2010年8月18日水曜日

農耕という不幸(1)壮大な退屈しのぎとしての「文明」

【要約】
  1. 定住と農耕は厳密には違うが、以下同一視して論じる。なぜ、定住=農耕社会の誕生は人類最大の不幸であると私が考えるか。
  2. 狩猟採集生活者になるということは、人類にとって革命的変化であり、このために蒙った精神構造上の変化が主に4つある。すなわち、①人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。②人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。③人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。④人類は、持久性を強化する必要があった。
  3. 人類が農耕を開始した理由は、大まかに言えば、氷河期が終了したことによる食糧難への対処である。ただし、人類がやむにやまれず農耕を開始した根本の理由は不明であり、群れのメンバーに安定的に食料を供給することで、群れのボスが自らの権威を維持しようとしたということが農耕開始の理由だという仮説もある。
  4. 人類が農耕社会を成立させる上で、狩猟採集生活で身につけた精神構造は非常に役に立った部分がある。具体的には、 上記③や④の性質は明らかに農耕社会の成立に役立っており、むしろ、役割分担や協力行動、持久性などは、社会維持に必要な気質として狩猟採集社会におけるそれより重要だったと思われる。
  5. 逆に、 上記①や②の性質は農耕社会には全くマッチしない性質だっただろう。農耕にスリルや探求はなく、単純作業を受動的にこなしていくことは、ハンターとしての人類にはストレスだったに違いない。
  6. 農耕はハンターには退屈な生産様式であり、その退屈に対処することは農耕社会を成立させる上での大問題だったに違いない。人類(特に男性)は退屈さに適応することができず、ついに、壮大な暇つぶしとして、「文明」を創造するに至った。人間は、退屈になって、シンプルに生きることができなくなってしまったのだ。
  7. 農耕社会を維持する装置としての「文明」は、単なる退屈しのぎではない。その意味で文明は偉大である。しかし、農耕社会の成立により、人類が空前の繁栄を遂げたことが、逆説的に人間が不幸になったということを示唆している。次回はこれについて論じる。


私は以前、「定住社会の出現は人類最大の不幸だった」と述べた。しかしその際は、なぜ定住社会が人類にとって不幸であったのか、詳細に述べなかった。これはとても大きなテーマであり、その時簡単に触れるわけにはいかなかったからだ。そこで、ここからこのテーマについて議論していきたい。

まず、定住社会と農耕社会はほぼセットで語られることが多いが、この二つは厳密には別のものである。農耕社会であっても、焼き畑のように定期的に移動する社会もあるし、農耕をしない社会であっても、ほぼ定住しているような社会も存在する。例えば、縄文時代の日本は、本格的な農耕はしていなかったが、ほぼ定住しているとみられる集落跡が残っている。しかし、大まかに言えばこの2つはセットにしても問題ないと思われる。私は、重箱の隅をつつく議論をしたいのではなく、人類一般に適用できる考え方で議論したいと思う。その意味で、定住=農耕を同時に語るのは許されるだろう。今後、この二つの要素を峻別する必要がある時はそうすることにして、以降、定住社会=農耕社会という前提で論を進めたい。

というわけで、定住=農耕社会というものがどういうものだったのか、というところを明らかにし、それがなぜ人類にとって不幸なのかということを考察していきたいと思う。しかし、そのためには、迂遠なようだけれども、まずは狩猟採集社会について考えなくては行けない。なぜなら、我々人類は狩猟採集の生活様式に適応したサル(ape)であるからである

さて、以前も少しだけ触れたが、人類が食料採集(food-gather)から狩猟採集(hunter-gather)の生活にどうして移行したのかということは、厳密には解明できていないことだが、おおざっぱにそれをスケッチすれば、結局は食料問題への対処である。つまり、何らかの要因による環境の変化で、それまで熱帯雨林に棲んでいた人類の祖先は、サバンナや疎林のような所で暮らさざるを得なくなった。そして、サバンナや疎林には、それまで主食にしていたような果実、昆虫、植物が圧倒的に不足していた。そのため、人類は新しい食料源を開発せざるを得なかった。この問題を解決した一つの要因が、以前にも触れたが二足歩行による自由になった前足=「手」の誕生である。自由で器用な「手」を獲得したことにより、殺傷能力が高い武器を扱うことができるようになった人間は、サルとしては例外的な攻撃力を身につけた。その攻撃力で狩りをすることができるようになったのだ。これが狩りをするサル、人間の誕生である。

こう書くと、いかにもコトが簡単に進んだように思われるが、食料採集から狩猟採集への移行は大変な革命だった。なにしろ、この二つの生活様式は似ている様だけれど、その本質において全然違う。食料採集は、周りにある食料を見境なしに食べればいいだけの単純なライフスタイルだが、狩猟採集というのは、文字通り「狩猟」をしなくてはならない

「狩猟」というのは、採集とは全く次元を異にする食料獲得法である。狩猟には高い計画性が必要だし、協調して行動することも必要だ。端的に言えば、人間の祖先は、別の生物になった、というくらいの変化を蒙ったはずだ。人類が被った変化はたくさんあるが、ここでは特に精神構造上において、どういう変化があったのかということを、考察しよう。

変化その1。人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。なぜなら、狩りは大変危険な行為である。強力な肉食獣、例えばライオンであっても、獲物の草食動物からの反撃で負傷してしまうことはままあることだ。ましてや、人類の祖先は、所詮サルである。狩りの目的はおとなしい草食動物だったとしても、狩りの途中で肉食獣に襲われる危険性はあったし、人類の祖先が狩りを始めた時代は温暖で大きな哺乳類が世界を闊歩していた時代だった。だから、人類は危険をものともしない性格を身につけたはずだ。もっと言えば、人間は危険(スリル)好きに進化したと思われる

変化その2。人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。これは食料採集生活においても必要な資質だが、狩猟を行うことにより、よりこの性質は強化されたはずだ。この主張が述べる内容は、人間は、狩りの成功のような成果を喜ぶのはもちろんだが、狩り=探求行動という手段を目的化してしまったということである。本来は、狩りという探求行動は獲物を得るために払うべきコストであり、狩り行動自体は少なければ少ないほどよろしい。しかし、狩猟というのは偶然にも左右されるし、常にうまくいくとは限らない、成功率の低い行動である。そこで、獲物という目的のみをインセンティブにして行動が発動するようにすると、狩りが失敗するたびに強いストレスを感じるようになってしまう。(パブロフの犬のように、得られるはずの獲物が得られないということが、ストレスになるのである。)

そこで、狩りを行う生物はほとんど、狩りをすること自体が好きになっている。これが、猫がすでに半ば様式化してしまっている狩り行動を繰り返す理由だ。狩りは肉食動物のストレスを解消するのだ。これはもちろん、一つ目の変化であるスリル好きに進化したという点とも関連がある。狩りをする生物は、多かれ少なかれ、成果(獲物)だけでなく、過程(狩り)自体を求めているのである

変化その3。人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。単独で狩りをする虎のような肉食獣もいるが、ライオン、ハイエナ、オオカミのような集団で狩りをする生物もいる。そして人類は、もともと社会性の生物として進化したこともあり、集団で狩りを行う生物となった。むしろ、人類は、集団の力を用いてしかそのような困難な課題を解決できなかったであろう。そして、集団で狩りをするために必要なものは、戦略性や役割分担、そして協力行動だ。獲物をどうやって特定するか、どう追いつめるか、誰が最初の鑓を投げるか、誰がとどめを刺すか、など、狩りには高度な戦略性と役割分担、計画に沿って統制された協調が必要だ。そして、そのためにはもちろん意志決定権を持つボスの存在が不可欠だし、以前議論したとおり、それ以上にボスに従う多くの個体が必要である。本来競争的で不安定なはずのボスの地位が人類では特異的に安定していたことが、群れ内の協力行動を促進した理由ではないかということも既に述べておいた。

変化その4。人類は、持久性を強化する必要があった。これはなかなか不思議なところである。本来、狩りをする生物は、瞬発力で獲物を倒すというパターンのものが多い。というよりも、人類以外だとそのパターンしか存在しないのではないだろうか。肉食獣は、持久性はないが、ものすごいスピードやものすごい力を一瞬だけ発揮できるようになっている。草食動物も、その肉食獣へ対抗するため、瞬発的にすごい早さで逃げる能力を進化させている。

しかし、人間は、狩りをする生物としては特異的な戦略、すなわち、ねちっこくどこまでも追いつめるという戦略を採用したようだ。こんな狩猟戦略は、他の肉食獣には見られない。なぜ人間がこのように例外的な、むしろ自然の摂理に逆行するとも言える戦略を発達させたのかはよくわからない。おそらく、人類の祖先は非常にか弱い存在で、狩りに使える瞬発的な力を進化させるほどの余裕がなかったのであろう。

人間の持久性は高いというと訝しむ向きもあるかもしれないが、実は人間は自然界では例外的なほど持久性がある。もちろん、渡り鳥とか、回遊性の魚のほうが持久力があるけれど、大型哺乳類で100㎞マラソンをこなすことができるのは人間くらいではないか。例えば、持久力があるように思ってしまう馬なども、15分も走れば休憩が必須である。そして、この持久性というものは、なにも肉体的なものだけではない。精神的なものにおいても必要なものだ。いくら肉体が持久性を持っていても、その肉体を扱う頭脳に持久性がなければ、人間は決してマラソンなどできはしないだろう。ライオンなどの肉食動物を見ているとわかるが、彼らは狩りをしないとき、ほとんどぼーっと過ごしている。つまり、怠惰な生物なのだ。人間の場合、以前説明した食生活の嗜好(食べ続け)と相俟って、ほとんど勤勉といってもよい持久性を獲得している。さらに、「変化その3」で述べたような戦略性とこの持久性が組み合わされることで、人間は長期的な計画が立てられるようになったと思われる。食料採集社会では計画性が発達しないということではないと思うし、一方で現代の狩猟採集民族が長期的な計画の元に行動しているとも思えないが、少なくとも、数日間に及ぶような狩りをするには、数日単位での計画性は必要である。人類は、勤勉で計画的な肉食獣なのだ

さて、以上、人類が狩猟採集生活者となるために必要だった変化をまとめておこう。なお、狩猟生活を開始するにあたって人類が被った変化はこれだけではない。これらは、これから議論することに有益であると言う視点で掲げているものである。
  1. 人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった。
  2. 人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった。
  3. 人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった。
  4. 人類は、持久性を強化する必要があった。
我々は、後にこれらの性質がどのように農耕社会の成立に役立ったのか、あるいは邪魔になったのかを見ることになるだろう。

では次に、狩猟採集社会から農耕社会に移行した時に人類が被った変化のことを考えてみたい。その前提として、なぜ人間は農耕などというものを開始したのかということを少し考察しよう。もちろん、狩猟採集生活を始めた際と同じように、食糧問題への対応という意味合いが大きかったことは間違いない。当時の気候について振り返ってみると、1万年前から8000年前くらいまでに、氷河期が終わりを告げる。人類は、寒冷な気候におけるハンターとして繁栄していたが、氷河期の終了でマンモスのような大型哺乳類は絶滅し、全地球的に植生が変化する。おそらく、人類が食料としていたような動物は劇的に減少したに違いない。そういう状況で、人類は食糧不足への対処を迫られただろうその一つの解決策として「発明」されたのが農耕であったと思われる

氷河期の終了で地球が温暖化し、穀物のように温暖な気候で育つ植物の栽培が容易になったことも、人類の農耕社会の構築を後押ししただろう。しかし、食料問題に対処するという理由だけで、肉食生活から草食生活に移行するに足る圧力を人類が受けたのかよくわからない。狩猟採集生活の開始ということについては、サバンナや疎林という食物の乏しい環境に適応するためという理由で十分説明できるように思えるのだが、氷河期後の食糧難はそんなに苛烈なものだったのだろうか。主観的な意見だが、人類には、大型哺乳類の多くが絶滅した世界で、小粒なハンターとして細々と生きる道も残っていたように思われる人類がやむにやまれず農耕を開始した理由は、よくわからないのだ。

というわけで、農耕が誕生した本当のところの理由はよくわからないのだが、ここで面白い説を紹介しておきたい。農耕の開始を、王権の誕生と結びつける仮説で、こういうものだ。狩猟採集生活では、ボスの権威は決して高くない。なぜなら、ボスは、必ずしも群れのメンバー全員に対して常に十分な食料を配分できるとは限らないからだ。狩猟は、一種の博打のようなもので、いくら優秀なハンターであっても、例えば獲物となる動物がいなければ狩りのしようがないし、仮に獲物を首尾良く発見したとしても、成功率はそんなに高いものではない。一方で、群れのボスには権威を維持しようとするインセンティブが常に働いていたはずだ。しかし、狩猟生活を行っている限りは、食糧供給は安定的にはなりえない。さらに、先述の通り氷河期の終了と温暖化によって、狩りの成果は得にくくなってきている。そこで、群れのメンバーに安定的に食料を供給し、自らの権威を維持するために農耕を開始したというのだ。

この仮説の面白いところは、普通は農耕開始以降に階級格差などが広がったとされるのに、この説では逆に階級格差を維持するために農耕を開始したと考えるところである。もちろん、この仮説は現在支配的な仮説ではない。むしろ、かなり異端的な仮説と言えるだろう。しかし、既に書いたように、人類の不平等を許容する性質は、狩猟採集生活において身につけられたものであり、このような説をあながち簡単に棄却すべきでないように私には思われる。

さて、少し話が逸れたが、理由はともかくとして、人類は1万年から5000年くらい前の間に農耕を開始したということだ。これが、人類にどのようなインパクトを与えただろうか。おおざっぱに言って、私は農耕社会という群れの在り方は、意外なことに、それまでの人類の精神構造に非常に都合がよい部分があったと考える。そして、そこにこそ、私が農耕の開始は人類最大の不幸だという理由があるのである。

その理由について具体的に示していこう。まず、農耕をする社会とは、どのような社会だろうか。狩猟採集との違いはなんだろうか。これについて、先ほど示した、人類が狩猟を開始するにあたり被ったに違いない4つの変化に即して考えよう。

まず、3つ目と4つ目を考える。すなわち、「3.人類は、戦略性や役割分担、協力行動を発達させる必要があった」と「4.人類は、持久性を強化する必要があった」についてはどうだろう。これは、まさに農耕社会でも求められることである。単に自分の周りにある果物などを消費する食料採集社会は、かなり刹那的な社会であり、明日のことは明日考えるというもののはずだ。一方で、狩猟や農耕には高い計画性と持続性が求められるし、高度な役割分担や協力行動が必要だ。私は、人類は一度「狩猟」というライフステージを経なければ、決して「農耕」という文化を生み出すことはなかっただろうと思っているが、まさしくこの2点は、農耕社会の成立に役立った性質であろう

むしろ、役割分担や協力行動、そして持久性は、狩猟よりも農耕においてその本領を発揮する性質だったのではないだろうかとすら思える。先ほど述べたように、持久性などは狩猟戦略としてはかなり例外的なものであり、役割分担や協力による狩りも、人類がか弱いサルだったからこそ編み出した戦略であった。それなのに、ひとたび農耕というライフスタイルを身につけるや、役割分担や協力行動、持久性などが、社会維持にもっとも重要な気質として脚光を浴びたように思えるのである。

次に、1つ目と2つ目を考える。すなわち、「人類は、危険(スリル)に耐性をつける必要があった」と「人類は、探求行動自体を楽しむ性質を強化する必要があった」については、どうだろうか。この2つの性質は、農耕社会においては全くマッチしない性質だっただろうと思われる。ハンターとしての人類の視点からすれば、農耕などという生活は非常に退屈だったに違いない。農耕にスリルはなく、基本的には単調な作業の繰り返しである。そして、探求的でもない。農耕はどちらかというと受動的な作業であり、降雨や気候、病気や害虫など、その場その場の状況によって、適切に対応していくことが中心である。農耕が退屈というのは、決して農耕に知性を要さないというわけではなく、むしろ判断力という意味で言えば狩猟よりも高レベルの判断力が求められるだろうが、その内容が受動的なものになりがちで、新規な事件への対処というよりは、既知の知識の総合という側面が強いということである。農耕にアドレナリンは必要ないのだ

だから、人類が農耕社会を構築するに当たっては、どうやってその退屈に適応するかは大問題だったはずだ。例えば、猫に狩りを禁じると非常なストレスを受ける。もちろん、檻の中のライオンもそうだ。そういった、狩りをする生物が狩りを禁じられた状態は非常なストレスのはずで、人間も同様の課題に直面したに違いないと思えるのだ。

そこで、本当に人間は探求と危険(スリル)が好きなのか。そこに疑問を持たれる方もいるかもしれない。しかし、現代社会を見ても、探求とスリルを求めて娯楽に打ち込む人間は多い。探求の例としては、クイズ、パズル、学問、推理小説など。スリルの例としては、ジェットコースター、ギャンブル、モータースポーツなどだ。特にハリウッド映画では探求とスリルはエンターテイメントの要素として大きく、謎解きとアクションはヒット映画に必要不可欠のものだ。

ただし、一つ付け加えておくと、狩猟は元々男性の仕事として進化したために、こういった狩猟採集社会的特質は男性の方がより強く受け継いでおり、女性についてはこういった傾向は希薄である。女性については、拠点地(巣)からの移動をあまり行わない生活をしていたと思われることから、コミュニティ(ゴシップ、うわさ話、ドラマなど)や営巣(家具、装飾など)、自己投資(グルメ、ファッションなど)が娯楽としての強い関心になっている。

さて、農耕という(狩りに比べて)単調な作業を強いられることで生じた退屈に、人間はどうやって適応したのだろうか。現代社会における娯楽を簡単に概観するだけでわかるように、ある程度人間は単調さに慣れたものの、探求とスリル好きは本質的には矯正できなかったというのが私の考えである。では、どうやって退屈さを紛らわせたのか

その答えが、「文明」の創造ということではないかと私は思う。つまり、退屈さを紛らわすために人間は文明を作ったのだ。文明が持つ特質、例えば、制度、象徴(シンボル)、儀礼、行政などを考えてみるとよい。どれも、この世をややこしくするために作られているようなものではないか。複雑で難解な古代の風習や神話を学ぶと、どうしてこんなに迂遠な方法で世界を理解し、社会を構築していたのかと疑問に思うが、それが退屈を紛らわすためであれば、私には非常に納得できるのだ。そう、人間は、退屈になって、シンプルに生きることができなくなってしまったということだ。

もちろん、文明を造り出したことは偉大なことだと思う。そして、次回述べたいと思うが、文明は、単なる退屈しのぎではなく、もちろん意味のある退屈しのぎ壮大な暇つぶしであった。普通、文明というものは、農耕の開始により社会が複雑化・巨大化することによって誕生したもののように思われているが、私の考え方は逆で、農耕社会を維持する装置として文明が創造されたと見る。そして、社会維持装置としての文明という側面こそ、文明の価値ではないかと思う。

さらに、私の主張したいことは、繰り返しになるが、本来狩猟採集生活に適応していた人類の精神が、農耕社会においては不自然に機能してしまったということだ。具体的には、役割分担や協力、そして持久性という性質はあまりにも農耕に適しすぎており、農耕という生産方法を過剰に成功させた(どのあたりが過剰なのかは次回述べる)。逆に、スリルと探求好きな性格は、農耕という退屈な生産方法に全く適しておらず、その捌け口を求めた。つまり、人類の精神は、農耕に適しすぎていた部分と全く適していない部分があったということだ。そして、幸か不幸か、これらはプラスマイナスで考えると大きなプラスであり、農耕の開始は人類を空前の繁栄に導くことになったのである。そして逆説的だが、この空前の繁栄こそが、人間が不幸になったことを示唆しているのであり、それについては次回論じたい。

【参考文献】
文明を退屈しのぎとして見る見方に通じるものとして、文化の起源を欲望の充足を困難にするための方法として考える見方を提供してくれる極めて面白い本が「誘惑される意思 -人はなぜ自滅的行動をするのか」(ジョージ・エインズリー著)である。未来価値の割引率が指数的でなく双曲的であるということから、多くの「不可解な」自滅的行動を説明している。また、欲望は簡単に充足させられるよりも、充足が困難な方が欲望としての価値が高いという大変興味深い説を披露してくれている。

0 件のコメント:

コメントを投稿