの構造、すなわち社会的富の分配は、本来的に矛盾を抱えているということだ。つまり、効率的で公正で持続可能な富の分配方法など、存在していないのではないか。西洋哲学が何百年も考えてきた正義とか公正は、少なくとも富の分配に関しては解のない問題なのかもしれない


さて、ボスとその周辺の人間にとっては、革命のような事態がそう頻繁に起こってしまっては困る。だから、公正な資源分配を行うためのボスの機能が、逆に不平等な社会を作り出しているという矛盾をどうにかして糊塗しなくてはならない。別の言葉で言えば、言い訳しなくてはならない。もちろん、単なる言い訳ではだめで、正常な推論能力のある大人が納得するような、堅牢な論理体系を造らなくてはならない。そういう論理体系こそ、あらゆる文明の核となるものであるように、私には思われる。文明とは、不平等を肯定するための言い訳なのだ

ちなみに、その言い訳には、例えば次のようなものがあるだろう。

その1。ボスは神の子孫であり、特別な人間である(日本=天皇制)。
その2。ボスは通常の人間が持っていない特別な霊的能力を持っている(古代エジプト、マヤ文明?)。
その3。ボスは優れて徳のある人間であり、神(天)がボスを選んだ(中国=易姓革命説)。
その4。ボスは国づくりした始祖(最初のボス)の一族である(ローマ帝国、中世日本=幕府)。
その5。ボスは群れのメンバーの選挙により選ばれた人間である(古代ギリシア、現代の民主国家)。

これらで全てではないし、厳密にはこのように分けられるわけでもなく、様々な要素を組み合わせてそれぞれの文明で論理体系が創りだされている。そして、そういった論理体系は、通常神話のようなもので表現されている。もちろん、神話の内容はこういう言い訳がましい内容ばかりではない。場合によっては、人類が狩猟採集生活だった頃の記憶を伝えているような古い神話もある。しかし、農耕社会成立以降に作られた神話は、こういう言い訳を行うことがその機能の一つだったといえないだろうか。

なお、多くの人は、「その5」とそれ以外には大きな違いがあると考えるかもしれない。選挙によるリーダーの選出法は、それ以外に比べて公正であり、透明性が高く、より適材適所となると考えられているからだ。もちろん、それは事実だろう。しかし、「その1」から「その4」に掲げたような方法では優れた政治が行ない得ないと考えるなら、それは間違いである。人類史のほとんどにおいて、「その1」から「その4」のような方法で王が選ばれてきた。それでも、現代を超えるような政治的成果を達成したことはあったし(例:モンゴル帝国の世界征服)、現代では得難いような英君も出現した(例:マルクス・アウレリウス・アントニウス)。そして、民主主義の下においても、ひどい愚行は行われてきた(例:ナチスのユダヤ人虐殺)。民主主義は、比較的うまく最悪の状態を避けることができるという意味で優れたシステムであるが、民主主義によるリーダーの選出は正しい方法だとするのは一種の価値判断であり、これが唯一の正しい方法だとする証明は誰にもできない。つまり、民主主義は現代の神話なのだ

さて、文明には他の欠くべからざる他の機能もある。それは、群れの全員を否応なく協力するよう強制する機能である。

群れのサイズが大きくなるにつれ、群れのメンバー全員が互いに利害関係者であることは難しくなる。そして、人類は、基本的には利害関係者同士でないと深い協力行動は発達しない。なぜなら、協力行動とは、協力によって双方の利益を高める行為として進化したものであり、「情けは人のためならず」的な部分も含めて、何らかの利益(利害)を必須の要素とするものだからだ。そのため、農耕社会が出現し、群れのメンバー数が膨れ上がるにつれ、どうやって人々を協力的にさせるかということが一つの課題になったに違いない。そもそも、農耕という生産様式は、高度に労働集約的なものである。だから、群れのサイズが大きくなって、協力が難しくなることは、農耕にとっては脅威である。

また、群れのサイズが大きくなるにつれ、相互監視の機能が弱まることにより、サボることも容易になっていったはずである。サボるだけでなく、不正を働くことも容易になっていったはずだ。これも農耕社会にとっては脅威である。これらの問題を解決できなかった社会は、解決した社会に比べて繁栄することはなかっただろう。

さて、群れのメンバーを協力させるという課題はどうやって解決されただろうか。私は、それは天国と地獄の観念ではなかったかと思う。人の善行と悪行のすべてを認知する超越的な存在(神)が我々の行動を見ていて、現世で善行(=協力)を行わないと、あの世とか来世で罰を受けるという思想は、そもそも現世での信賞必罰が不完全にしか履行しえないときにしか生まれえないものではないだろうか。その証拠に、トーミズムとかアミニズムの段階にあるような、狩猟採集民族の神話や伝承においては、善人と悪人の霊を峻別するようなことは普通ない。この世と似たような別の世界や、あるいはまさにこの世の一部(森、夜、地下など)になんとなく死者の霊が集っているというような世界観が多いように思われる。逆に、農耕社会を成立させた地域の神話は、多くが善と悪という二項対立的にものを考えており、善行を積んだ人の魂は天国へと行き、悪行を積んだ人の魂は地獄へ堕ちると教えている

天国と地獄という思想は、社会が巨大化し、利害関係が薄まることで自然な感情に基づく協力ができにくくなってしまうとともに、もはや相互監視も不可能になってしまったこと。それにより、悪=非協力を制裁することができなくなってしまったということ、にもかかわらず、農耕を維持するためには、悪=非協力を抑制し、善=協力を進めなくてはならなかったことが引き金になって生まれたものだということだ。現実世界で善=協力を行うインセンティブが実際にはなくても、あの世や来世での信賞必罰が待っているという観念は、そういうインセンティブを創りだすのである。

もちろん、全ての文明が、天国と地獄を生み出したわけではない。例えば、シナ文明ではあの世における善悪の対立という観念は薄い。これは、シナ文明が遊牧民族と農耕民族の対立の中で生まれたものであることが大いに影響しているのではないかと私は考えているが、さらなる研究を要するだろう。

さて、天国と地獄という世界観は、ある意味で残酷なものだが、協力行動を促進するのであれば、それもいいのではないかと思うかもしれない。確かに、私も善行にはしかるべき報酬を受ける権利があると思うし、悪行はその報いを受けることが必要だと思う。しかし問題なのは、善とか悪とかいう価値観が、支配体制によって決められるところである。人を欺くこととか、利益を独り占めにするといったような普遍的な悪については問題ないと思うが、体制に対する批判であるとか、支配階級に対する無礼などが最大級の道徳的犯罪であるとされることには、私には強い違和感がある。全体主義が持っている、体制を絶対とする思想が、天国と地獄という思想にはないと言い切れるか

もちろん、先程述べたように、巨大なサイズの群れで協力行動を促すには、天国と地獄のような思想は必要だっただろう。しかし、天国と地獄という、一種の全体主義的な思想が文明に組み込まれたことにより、社会の構造が不必要に固定化されてしまったとは言えないだろうか。私は、この意味で文明は社会維持装置であると考えている。つまり、善悪二項対立的な価値観を持つ文明は、その文明以外の価値観を認めないのである。そして、これこそが、逆に人類社会を停滞させる要因でもあった。本項の最初に述べた「群れの構造が安定的すぎた」ということは、この思想にも原因があるのである。例えば、天国と地獄の観念に悩まされ続けたヨーロッパが、中世、数世紀に亘って停滞した(逆の言葉で言えば安定した)一つの原因は、多様な価値観を認めることができなかったためであろうと思われる。

人は、「もはや天国や地獄といった思想は、リベラルな人の間では力を持っていない」と反論するだろう。しかし、文明とは、やはり一種の社会維持装置であり、天国や地獄というイメージを克服したとしても、依然として人をある一つの価値観に縛り付ける桎梏であると思われる。コミュニティにおいてメンバーが共通の価値観を持てなければ、人は精神的に耐えられないのも事実であり、ある程度そういった機能は必要であろう。しかし、小さいコミュニティにおいては、ある一つの価値観など不要なのである。なぜなら、そこでは、人は日常的な相互監視と互酬的なシステムのもとに生きているから、思想的な統制を要しないのである(これはこれで息苦しいが)。現代社会において、宗教やイデオロギーが世界的な大問題になっている理由の一つに、文明同士が壮大な思想統制合戦をやっているということがあるのであはないだろうか。それは、もはや思想以外には、膨大な人間をあるシステムに組み込む方法がないからなのであろう。そして、思想的に自由でなくなった人間は、息苦しさとフラストレーションの中で生きるしかなくなったのである。私が農耕を人類最大の不幸であるとする理由はいくつかあるが、思想的な自由を奪われたこともその一つである。

【参考文献】
民主主義が一つの神話であるということの参考として、「社会的選択と個人的評価」(ケネス・アロー著)を挙げておこう。この本では、ある程度限定された形では民主主義的選択が不可能であることを数学的に証明している(一般可能性定理)。また、これは本ではないが、ハル・ヴァリアンの1973年の論文「Equity, Envy, and Efficiency」では、かなり普通の条件の下でも、一般には資源の公正な分配ができないことが示されている。私は経済学には疎いが、資源の構成分配や社会的意志決定の科学的妥当性を考える厚生経済学は1970年代に盛んになったが、結局否定的な答えしか見つからなかったため、今では下火になっているという印象である。

2010年8月18日水曜日

農耕という不幸(1)壮大な退屈しのぎとしての「文明」

【要約】
  1. 定住と農耕は厳密には違うが、以下同一視して論じる。なぜ、定住=農耕社会の誕生は人類最大の不幸であると私が考えるか。
  2. 狩猟採集生活者になるということは、人類にとって革命的変化であり、このために蒙った精神構造上の変化が主に4つある。すなわち、①人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。②人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。③人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。④人類は、持久性を強化する必要があった。
  3. 人類が農耕を開始した理由は、大まかに言えば、氷河期が終了したことによる食糧難への対処である。ただし、人類がやむにやまれず農耕を開始した根本の理由は不明であり、群れのメンバーに安定的に食料を供給することで、群れのボスが自らの権威を維持しようとしたということが農耕開始の理由だという仮説もある。
  4. 人類が農耕社会を成立させる上で、狩猟採集生活で身につけた精神構造は非常に役に立った部分がある。具体的には、 上記③や④の性質は明らかに農耕社会の成立に役立っており、むしろ、役割分担や協力行動、持久性などは、社会維持に必要な気質として狩猟採集社会におけるそれより重要だったと思われる。
  5. 逆に、 上記①や②の性質は農耕社会には全くマッチしない性質だっただろう。農耕にスリルや探求はなく、単純作業を受動的にこなしていくことは、ハンターとしての人類にはストレスだったに違いない。
  6. 農耕はハンターには退屈な生産様式であり、その退屈に対処することは農耕社会を成立させる上での大問題だったに違いない。人類(特に男性)は退屈さに適応することができず、ついに、壮大な暇つぶしとして、「文明」を創造するに至った。人間は、退屈になって、シンプルに生きることができなくなってしまったのだ。
  7. 農耕社会を維持する装置としての「文明」は、単なる退屈しのぎではない。その意味で文明は偉大である。しかし、農耕社会の成立により、人類が空前の繁栄を遂げたことが、逆説的に人間が不幸になったということを示唆している。次回はこれについて論じる。


私は以前、「定住社会の出現は人類最大の不幸だった」と述べた。しかしその際は、なぜ定住社会が人類にとって不幸であったのか、詳細に述べなかった。これはとても大きなテーマであり、その時簡単に触れるわけにはいかなかったからだ。そこで、ここからこのテーマについて議論していきたい。

まず、定住社会と農耕社会はほぼセットで語られることが多いが、この二つは厳密には別のものである。農耕社会であっても、焼き畑のように定期的に移動する社会もあるし、農耕をしない社会であっても、ほぼ定住しているような社会も存在する。例えば、縄文時代の日本は、本格的な農耕はしていなかったが、ほぼ定住しているとみられる集落跡が残っている。しかし、大まかに言えばこの2つはセットにしても問題ないと思われる。私は、重箱の隅をつつく議論をしたいのではなく、人類一般に適用できる考え方で議論したいと思う。その意味で、定住=農耕を同時に語るのは許されるだろう。今後、この二つの要素を峻別する必要がある時はそうすることにして、以降、定住社会=農耕社会という前提で論を進めたい。

というわけで、定住=農耕社会というものがどういうものだったのか、というところを明らかにし、それがなぜ人類にとって不幸なのかということを考察していきたいと思う。しかし、そのためには、迂遠なようだけれども、まずは狩猟採集社会について考えなくては行けない。なぜなら、我々人類は狩猟採集の生活様式に適応したサル(ape)であるからである

さて、以前も少しだけ触れたが、人類が食料採集(food-gather)から狩猟採集(hunter-gather)の生活にどうして移行したのかということは、厳密には解明できていないことだが、おおざっぱにそれをスケッチすれば、結局は食料問題への対処である。つまり、何らかの要因による環境の変化で、それまで熱帯雨林に棲んでいた人類の祖先は、サバンナや疎林のような所で暮らさざるを得なくなった。そして、サバンナや疎林には、それまで主食にしていたような果実、昆虫、植物が圧倒的に不足していた。そのため、人類は新しい食料源を開発せざるを得なかった。この問題を解決した一つの要因が、以前にも触れたが二足歩行による自由になった前足=「手」の誕生である。自由で器用な「手」を獲得したことにより、殺傷能力が高い武器を扱うことができるようになった人間は、サルとしては例外的な攻撃力を身につけた。その攻撃力で狩りをすることができるようになったのだ。これが狩りをするサル、人間の誕生である。

こう書くと、いかにもコトが簡単に進んだように思われるが、食料採集から狩猟採集への移行は大変な革命だった。なにしろ、この二つの生活様式は似ている様だけれど、その本質において全然違う。食料採集は、周りにある食料を見境なしに食べればいいだけの単純なライフスタイルだが、狩猟採集というのは、文字通り「狩猟」をしなくてはならない

「狩猟」というのは、採集とは全く次元を異にする食料獲得法である。狩猟には高い計画性が必要だし、協調して行動することも必要だ。端的に言えば、人間の祖先は、別の生物になった、というくらいの変化を蒙ったはずだ。人類が被った変化はたくさんあるが、ここでは特に精神構造上において、どういう変化があったのかということを、考察しよう。

変化その1。人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。なぜなら、狩りは大変危険な行為である。強力な肉食獣、例えばライオンであっても、獲物の草食動物からの反撃で負傷してしまうことはままあることだ。ましてや、人類の祖先は、所詮サルである。狩りの目的はおとなしい草食動物だったとしても、狩りの途中で肉食獣に襲われる危険性はあったし、人類の祖先が狩りを始めた時代は温暖で大きな哺乳類が世界を闊歩していた時代だった。だから、人類は危険をものともしない性格を身につけたはずだ。もっと言えば、人間は危険(スリル)好きに進化したと思われる

変化その2。人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。これは食料採集生活においても必要な資質だが、狩猟を行うことにより、よりこの性質は強化されたはずだ。この主張が述べる内容は、人間は、狩りの成功のような成果を喜ぶのはもちろんだが、狩り=探求行動という手段を目的化してしまったということである。本来は、狩りという探求行動は獲物を得るために払うべきコストであり、狩り行動自体は少なければ少ないほどよろしい。しかし、狩猟というのは偶然にも左右されるし、常にうまくいくとは限らない、成功率の低い行動である。そこで、獲物という目的のみをインセンティブにして行動が発動するようにすると、狩りが失敗するたびに強いストレスを感じるようになってしまう。(パブロフの犬のように、得られるはずの獲物が得られないということが、ストレスになるのである。)

そこで、狩りを行う生物はほとんど、狩りをすること自体が好きになっている。これが、猫がすでに半ば様式化してしまっている狩り行動を繰り返す理由だ。狩りは肉食動物のストレスを解消するのだ。これはもちろん、一つ目の変化であるスリル好きに進化したという点とも関連がある。狩りをする生物は、多かれ少なかれ、成果(獲物)だけでなく、過程(狩り)自体を求めているのである

変化その3。人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。単独で狩りをする虎のような肉食獣もいるが、ライオン、ハイエナ、オオカミのような集団で狩りをする生物もいる。そして人類は、もともと社会性の生物として進化したこともあり、集団で狩りを行う生物となった。むしろ、人類は、集団の力を用いてしかそのような困難な課題を解決できなかったであろう。そして、集団で狩りをするために必要なものは、戦略性や役割分担、そして協力行動だ。獲物をどうやって特定するか、どう追いつめるか、誰が最初の鑓を投げるか、誰がとどめを刺すか、など、狩りには高度な戦略性と役割分担、計画に沿って統制された協調が必要だ。そして、そのためにはもちろん意志決定権を持つボスの存在が不可欠だし、以前議論したとおり、それ以上にボスに従う多くの個体が必要である。本来競争的で不安定なはずのボスの地位が人類では特異的に安定していたことが、群れ内の協力行動を促進した理由ではないかということも既に述べておいた。

変化その4。人類は、持久性を強化する必要があった。これはなかなか不思議なところである。本来、狩りをする生物は、瞬発力で獲物を倒すというパターンのものが多い。というよりも、人類以外だとそのパターンしか存在しないのではないだろうか。肉食獣は、持久性はないが、ものすごいスピードやものすごい力を一瞬だけ発揮できるようになっている。草食動物も、その肉食獣へ対抗するため、瞬発的にすごい早さで逃げる能力を進化させている。

しかし、人間は、狩りをする生物としては特異的な戦略、すなわち、ねちっこくどこまでも追いつめるという戦略を採用したようだ。こんな狩猟戦略は、他の肉食獣には見られない。なぜ人間がこのように例外的な、むしろ自然の摂理に逆行するとも言える戦略を発達させたのかはよくわからない。おそらく、人類の祖先は非常にか弱い存在で、狩りに使える瞬発的な力を進化させるほどの余裕がなかったのであろう。

人間の持久性は高いというと訝しむ向きもあるかもしれないが、実は人間は自然界では例外的なほど持久性がある。もちろん、渡り鳥とか、回遊性の魚のほうが持久力があるけれど、大型哺乳類で100㎞マラソンをこなすことができるのは人間くらいではないか。例えば、持久力があるように思ってしまう馬なども、15分も走れば休憩が必須である。そして、この持久性というものは、なにも肉体的なものだけではない。精神的なものにおいても必要なものだ。いくら肉体が持久性を持っていても、その肉体を扱う頭脳に持久性がなければ、人間は決してマラソンなどできはしないだろう。ライオンなどの肉食動物を見ているとわかるが、彼らは狩りをしないとき、ほとんどぼーっと過ごしている。つまり、怠惰な生物なのだ。人間の場合、以前説明した食生活の嗜好(食べ続け)と相俟って、ほとんど勤勉といってもよい持久性を獲得している。さらに、「変化その3」で述べたような戦略性とこの持久性が組み合わされることで、人間は長期的な計画が立てられるようになったと思われる。食料採集社会では計画性が発達しないということではないと思うし、一方で現代の狩猟採集民族が長期的な計画の元に行動しているとも思えないが、少なくとも、数日間に及ぶような狩りをするには、数日単位での計画性は必要である。人類は、勤勉で計画的な肉食獣なのだ

さて、以上、人類が狩猟採集生活者となるために必要だった変化をまとめておこう。なお、狩猟生活を開始するにあたって人類が被った変化はこれだけではない。これらは、これから議論することに有益であると言う視点で掲げているものである。
  1. 人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。
  2. 人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。
  3. 人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。
  4. 人類は、持久性を強化する必要があった。
我々は、後にこれらの性質がどのように農耕社会の成立に役立ったのか、あるいは邪魔になったのかを見ることになるだろう。

では次に、狩猟採集社会から農耕社会に移行した時に人類が被った変化のことを考えてみたい。その前提として、なぜ人間は農耕などというものを開始したのかということを少し考察しよう。もちろん、狩猟採集生活を始めた際と同じように、食糧問題への対応という意味合いが大きかったことは間違いない。当時の気候について振り返ってみると、1万年前から8000年前くらいまでに、氷河期が終わりを告げる。人類は、寒冷な気候におけるハンターとして繁栄していたが、氷河期の終了でマンモスのような大型哺乳類は絶滅し、全地球的に植生が変化する。おそらく、人類が食料としていたような動物は劇的に減少したに違いない。そういう状況で、人類は食糧不足への対処を迫られただろうその一つの解決策として「発明」されたのが農耕であったと思われる

氷河期の終了で地球が温暖化し、穀物のように温暖な気候で育つ植物の栽培が容易になったことも、人類の農耕社会の構築を後押ししただろう。しかし、食料問題に対処するという理由だけで、肉食生活から草食生活に移行するに足る圧力を人類が受けたのかよくわからない。狩猟採集生活の開始ということについては、サバンナや疎林という食物の乏しい環境に適応するためという理由で十分説明できるように思えるのだが、氷河期後の食糧難はそんなに苛烈なものだったのだろうか。主観的な意見だが、人類には、大型哺乳類の多くが絶滅した世界で、小粒なハンターとして細々と生きる道も残っていたように思われる人類がやむにやまれず農耕を開始した理由は、よくわからないのだ。

というわけで、農耕が誕生した本当のところの理由はよくわからないのだが、ここで面白い説を紹介しておきたい。農耕の開始を、王権の誕生と結びつける仮説で、こういうものだ。狩猟採集生活では、ボスの権威は決して高くない。なぜなら、ボスは、必ずしも群れのメンバー全員に対して常に十分な食料を配分できるとは限らないからだ。狩猟は、一種の博打のようなもので、いくら優秀なハンターであっても、例えば獲物となる動物がいなければ狩りのしようがないし、仮に獲物を首尾良く発見したとしても、成功率はそんなに高いものではない。一方で、群れのボスには権威を維持しようとするインセンティブが常に働いていたはずだ。しかし、狩猟生活を行っている限りは、食糧供給は安定的にはなりえない。さらに、先述の通り氷河期の終了と温暖化によって、狩りの成果は得にくくなってきている。そこで、群れのメンバーに安定的に食料を供給し、自らの権威を維持するために農耕を開始したというのだ。

この仮説の面白いところは、普通は農耕開始以降に階級格差などが広がったとされるのに、この説では逆に階級格差を維持するために農耕を開始したと考えるところである。もちろん、この仮説は現在支配的な仮説ではない。むしろ、かなり異端的な仮説と言えるだろう。しかし、既に書いたように、人類の不平等を許容する性質は、狩猟採集生活において身につけられたものであり、このような説をあながち簡単に棄却すべきでないように私には思われる。

さて、少し話が逸れたが、理由はともかくとして、人類は1万年から5000年くらい前の間に農耕を開始したということだ。これが、人類にどのようなインパクトを与えただろうか。おおざっぱに言って、私は農耕社会という群れの在り方は、意外なことに、それまでの人類の精神構造に非常に都合がよい部分があったと考える。そして、そこにこそ、私が農耕の開始は人類最大の不幸だという理由があるのである。

その理由について具体的に示していこう。まず、農耕をする社会とは、どのような社会だろうか。狩猟採集との違いはなんだろうか。これについて、先ほど示した、人類が狩猟を開始するにあたり被ったに違いない4つの変化に即して考えよう。

まず、3つ目と4つ目を考える。すなわち、「3.人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった」と「4.人類は、持久性を強化する必要があった」についてはどうだろう。これは、まさに農耕社会でも求められることである。単に自分の周りにある果物などを消費する食料採集社会は、かなり刹那的な社会であり、明日のことは明日考えるというもののはずだ。一方で、狩猟や農耕には高い計画性と持続性が求められるし、高度な役割分担や協力行動が必要だ。私は、人類は一度「狩猟」というライフステージを経なければ、決して「農耕」という文化を生み出すことはなかっただろうと思っているが、まさしくこの2点は、農耕社会の成立に役立った性質であろう

むしろ、役割分担や協力行動、そして持久性は、狩猟よりも農耕においてその本領を発揮する性質だったのではないだろうかとすら思える。先ほど述べたように、持久性などは狩猟戦略としてはかなり例外的なものであり、役割分担や協力による狩りも、人類がか弱いサルだったからこそ編み出した戦略であった。それなのに、ひとたび農耕というライフスタイルを身につけるや、役割分担や協力行動、持久性などが、社会維持にもっとも重要な気質として脚光を浴びたように思えるのである。

次に、1つ目と2つ目を考える。すなわち、「人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった」と「人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった」については、どうだろうか。この2つの性質は、農耕社会においては全くマッチしない性質だっただろうと思われる。ハンターとしての人類の視点からすれば、農耕などという生活は非常に退屈だったに違いない。農耕にスリルはなく、基本的には単調な作業の繰り返しである。そして、探求的でもない。農耕はどちらかというと受動的な作業であり、降雨や気候、病気や害虫など、その場その場の状況によって、適切に対応していくことが中心である。農耕が退屈というのは、決して農耕に知性を要さないというわけではなく、むしろ判断力という意味で言えば狩猟よりも高レベルの判断力が求められるだろうが、その内容が受動的なものになりがちで、新規な事件への対処というよりは、既知の知識の総合という側面が強いということである。農耕にアドレナリンは必要ないのだ

だから、人類が農耕社会を構築するに当たっては、どうやってその退屈に適応するかは大問題だったはずだ。例えば、猫に狩りを禁じると非常なストレスを受ける。もちろん、檻の中のライオンもそうだ。そういった、狩りをする生物が狩りを禁じられた状態は非常なストレスのはずで、人間も同様の課題に直面したに違いないと思えるのだ。

そこで、本当に人間は探求と危険(スリル)が好きなのか。そこに疑問を持たれる方もいるかもしれない。しかし、現代社会を見ても、探求とスリルを求めて娯楽に打ち込む人間は多い。探求の例としては、クイズ、パズル、学問、推理小説など。スリルの例としては、ジェットコースター、ギャンブル、モータースポーツなどだ。特にハリウッド映画では探求とスリルはエンターテイメントの要素として大きく、謎解きとアクションはヒット映画に必要不可欠のものだ。

ただし、一つ付け加えておくと、狩猟は元々男性の仕事として進化したために、こういった狩猟採集社会的特質は男性の方がより強く受け継いでおり、女性についてはこういった傾向は希薄である。女性については、拠点地(巣)からの移動をあまり行わない生活をしていたと思われることから、コミュニティ(ゴシップ、うわさ話、ドラマなど)や営巣(家具、装飾など)、自己投資(グルメ、ファッションなど)が娯楽としての強い関心になっている。

さて、農耕という(狩りに比べて)単調な作業を強いられることで生じた退屈に、人間はどうやって適応したのだろうか。現代社会における娯楽を簡単に概観するだけでわかるように、ある程度人間は単調さに慣れたものの、探求とスリル好きは本質的には矯正できなかったというのが私の考えである。では、どうやって退屈さを紛らわせたのか

その答えが、「文明」の創造ということではないかと私は思う。つまり、退屈さを紛らわすために人間は文明を作ったのだ。文明が持つ特質、例えば、制度、象徴(シンボル)、儀礼、行政などを考えてみるとよい。どれも、この世をややこしくするために作られているようなものではないか。複雑で難解な古代の風習や神話を学ぶと、どうしてこんなに迂遠な方法で世界を理解し、社会を構築していたのかと疑問に思うが、それが退屈を紛らわすためであれば、私には非常に納得できるのだ。そう、人間は、退屈になって、シンプルに生きることができなくなってしまったということだ。

もちろん、文明を造り出したことは偉大なことだと思う。そして、次回述べたいと思うが、文明は、単なる退屈しのぎではなく、もちろん意味のある退屈しのぎ壮大な暇つぶしであった。普通、文明というものは、農耕の開始により社会が複雑化・巨大化することによって誕生したもののように思われているが、私の考え方は逆で、農耕社会を維持する装置として文明が創造されたと見る。そして、社会維持装置としての文明という側面こそ、文明の価値ではないかと思う。

さらに、私の主張したいことは、繰り返しになるが、本来狩猟採集生活に適応していた人類の精神が、農耕社会においては不自然に機能してしまったということだ。具体的には、役割分担や協力、そして持久性という性質はあまりにも農耕に適しすぎており、農耕という生産方法を過剰に成功させた(どのあたりが過剰なのかは次回述べる)。逆に、スリルと探求好きな性格は、農耕という退屈な生産方法に全く適しておらず、その捌け口を求めた。つまり、人類の精神は、農耕に適しすぎていた部分と全く適していない部分があったということだ。そして、幸か不幸か、これらはプラスマイナスで考えると大きなプラスであり、農耕の開始は人類を空前の繁栄に導くことになったのである。そして逆説的だが、この空前の繁栄こそが、人間が不幸になったことを示唆しているのであり、それについては次回論じたい。

【参考文献】
文明を退屈しのぎとして見る見方に通じるものとして、文化の起源を欲望の充足を困難にするための方法として考える見方を提供してくれる極めて面白い本が「誘惑される意思 -人はなぜ自滅的行動をするのか」(ジョージ・エインズリー著)である。未来価値の割引率が指数的でなく双曲的であるということから、多くの「不可解な」自滅的行動を説明している。また、欲望は簡単に充足させられるよりも、充足が困難な方が欲望としての価値が高いという大変興味深い説を披露してくれている。

2010年8月9日月曜日

「家族」の論理(5)婚姻制は社会を安定させる道具になった

【要約】
  1. 婚姻制は社会の安定には役だったが、それは良い面ばかりではないことを述べる。
  2. 一つ目のテーマは婚姻制と政治。そもそも婚姻制は政治的ではなかったが、「社会を安定させる」という機能は極めて政治的なものだ。
  3. 人類の祖先は狩猟採集社会のもとでも戦争をしていただろう。しかし、その戦争は大きな利益を生むものではなかった。利益の小さい戦争が頻発することは社会的損失であるため、戦争防止の方策の1つとして、近隣の集団との同盟があった。その同盟関係を担保するため、族外婚が使われたのではないか。族外婚は、同盟関係の維持に有効で、その上遺伝学的にも合理的だ。
  4. 婚姻制は愛や嫉妬などの自然的感情を補完するものに過ぎないのに、なぜ婚姻制を道具として使うことが可能だったのか。理由は、①女性にとっての男性の価値は、資源提供能力であり、愛はそれを確実にするために発達したものだったから。②特に男性にとっては、婚姻関係を持続させるインセンティブがセックスにあったから。③配偶者探しが容易になるため、特に男性にとっては、結婚相手が社会的に決まることが歓迎されたから。という理由が考えれる。
  5. 族外婚は、普通女性が他の集団に嫁ぐ形を取る。なぜなら、集団間の友好のためには、価値あるもの=女性を提供することが必要だからだ。そのため、族外婚を行う社会は男系的になる。これが家父長制を生み出す一つの要因になる。
  6. 婚姻制の存在以前の社会は、基本的に母系社会だった。なぜなら、親子関係が確実なのは母子だけだからだ。しかし、族外婚により、家系の中心は男性になった。そして、女性を価値ある「資源」と見なす考えが発生しただろう。婚姻制は、生物学的には自明ではない、男系社会=家父長制を生み出した。
  7. 二つ目のテーマは、婚姻制と相続。相続は、人の悩みの種である。世代間対立は、親はできるだけ少ない資源で子供を育てようとし、子供は親からできるだけ多くの資源を引き出そうとすることから生じる。しかし、人生の最期には持てる資源を全て子供に与えることが合理的であり、それが相続だ。
  8. 男系社会において定住・農耕社会が成立すると、男性から大きな資産が相続されることになるので、家父長制が生まれた。だが、男性は相続のリスクも抱えていた。
  9. 相続は、誰にどのくらいの資源を与えるか決めるのが困難だ。①平等な相続、②子供一人への相続、③②の特殊な形態として長子相続、④親がその状況に応じて決める、⑤相続しない。このような方法のどれにもメリット・デメリットがある。相続にはきょうだい間の対立の防止と、社会的序列の維持、未来への投資の3つの観点があり、それらが矛盾するものだからだ 。
  10. さらに、どれくらい相続可能な資産を残すのかということも考えなくてはならない。 人間は、資産の管理と継承という問題も考えなくてはならなかった。
  11. 安定的な相続法を確立させた社会は繁栄しただろう。それは、格差の固定化も生み出し、階級制のきっかけともなった。階級制は、社会の安定のためにはよかったかもしれないが、社会の流動性を阻害し、社会を停滞させる要因でもあった。
  12. 婚姻性を道具として使うやり方が発展したのは、それが社会の安定に寄与したからだ。社会の安定は、社会全体で考えると良いことだが、個人のレベルでは必ずしも良くない。人類のジレンマの一つがここにあるのではないか。 しかも、実は長期的には社会の活力を失わせる要因にもなる。安定していることはリスクでもあるのだ。

前回は、婚姻制は社会を安定させる機能があったと述べた。下剋上的にパートナーが入れ替わっていく世界より、ある程度パートナーが安定していた方が、群れとして協力することもより容易になるし、その結果として、婚姻制のある社会は、それがない社会よりも繁栄するだろう。

このように述べると、婚姻制は素晴らしい発明だ、ということになりそうなのだが、今回は、婚姻制は良い面ばかりではないということを示したいと思う。もちろん、婚姻制がある意味での桎梏であって、例えばより魅力的なパートナーが現れた時に柔軟な対応ができない、といったようなデメリットはすぐに思いつく。しかしながら、そもそも婚姻制はそういう行動を抑制するために誕生したのであって、今回はそういう観点では考えない。むしろ、婚姻制の誕生から帰結するところの種々の結果を、二つのテーマのもとに論じてみたいと思う。

さて、まず一つ目のテーマとして、婚姻制と政治について考えてみたい。なぜ婚姻制が生まれたのかということを振り返ってみると、 そもそも人類においては、女性が子育てのために男性からの資源を要したということから、序列上位の男性による女性の独占ができなかった、ということに端を発している。序列と配偶の相関関係が弱くなったことで、配偶者獲得競争を激化するよりも、「婚姻」という形で配偶関係の社会的決定を行うことでそれを緩和するメリットが男女双方にとって大きかったということである。だから、そもそも婚姻制は政治的ではなかった

では、なぜ政治というトピックを出したのかというと、「社会を安定させる」という婚姻制の機能が、極めて政治的なものだからである。ただし、人類が狩猟採集生活を行っていた時代には、婚姻制の政治性はあまり強くなかったのではないかと思う。狩猟採集生活においては、大きな群れを構築することはできないし、既に述べたようにボスである利益も大きくなく、人間の政治性はそんなに高くなかったと思われるからだ。しかし、群れの中だけ見ればそうなのだが、群れの外まで見ると、そうともいえないかもしれない。

一時期、「高貴なる野蛮人説」なるものが流行ったことがあった。それによると、人間社会に存在する問題は文明化以降に生じたものであり、文明化以前の段階にある現代の狩猟採集民においてはそれらの問題が存在せず、彼らは原初的な精神の高貴さを保持しているということだ。私自身、人間社会に存在する問題は、文明化以降、特に都市化によって生み出されたものが多いと思っており、この説に賛同できる面もある。しかし、狩猟採集民が高貴な精神を持っているのかというと、はなはだ危うい。彼らも、我々と同じ人間であり、別にどちらが高貴でどちらが野蛮というわけではない。環境が違うので、違った振る舞いをするというだけであり、彼らの社会が特に道徳的な意味で何も問題ないというのは行き過ぎである。

現在は、「高貴なる野蛮人説」を信奉している人は、少なくてもメインストリームにはあまりいない。例えば、殺人、嬰児殺し、復讐、戦争などというものは狩猟採集民の世界でも存在しているし、その発生率は、現代の先進国におけるよりも高いというデータもある。私は、人類の発明の中でも「法」はかなり偉大なものだと思っているが、社会の安寧を守る透明性の高い仕組みがない状態では、人間はどんな環境にあるにせよ、何をするかわからない

さて、少し話が逸れたけど、ここで述べたかったことは、狩猟採集民族においても、基本的な精神構造は人間として同じであり、必要に応じて戦争もしたし、そして戦争終結の際に和睦も結んだに違いないということである。

狩猟採集民における「戦争」というのはちょっと混乱させるものの言い方で、戦争については別の機会に述べることとするが、「戦争」といっても、19世紀以降に普通になった全面戦争のようなものを意味していない。 ここでは、どちらかというと現代の内戦のようなものをイメージした方がいいのかもしれないが、別のコミュニティとの組織的戦いという意味で、以後「戦争」の用語を使用することとする。

さて、狩猟採集民が戦争をする場合はどんな原因があるかというと、領土問題、怨恨(報復)、歴史的対立などがあるようだが、その原因についてはここでは詳しく述べない。むしろ、このような場合では、勝利したとしても大きな利益を生むものではないということに留意したい。領土問題については、猟場の確保など、生産面に与える影響も大きいようだが、狩猟採集の生活をしている限り、自ずから資源には限界があることもあり、実際には死活問題ではないと私は考える(ただし、これをしっかり主張するためには、ちゃんとした実証研究を待たねばならない)。

ということで、大きな利益を生むものではないのに、なぜ戦争が起きるか、と言う疑問が生じる。最も普通に考えられるのは、一回の戦争では利益が大きくなくても、それが何回も繰り返される場合、戦争する方が得になったからだ、ということだ。実際、ゲーム理論において、一回切りのゲームと無限回繰り返しのゲームにおいては、均衡(安定的な状態)が異なる場合がある。一回切りの戦争においては、領土を割譲することが合理的な場合でも、それが終わることなく繰り返されると、結局領土がなくなってしまう。だから、好戦的な民族がどこかにいる限り、戦争は(潜在的には)なくなりはしないのだ

しかし、大して利益のない戦争を続けているようだと、その地域に住んでいる民族は、結局は疲弊してしまう。領土問題は、典型的なゼロサムゲーム(つまり、関係者の利得を合計すると0になる)だし、怨恨や歴史的対立は、おそらく得をする集団がどこにもない。結局何がいいたいのかというと、狩猟採集生活においては、できるなら戦争しない方がよいということだ。一方で、好戦的な民族がどこかにいる限り戦争はなくならないので、戦争を防止する手段を発達させなければならない。これは現代世界でも同じことで、国家間同盟のほとんどは国際的係争の防止を主要な目的としていると考えられる。

現代の世界であれば、条約に署名すれば同盟を結ぶことができるが、古代社会において、どのようにして戦争の防止、すなわち集団間の友好関係を確立することができただろうか。文字がないから、現代のような条約を締結することはできない。ただし、文字がないことは実はそんなに重要ではない。約束を履行しなかった時にペナルティがちゃんと存在することこそ、約束を成立させる必須の要素だけれど、 古代社会ではこれが難しい。現代においても、国際連合がうまくいかないのは、ペナルティを課すという制裁力が弱いという要因が否定できないだろう。

さて、戦争は防止したいが、集団間で約束を結ぶことが難しい。そこで、我々の祖先はどうしたか。これにはいろいろな考え方がある。例えば、交易による相互依存関係を発達させたとか、ある種の儀礼などを発達させて定期的に友好を確認するとか、いろいろな方法があったことだろう。そして、この方法の一つとして、婚姻制を用いた友好関係の保持があったと考えられる。つまり、「族外婚(族外結婚)」の風習である。

族外婚とは、同族内で婚姻することが出来ず、通常ある決まった外部集団と婚姻する制度のことを言う。例えば、A族の男は必ずB族の女と結婚しなければならないとか、C族の女はD族の男と結婚しなければならないというような方法である。

もちろん、これには適応的な意味がある。同族による婚姻を繰り返すと、劣性遺伝の形質が発現する確率が大きくなる。だから、 新しい血を入れることが必要で、そのために族外婚は遺伝学的に合理的だ。しかし、単に新しい血を入れることだけが目的であれば、決まった集団にパートナーを求める必要はなく、単に同族外と結婚すればよいだけだ。族外婚には多分に同盟の要素があるのである

婚姻制は、同盟には非常に便利だ。血縁者は常に重要な利害関係者であり、自分の娘や息子、孫がいる集団に対して戦争を仕掛けようと思う親はあまりいないからだ。しかも、遺伝学的な合理性もある。これは非常に都合がいい方法であったに違いない。

しかし、なぜ婚姻制を道具として使うことが可能だたのか。既に説明したように、人間の配偶関係は愛という非合理的感情を基盤にしている。そして、それを補助するものとして嫉妬という感情がある。つまり、感情的な結びつきが基本なのだ。婚姻制は、それを補完するものに過ぎないはずだ。それなのに、感情的な結びつきがない状態で、政略結婚がいかにして可能なのか。それには、3つの要素が関係していただろう。

一つ目は、女性にとっての男性の価値は、資源提供能力であり、愛はそれを確実にするために発達したものである、という点。つまり、愛はそれ自体に価値があるのではなく、本当の価値は男性が提供する資源にある。だから、政略結婚であっても、その男性が自分や子供の面倒をちゃんと見るのなら、その男性には価値があった。

二つ目は、特に男性にとっては、婚姻関係を持続させるインセンティブがセックスにあったという点。こういう言い方をすると身も蓋もないが、生殖能力を持つ女性であれば、男性にとっては誰であれ十分に愛すべき対象だったのかもしれない。

三つ目は、配偶者探しが容易になるため、特に男性にとっては、結婚相手が社会的に決まることが歓迎されたのではないかという点。これは、上記二つとはちょっと別の理由である。上記二つは、基本的に「愛」がもともと生じていないようなところでも、婚姻によって二人には愛(のようなもの)が生じ得るという理由である。しかし、これは、族外婚は男性にとって都合が良かった、という理由である。ではなぜ男性にとって都合が良いかという点を説明したい。

族外婚の説明をした際には、詳しく述べなかったけれども、A族の男はB族の女と結婚するというルールがあったとして、このルールは具体的にはどのように運用されるかというと、一般的には、女性の方が男性の家系に嫁ぐ形を取る。なぜならば、族外婚は集団同士の友好のため、すなわち同盟のために行われるものであるので、基本的に価値有るものを別の集団に提供する必要がある。そして、婚姻市場において本質的に価値があるのは女性であって、男性ではない。なぜなら、極論を言えば、男性は一人いれば、多くの女性を妊娠させることができるが、子供を生むという女性の機能は他のものでは代えられない。

だから、族外婚を進める場合、基本的に社会は男系的になる女性は生まれた村を離れて、男性の待つ村へ嫁いでいかなくてはならないからだ。私は、ここに家父長制の起源があるのではないかと思う。

婚姻制の存在以前という原始社会を考えてみると、基本的に人類は母系社会を形成していたのではないかと思われる。なぜなら、男性にとっては、生まれてきた子どもが自分の子供であるか確証は持てないからだ。だから、自分の子供の面倒を見るよりは、新たなパートナー探しに頑張った方がいいかもしれない。もちろん、子供の面倒を見なければ、本当の自分の子供もうまく育たないかもしれないので、子供を全く無視していたわけでもないだろう。ただ、男親と子供には、強い結びつきは生まれていなかっただろうと思われる。基本的に子供は、父親よりも母系の親類から厚い保護を受けたに違いない。つまり、社会構造は母系が中心でおり、男系はそれに付随して理解されているに過ぎなかっただろう。

しかし、族外婚を進めたことで、女性は出身の家系から分断されるようになり、いきおい社会は男系が中心になった。そして、「女性は他の集団へ提供する資源だ」という考え、つまり女性をモノとして見なす考えが広まり、今風に言う「女性の地位」が下がったであろう。今でも、族外婚という風習をフェミニズムに反するものとして非難する人がいるが、私は、その批判は当たっていると思う(個人的には、フェミニズムという考え方はよくわからないが)。そして、「愛などというものは、18世紀のロマン主義(あるいは12世紀の中世騎士道)が生み出した幻想だ」といったような、「高貴なる野蛮人説」に立脚した考え方の方が間違っていると思う。狩猟採集民の社会制度が、なぜ人間本来のものであると言い切れるのか。ここで説明したように、族外婚が生まれたのは、単純に集団間の同盟関係を確実にするためであって、愛のような人間の自然な感情には反したものであったかもしれないのだ

そして、婚姻制は本来、愛や嫉妬という自然な感情を補完するものとして生まれたのにも関わらず、社会の安定のためとはいえ、そういった自然な感情が置き去りにされ、婚姻制が単なる社会維持装置になってしまったということは、皮肉ではないだろうか。戦争が起きないことは重要だが、そのために不幸せな結婚がなかったとは言えないのである。

ここで主張を繰り返すと、婚姻制を族外婚という制度とあわせて運用することにより、男系社会が出現したのではないかということだ。もちろん、もともと軍事や政治といったものは男性の領域であり、族外婚という考え方自体が政治的である。つまり、男性同士の緊張を緩和するために族外婚のような制度が創りだされたという側面もあっただろうから、族外婚は男系社会の原因なのではなく、むしろ男系社会の結果として、生み出されたのではないかという考え方も可能である。しかしながら、この二つの現象の因果関係がどちらであっても、私の主張にはあまり違いがない。この二つは強く相関しているということは言えるだろうからだ。私の主張は、婚姻制は、ついに生物学的には自明ではない、男系社会=家父長制を生み出したということなのだ

さて、本稿の二つ目のテーマに移ろう。次は、婚姻制と相続である。婚姻制成立以前においても、相続という概念は存在していたに違いない。なぜなら、動物の場合でも、相続という概念がないわけではない。例えば、もっとも単純な例としては、ナワバリを相続するという動物がいる。ただ、動物の場合は、もともと何か資源(動産、不動産)を持っているような生物はごく一部なので、相続というのはあまり一般的ではない。人間の場合も、婚姻制成立以前においては、大したものを相続してはいなかっただろう。

なぜなら、先程も述べたように、婚姻制成立以前は母系社会だったと考えられる。つまり、相続は母から子への相続が基本になっただろう。そうすると、あまり大したものは相続されないと思われる。なぜなら、もともと女性の価値は生殖にあり、資源の提供は男性の役割だった。よって、女性は自分の自由になる資源をあまり持つことができない。資源をある程度男性に依存しているからだ。もちろん、母の兄弟(叔父など)からの相続もあっただろうから、一概に相続するものが少なかったと断ずることはできないけれども、少なくとも父方からの資源はあまり期待できないので、相続するものは相対的には少なかっただろうとは言える。

それが、婚姻制が成立し、自分の子供が本当に自分の子供であるということの確実性が高まると、父方からの相続が可能になる。さらに、(世界中どこでも起きた現象というわけではないが)族外婚というしくみにより、家父長制が成立すると、その傾向はなおさらである。

子供は、それまでよりもより大きな資源を受け取ることができるようになったということで、これも一見よい結果に思える。しかし、相続が現代においても大問題であることからわかるように、古代においても相続は大問題だっただろう。ここに、人が苦しむ原因の一つがあるのだ。

相続に関する議論を続ける前に、世代間対立についても触れておこう。オイディプスの話を引くまでもなく、世代間、つまり親と子には本質的な対立が存在する。それは、資源の奪い合いである。通常、子どもが増えても収入は増えない。 だから、ある家族は、一定の収入の中で子供を育てなくてはいけない。そして子供は、より強く、より賢く育つために、親から最大限の資源を取得することが重要である。だから、他のきょうだいよりも多くの食べ物を貰いたいと思うし、他のきょうだいよりもよい技術を身につけたいと思うだろう。だから、きょうだいというのは、人生初の生存競争の相手なのだ。

だからこそ、神話にはきょうだいが闘争する話がよく出てくる。アベルとカインしかり、山幸彦と海幸彦しかりである。 しかしながら、きょうだいは生存競争の相手としては、そんなに厳しい相手ではない。なぜなら、同じ父母から生まれたきょうだいは、2分の1の確率で遺伝子を共有しており、きょうだいが成功することは、自分の成功でもあるからだ。以前も使った用語を使えば、きょうだいの適応度を高めることは自分の適応度を高めることにもつながるので、包括適応度の観点から見ると、きょうだいを助けることには適応的な意味がある、ということである。

だが、親は違う。親も、兄弟と同じように、2分の1の確率で遺伝子を共有しているが、親の適応度を高める(すなわち、親がもっときょうだいを生むように助ける)ことは、メリットもあるがデメリットも大きい。つまり、家族が使える資源は一定なので、きょうだいの数が増えると自分が受け取れるはずだった資源の量が減ってしまう。もちろん、きょうだいの数が増えることで包括適応度が高まるというメリットも存在する。だから、きょうだいの数が少ない時は父母がさらに子供を作ってくれるように応援することが適応的だが、きょうだいの数がある程度に達すると、新たな子供は生まれてこない方が合理的になる。子供にとってどういう行動が合理的かは、父母の資源提供能力に依存する問題であっただろう。

しかし、父母が新たな子供を作らない状態(高齢)だったり、あるいは別のパートナーと子供を作ろうとする状態だと、子供にとっては親に協力するインセンティブはほとんどなくなる。親からは、最大限の資源を奪い取ろうとすることが子供にとって合理的である。しかし、親にとっては、子供は最小限の資源で育てたいと思う。なぜなら、もっと多くの子供を作れるかもしれないし、子供に投資するよりも自分自身の序列を高めた方が、子供の適応度を高めることになるかもしれないからである。

しかし、平均的に言って、親は子供より早く死ぬ。資源をあの世にまでは持っていくことができないわけなので、最終的には資源は誰かのものになるだろう。そして、一つの合理的な考え方として、生殖能力のない個体にとって自らの適応度を高めるためには、子供の適応度を高めることが必要なので、資源を自分の子供に与える、つまり相続するという発想が生まれただろう。

そして、定住・農耕社会が成立すると、それまでとは比べものにならないくらいの富が集積されることとなった。そして、この富が相続されることにあっていくのである。先程、族外婚というものが家父長制を生んだと述べたが、実はこの言い方は正確ではない。族外婚が生んだものは、男系社会であって、年長の男性が一族を支配するという意味での家父制ではない。単なる男系社会を家父長制的にしたのは、おそらく農耕社会だっただろう。なぜなら、農耕によって、家系には余剰の富が集積したはずで、これを管理していたのが族長たる年長の男性だったであろうと思われるからだ。そして、年長の男性が大きな資源を持っていることで、一族の支配権を握ったのであろう。さらには、族外婚という形で外に出てしまう女性に大きな資源を分割すると無駄になるので、基本的には女性にはあまり資源は相続されないことになる。これは、女性の社会的地位をさらに押し下げたことだろう。

さて、相続が家父長制の誕生と維持に重要だったと思われるが、必ずしも、男性が相続を都合よく使えたのかというと、そうとも言えない。彼らは、相続という難しい問題をうまく解決することはできず、むしろ、相続には頭を悩ませたに違いない。そして、時にはそのために命を落とすような人間も、少なからずいた。もちろん、これは男性だけの問題ではなく、遺産相続は女性にとっても重大事である。例えば、一夫多妻制においては、複数の妻(とその子供)にどのように遺産が分配されるかは大問題である。しかし、家父長制的な世界において、財産の処分権を男性が持っていたのであれば、相続の問題により悩まされたのは男性だと思われる。男性は、女性を支配しているつもりだたのかもしれないが、それに付随する各種のリスクも負っていたのだ。

相続の難しさは、誰にどのくらいの資源を与えるか決めるのが極めて難しいという点にある。具体的には次のような相続法が考えられるが、それぞれにメリットとデメリットがあり、どれが最善というものはない。

(1)きょうだい間の争いをできるだけ少なくしようと考えると、平等に資源を分割することになるが、こうすると、親の資源は数分の1になってしまうため、子供世代では社会での序列が低下してしまう。多くの貴族がこういう相続をしてしまったために零落した。モンゴル帝国が一時期ユーラシア大陸のほとんどを支配したにも関わらず、すぐに瓦解してしまったのは、モンゴル帝国において分割相続が行わたからということも一因であろう。

(2)零落を防止するため、子供のうちの誰か一人に遺産を相続することにすると、まずはきょうだい間の争いが起こりやすくなる。特に、受け取る遺産が大きい程きょうだい間の争いは激しくなり、資源の浪費が増える。 また、誰に相続するか決める方法において、親の影響力が確立されていないと、親自身が殺されてしまうリスクが存在する。

(3)長子相続(長男への相続)は、きょうだい間の争いをなくし、資源の分割を防止する方法として有効だが、常に長子が優秀であるとは限らない。長子の能力が明らかに他のきょうだいより劣っていた場合に相続に失敗することになる。江戸時代の日本のように、実子に見込みある子供がいない場合は、養子を迎えるなどしなければ、この方法もデメリットが大きい。

(4)もっとも合理的なのは、被相続権は一人に限定しつつ、その一人は能力に応じて親が決定できるという方法に見えるが、これも難しい。まずは、家父長制の下では大きな問題でないかもしれないが、父と母の意見が一致するとは限らないし、それに、もっと大きな問題として、きょうだいで誰が一番見込みがあるかということは、意外と親は分からない。そして、本当に資源を一人に集中することがよいのかわからない。リスク分散のために、多少は他のきょうだいにも遺産を分配した方がいいかもしれない。こう考えていくと、結局どうすればいいのかわからない。

(5)極端な方法として、人生の最期には持てる資源を全部蕩尽し、相続すべき資源を残さないという方法もある。例えば、ものすごく派手で金がかかる葬式が必要な風習を持つところはこれにあたるだろう。しかし、この方法は争いも産まないが、子供の適応度も大きく高めはしないだろう。 (なお、この方法は、嫉妬が大きな意味を持つ社会で発達しうる。)

相続は、現代においても人の悩みのタネであり、未だにベストな方法というのは発見されていない難しい問題である。だからこそ、宗教が「あるべき相続の基準」などを教えたりもするのだろう。確かに、これは経済学などでは解けない課題だと思う。なぜ、相続はこんなにも難しいのだろうか。その答えは、上の例でもわかるとおり、相続には、きょうだい間の対立の防止と、社会的序列の維持、未来への投資の3つの観点があり、それらが矛盾するものだからだ

きょうだい間の対立の防止の観点からは、平等的な分割が示唆される。社会的秩序の維持の観点からは、誰か一人に集中して相続することが示唆される。そして、未来への投資の観点からは、選択と集中のみならず、リスク分散をも考えた相続が示唆されるだろう。

さらに、どれくらい相続可能な資産を残すかということも難しい問題である。相続可能な資産は、無意識的に形成されていく面もあるが、それらを費消せず、次の世代に相続していくことはある程度意識的に行われる。ある程度の資産を形成したとき、自身の適応度を直接的に高めるようにその資産を使用してしまうか、それとも子供たちの適応度を高めるように取っておくかは一つの判断である。そして、もちろんこの判断を行うには、先程述べた世代間対立の要素も考えなくてはいけない。人間は、他の動物では決して頭を悩ますことがない、資産の管理と継承という問題を考えなくてはならなかったのである

そして、人間社会において、上記の(1)~(5)に掲げたような、様々な相続法が発達したのは、その社会がどのような環境に置かれていたのかということと関係する。そして、相続というものが非常に重要なイベントであり、また、争いを生みがちなイベントであったために、安定的な相続法を確立させた社会が繁栄していったのではないかと思われる。その意味で、その妥当性はともかく、宗教が相続において一つの基準を示したことは、進歩と言えたのかもしれない。

一方で、安定的な相続法が確立されるということは、親の持っていた資源が安定的に子供世代に引き継がれていくことを意味する。これはこれで結構だが、要は、親世代であった格差が子供世代にも受け継がれるということだ。すなわち、階級制誕生のきっかけの一つが相続にあるのだ。そう、農耕社会という資源蓄積的な社会において、婚姻制から家父長制が成立し、相続がなされていったことが階級制の成立の引き金になるのである。それは、大きな資源を年長の男性が支配していたということ。そして、男性が女性よりも序列を重視するという傾向があったことなどが影響している。

そして、階級制というものが悪かったのは、平等性を破壊し格差を固定化したことももちろんその理由であるが、私にとってはその点よりも、社会の流動性を阻害し、極度に安定的な、そして既得権益の保護が重要な、そんな活力のない社会を成立させたところにあるのではないかと思う。もちろん、安定的であったことでよかった点もあるのだと思うが、このような社会のあり方は、人間本性には反しているように思えるのだ。

今回は、婚姻制が社会維持装置としてどのように働いているのかという点を考察し、一つは婚姻制が政治的に利用され、男系社会の出現を招いたとした。そして、男系社会は農耕社会によって家父長制に発展していったとしたが、私は、家父長制自体はいいとも悪いとも言えないと思っている。ただ、その制度の下で行われていた結婚は、どちらかというと人間の本性に反するものだったと思われるし、本来生殖においては女性の価値の方が高いがゆえに、皮肉なことに女性を資産として見る見方が生まれたのではないかと思う。そして、ここが強調したい点だが、そもそもどうして男系社会のようなものが誕生したのかというと、その要因の一つとして族外婚のような風習があり、これは、社会の安定のための制度だったということなのだ。社会の安定に寄与したからこそ、婚姻を道具として使う方法が発展したのだろうと思われる。

そして、婚姻制は、子供と父親の血縁を保証するために、父親からの相続を可能とし、これが家父長制の下で運用されることで、格差を固定化することに役立ったと述べた。そして、格差の固定化は、悪く言えば流動性のない、よく言えば安定した社会を作ることに寄与しただろう。社会の安定化は人類にとって概ね繁栄の要素である。社会を安定化するような変化は生き残り、社会を不安定化するような変化は淘汰されてきたのではないかと思われる(ただし、こういう言い方は社会進化論的でやや注意を要する)。しかし、私は、社会が安定化することは、群れのレベル、集団のレベルでは良くても、個人のレベルでは必ずしも良いことだったとは思わない。なぜなら、人類の基本的な精神構造は、適度に下剋上がある狩猟採集生活の中で培われたものであり、非常に安定性の高い社会に適応したものではないと考えられるためだ。人類の抱えるジレンマの一つが、ここにあるのではないだろうか。全体を考えると社会が安定している方がよいが、個人的にはある程度社会が流動的である方がよいという綱引きの問題だ

しかも、社会が安定化することは短期的にはよいことだが、長期的には社会の活力が失われ、しかるべき創意工夫が停滞していく要因にもなったはずだ。だから、社会の内部がいくら安定していても、戦争とか革命とかで、時々その安寧は不連続的に破られることになる。すなわち、逆説的だが、安定していることはリスクでもあるのだ

それでも、狩猟採取生活を続けている限り、問題になるような大規模な社会の安定は存在し得なかっただろう。人類の社会を極度に安定化させたのは、上の議論でも示唆したように農耕の開始である。というわけで、次回からは、農耕というテーマで語っていこうと思う。


【参考文献】
婚姻制と社会構造の関連を知るには、大著「親族の基本構造」(クロード・レヴィ=ストロース著)が必読である(と言っている私自身が未読だが…)。構造主義の原点ともなった重要な本。