【要約】
- 婚姻制は社会の安定には役だったが、それは良い面ばかりではないことを述べる。
- 一つ目のテーマは婚姻制と政治。そもそも婚姻制は政治的ではなかったが、「社会を安定させる」という機能は極めて政治的なものだ。
- 人類の祖先は狩猟採集社会のもとでも戦争をしていただろう。しかし、その戦争は大きな利益を生むものではなかった。利益の小さい戦争が頻発することは社会的損失であるため、戦争防止の方策の1つとして、近隣の集団との同盟があった。その同盟関係を担保するため、族外婚が使われたのではないか。族外婚は、同盟関係の維持に有効で、その上遺伝学的にも合理的だ。
- 婚姻制は愛や嫉妬などの自然的感情を補完するものに過ぎないのに、なぜ婚姻制を道具として使うことが可能だったのか。理由は、①女性にとっての男性の価値は、資源提供能力であり、愛はそれを確実にするために発達したものだったから。②特に男性にとっては、婚姻関係を持続させるインセンティブがセックスにあったから。③配偶者探しが容易になるため、特に男性にとっては、結婚相手が社会的に決まることが歓迎されたから。という理由が考えれる。
- 族外婚は、普通女性が他の集団に嫁ぐ形を取る。なぜなら、集団間の友好のためには、価値あるもの=女性を提供することが必要だからだ。そのため、族外婚を行う社会は男系的になる。これが家父長制を生み出す一つの要因になる。
- 婚姻制の存在以前の社会は、基本的に母系社会だった。なぜなら、親子関係が確実なのは母子だけだからだ。しかし、族外婚により、家系の中心は男性になった。そして、女性を価値ある「資源」と見なす考えが発生しただろう。婚姻制は、生物学的には自明ではない、男系社会=家父長制を生み出した。
- 二つ目のテーマは、婚姻制と相続。相続は、人の悩みの種である。世代間対立は、親はできるだけ少ない資源で子供を育てようとし、子供は親からできるだけ多くの資源を引き出そうとすることから生じる。しかし、人生の最期には持てる資源を全て子供に与えることが合理的であり、それが相続だ。
- 男系社会において定住・農耕社会が成立すると、男性から大きな資産が相続されることになるので、家父長制が生まれた。だが、男性は相続のリスクも抱えていた。
- 相続は、誰にどのくらいの資源を与えるか決めるのが困難だ。①平等な相続、②子供一人への相続、③②の特殊な形態として長子相続、④親がその状況に応じて決める、⑤相続しない。このような方法のどれにもメリット・デメリットがある。相続にはきょうだい間の対立の防止と、社会的序列の維持、未来への投資の3つの観点があり、それらが矛盾するものだからだ 。
- さらに、どれくらい相続可能な資産を残すのかということも考えなくてはならない。 人間は、資産の管理と継承という問題も考えなくてはならなかった。
- 安定的な相続法を確立させた社会は繁栄しただろう。それは、格差の固定化も生み出し、階級制のきっかけともなった。階級制は、社会の安定のためにはよかったかもしれないが、社会の流動性を阻害し、社会を停滞させる要因でもあった。
- 婚姻性を道具として使うやり方が発展したのは、それが社会の安定に寄与したからだ。社会の安定は、社会全体で考えると良いことだが、個人のレベルでは必ずしも良くない。人類のジレンマの一つがここにあるのではないか。 しかも、実は長期的には社会の活力を失わせる要因にもなる。安定していることはリスクでもあるのだ。
前回は、婚姻制は社会を安定させる機能があったと述べた。下剋上的にパートナーが入れ替わっていく世界より、ある程度パートナーが安定していた方が、群れとして協力することもより容易になるし、その結果として、婚姻制のある社会は、それがない社会よりも繁栄するだろう。
このように述べると、婚姻制は素晴らしい発明だ、ということになりそうなのだが、今回は、婚姻制は良い面ばかりではないということを示したいと思う。もちろん、婚姻制がある意味での桎梏であって、例えばより魅力的なパートナーが現れた時に柔軟な対応ができない、といったようなデメリットはすぐに思いつく。しかしながら、そもそも婚姻制はそういう行動を抑制するために誕生したのであって、今回はそういう観点では考えない。むしろ、婚姻制の誕生から帰結するところの種々の結果を、二つのテーマのもとに論じてみたいと思う。
さて、まず一つ目のテーマとして、婚姻制と政治について考えてみたい。なぜ婚姻制が生まれたのかということを振り返ってみると、 そもそも人類においては、女性が子育てのために男性からの資源を要したということから、序列上位の男性による女性の独占ができなかった、ということに端を発している。序列と配偶の相関関係が弱くなったことで、配偶者獲得競争を激化するよりも、「婚姻」という形で配偶関係の社会的決定を行うことでそれを緩和するメリットが男女双方にとって大きかったということである。だから、そもそも婚姻制は政治的ではなかった。
では、なぜ政治というトピックを出したのかというと、「社会を安定させる」という婚姻制の機能が、極めて政治的なものだからである。ただし、人類が狩猟採集生活を行っていた時代には、婚姻制の政治性はあまり強くなかったのではないかと思う。狩猟採集生活においては、大きな群れを構築することはできないし、既に述べたようにボスである利益も大きくなく、人間の政治性はそんなに高くなかったと思われるからだ。しかし、群れの中だけ見ればそうなのだが、群れの外まで見ると、そうともいえないかもしれない。
一時期、「高貴なる野蛮人説」なるものが流行ったことがあった。それによると、人間社会に存在する問題は文明化以降に生じたものであり、文明化以前の段階にある現代の狩猟採集民においてはそれらの問題が存在せず、彼らは原初的な精神の高貴さを保持しているということだ。私自身、人間社会に存在する問題は、文明化以降、特に都市化によって生み出されたものが多いと思っており、この説に賛同できる面もある。しかし、狩猟採集民が高貴な精神を持っているのかというと、はなはだ危うい。彼らも、我々と同じ人間であり、別にどちらが高貴でどちらが野蛮というわけではない。環境が違うので、違った振る舞いをするというだけであり、彼らの社会が特に道徳的な意味で何も問題ないというのは行き過ぎである。
現在は、「高貴なる野蛮人説」を信奉している人は、少なくてもメインストリームにはあまりいない。例えば、殺人、嬰児殺し、復讐、戦争などというものは狩猟採集民の世界でも存在しているし、その発生率は、現代の先進国におけるよりも高いというデータもある。私は、人類の発明の中でも「法」はかなり偉大なものだと思っているが、社会の安寧を守る透明性の高い仕組みがない状態では、人間はどんな環境にあるにせよ、何をするかわからない。
さて、少し話が逸れたけど、ここで述べたかったことは、狩猟採集民族においても、基本的な精神構造は人間として同じであり、必要に応じて戦争もしたし、そして戦争終結の際に和睦も結んだに違いないということである。
狩猟採集民における「戦争」というのはちょっと混乱させるものの言い方で、戦争については別の機会に述べることとするが、「戦争」といっても、19世紀以降に普通になった全面戦争のようなものを意味していない。 ここでは、どちらかというと現代の内戦のようなものをイメージした方がいいのかもしれないが、別のコミュニティとの組織的戦いという意味で、以後「戦争」の用語を使用することとする。
さて、狩猟採集民が戦争をする場合はどんな原因があるかというと、領土問題、怨恨(報復)、歴史的対立などがあるようだが、その原因についてはここでは詳しく述べない。むしろ、このような場合では、勝利したとしても大きな利益を生むものではないということに留意したい。領土問題については、猟場の確保など、生産面に与える影響も大きいようだが、狩猟採集の生活をしている限り、自ずから資源には限界があることもあり、実際には死活問題ではないと私は考える(ただし、これをしっかり主張するためには、ちゃんとした実証研究を待たねばならない)。
ということで、大きな利益を生むものではないのに、なぜ戦争が起きるか、と言う疑問が生じる。最も普通に考えられるのは、一回の戦争では利益が大きくなくても、それが何回も繰り返される場合、戦争する方が得になったからだ、ということだ。実際、ゲーム理論において、一回切りのゲームと無限回繰り返しのゲームにおいては、均衡(安定的な状態)が異なる場合がある。一回切りの戦争においては、領土を割譲することが合理的な場合でも、それが終わることなく繰り返されると、結局領土がなくなってしまう。だから、好戦的な民族がどこかにいる限り、戦争は(潜在的には)なくなりはしないのだ。
しかし、大して利益のない戦争を続けているようだと、その地域に住んでいる民族は、結局は疲弊してしまう。領土問題は、典型的なゼロサムゲーム(つまり、関係者の利得を合計すると0になる)だし、怨恨や歴史的対立は、おそらく得をする集団がどこにもない。結局何がいいたいのかというと、狩猟採集生活においては、できるなら戦争しない方がよいということだ。一方で、好戦的な民族がどこかにいる限り戦争はなくならないので、戦争を防止する手段を発達させなければならない。これは現代世界でも同じことで、国家間同盟のほとんどは国際的係争の防止を主要な目的としていると考えられる。
現代の世界であれば、条約に署名すれば同盟を結ぶことができるが、古代社会において、どのようにして戦争の防止、すなわち集団間の友好関係を確立することができただろうか。文字がないから、現代のような条約を締結することはできない。ただし、文字がないことは実はそんなに重要ではない。約束を履行しなかった時にペナルティがちゃんと存在することこそ、約束を成立させる必須の要素だけれど、 古代社会ではこれが難しい。現代においても、国際連合がうまくいかないのは、ペナルティを課すという制裁力が弱いという要因が否定できないだろう。
さて、戦争は防止したいが、集団間で約束を結ぶことが難しい。そこで、我々の祖先はどうしたか。これにはいろいろな考え方がある。例えば、交易による相互依存関係を発達させたとか、ある種の儀礼などを発達させて定期的に友好を確認するとか、いろいろな方法があったことだろう。そして、この方法の一つとして、婚姻制を用いた友好関係の保持があったと考えられる。つまり、「族外婚(族外結婚)」の風習である。
族外婚とは、同族内で婚姻することが出来ず、通常ある決まった外部集団と婚姻する制度のことを言う。例えば、A族の男は必ずB族の女と結婚しなければならないとか、C族の女はD族の男と結婚しなければならないというような方法である。
もちろん、これには適応的な意味がある。同族による婚姻を繰り返すと、劣性遺伝の形質が発現する確率が大きくなる。だから、 新しい血を入れることが必要で、そのために族外婚は遺伝学的に合理的だ。しかし、単に新しい血を入れることだけが目的であれば、決まった集団にパートナーを求める必要はなく、単に同族外と結婚すればよいだけだ。族外婚には多分に同盟の要素があるのである。
婚姻制は、同盟には非常に便利だ。血縁者は常に重要な利害関係者であり、自分の娘や息子、孫がいる集団に対して戦争を仕掛けようと思う親はあまりいないからだ。しかも、遺伝学的な合理性もある。これは非常に都合がいい方法であったに違いない。
しかし、なぜ婚姻制を道具として使うことが可能だたのか。既に説明したように、人間の配偶関係は愛という非合理的感情を基盤にしている。そして、それを補助するものとして嫉妬という感情がある。つまり、感情的な結びつきが基本なのだ。婚姻制は、それを補完するものに過ぎないはずだ。それなのに、感情的な結びつきがない状態で、政略結婚がいかにして可能なのか。それには、3つの要素が関係していただろう。
一つ目は、女性にとっての男性の価値は、資源提供能力であり、愛はそれを確実にするために発達したものである、という点。つまり、愛はそれ自体に価値があるのではなく、本当の価値は男性が提供する資源にある。だから、政略結婚であっても、その男性が自分や子供の面倒をちゃんと見るのなら、その男性には価値があった。
二つ目は、特に男性にとっては、婚姻関係を持続させるインセンティブがセックスにあったという点。こういう言い方をすると身も蓋もないが、生殖能力を持つ女性であれば、男性にとっては誰であれ十分に愛すべき対象だったのかもしれない。
三つ目は、配偶者探しが容易になるため、特に男性にとっては、結婚相手が社会的に決まることが歓迎されたのではないかという点。これは、上記二つとはちょっと別の理由である。上記二つは、基本的に「愛」がもともと生じていないようなところでも、婚姻によって二人には愛(のようなもの)が生じ得るという理由である。しかし、これは、族外婚は男性にとって都合が良かった、という理由である。ではなぜ男性にとって都合が良いかという点を説明したい。
族外婚の説明をした際には、詳しく述べなかったけれども、A族の男はB族の女と結婚するというルールがあったとして、このルールは具体的にはどのように運用されるかというと、一般的には、女性の方が男性の家系に嫁ぐ形を取る。なぜならば、族外婚は集団同士の友好のため、すなわち同盟のために行われるものであるので、基本的に価値有るものを別の集団に提供する必要がある。そして、婚姻市場において本質的に価値があるのは女性であって、男性ではない。なぜなら、極論を言えば、男性は一人いれば、多くの女性を妊娠させることができるが、子供を生むという女性の機能は他のものでは代えられない。
だから、族外婚を進める場合、基本的に社会は男系的になる。女性は生まれた村を離れて、男性の待つ村へ嫁いでいかなくてはならないからだ。私は、ここに家父長制の起源があるのではないかと思う。
婚姻制の存在以前という原始社会を考えてみると、基本的に人類は母系社会を形成していたのではないかと思われる。なぜなら、男性にとっては、生まれてきた子どもが自分の子供であるか確証は持てないからだ。だから、自分の子供の面倒を見るよりは、新たなパートナー探しに頑張った方がいいかもしれない。もちろん、子供の面倒を見なければ、本当の自分の子供もうまく育たないかもしれないので、子供を全く無視していたわけでもないだろう。ただ、男親と子供には、強い結びつきは生まれていなかっただろうと思われる。基本的に子供は、父親よりも母系の親類から厚い保護を受けたに違いない。つまり、社会構造は母系が中心でおり、男系はそれに付随して理解されているに過ぎなかっただろう。
しかし、族外婚を進めたことで、女性は出身の家系から分断されるようになり、いきおい社会は男系が中心になった。そして、「女性は他の集団へ提供する資源だ」という考え、つまり女性をモノとして見なす考えが広まり、今風に言う「女性の地位」が下がったであろう。今でも、族外婚という風習をフェミニズムに反するものとして非難する人がいるが、私は、その批判は当たっていると思う(個人的には、フェミニズムという考え方はよくわからないが)。そして、「愛などというものは、18世紀のロマン主義(あるいは12世紀の中世騎士道)が生み出した幻想だ」といったような、「高貴なる野蛮人説」に立脚した考え方の方が間違っていると思う。狩猟採集民の社会制度が、なぜ人間本来のものであると言い切れるのか。ここで説明したように、族外婚が生まれたのは、単純に集団間の同盟関係を確実にするためであって、愛のような人間の自然な感情には反したものであったかもしれないのだ。
そして、婚姻制は本来、愛や嫉妬という自然な感情を補完するものとして生まれたのにも関わらず、社会の安定のためとはいえ、そういった自然な感情が置き去りにされ、婚姻制が単なる社会維持装置になってしまったということは、皮肉ではないだろうか。戦争が起きないことは重要だが、そのために不幸せな結婚がなかったとは言えないのである。
ここで主張を繰り返すと、婚姻制を族外婚という制度とあわせて運用することにより、男系社会が出現したのではないかということだ。もちろん、もともと軍事や政治といったものは男性の領域であり、族外婚という考え方自体が政治的である。つまり、男性同士の緊張を緩和するために族外婚のような制度が創りだされたという側面もあっただろうから、族外婚は男系社会の原因なのではなく、むしろ男系社会の結果として、生み出されたのではないかという考え方も可能である。しかしながら、この二つの現象の因果関係がどちらであっても、私の主張にはあまり違いがない。この二つは強く相関しているということは言えるだろうからだ。私の主張は、婚姻制は、ついに生物学的には自明ではない、男系社会=家父長制を生み出したということなのだ。
さて、本稿の二つ目のテーマに移ろう。次は、婚姻制と相続である。婚姻制成立以前においても、相続という概念は存在していたに違いない。なぜなら、動物の場合でも、相続という概念がないわけではない。例えば、もっとも単純な例としては、ナワバリを相続するという動物がいる。ただ、動物の場合は、もともと何か資源(動産、不動産)を持っているような生物はごく一部なので、相続というのはあまり一般的ではない。人間の場合も、婚姻制成立以前においては、大したものを相続してはいなかっただろう。
なぜなら、先程も述べたように、婚姻制成立以前は母系社会だったと考えられる。つまり、相続は母から子への相続が基本になっただろう。そうすると、あまり大したものは相続されないと思われる。なぜなら、もともと女性の価値は生殖にあり、資源の提供は男性の役割だった。よって、女性は自分の自由になる資源をあまり持つことができない。資源をある程度男性に依存しているからだ。もちろん、母の兄弟(叔父など)からの相続もあっただろうから、一概に相続するものが少なかったと断ずることはできないけれども、少なくとも父方からの資源はあまり期待できないので、相続するものは相対的には少なかっただろうとは言える。
それが、婚姻制が成立し、自分の子供が本当に自分の子供であるということの確実性が高まると、父方からの相続が可能になる。さらに、(世界中どこでも起きた現象というわけではないが)族外婚というしくみにより、家父長制が成立すると、その傾向はなおさらである。
子供は、それまでよりもより大きな資源を受け取ることができるようになったということで、これも一見よい結果に思える。しかし、相続が現代においても大問題であることからわかるように、古代においても相続は大問題だっただろう。ここに、人が苦しむ原因の一つがあるのだ。
相続に関する議論を続ける前に、世代間対立についても触れておこう。オイディプスの話を引くまでもなく、世代間、つまり親と子には本質的な対立が存在する。それは、資源の奪い合いである。通常、子どもが増えても収入は増えない。 だから、ある家族は、一定の収入の中で子供を育てなくてはいけない。そして子供は、より強く、より賢く育つために、親から最大限の資源を取得することが重要である。だから、他のきょうだいよりも多くの食べ物を貰いたいと思うし、他のきょうだいよりもよい技術を身につけたいと思うだろう。だから、きょうだいというのは、人生初の生存競争の相手なのだ。
だからこそ、神話にはきょうだいが闘争する話がよく出てくる。アベルとカインしかり、山幸彦と海幸彦しかりである。 しかしながら、きょうだいは生存競争の相手としては、そんなに厳しい相手ではない。なぜなら、同じ父母から生まれたきょうだいは、2分の1の確率で遺伝子を共有しており、きょうだいが成功することは、自分の成功でもあるからだ。以前も使った用語を使えば、きょうだいの適応度を高めることは自分の適応度を高めることにもつながるので、包括適応度の観点から見ると、きょうだいを助けることには適応的な意味がある、ということである。
だが、親は違う。親も、兄弟と同じように、2分の1の確率で遺伝子を共有しているが、親の適応度を高める(すなわち、親がもっときょうだいを生むように助ける)ことは、メリットもあるがデメリットも大きい。つまり、家族が使える資源は一定なので、きょうだいの数が増えると自分が受け取れるはずだった資源の量が減ってしまう。もちろん、きょうだいの数が増えることで包括適応度が高まるというメリットも存在する。だから、きょうだいの数が少ない時は父母がさらに子供を作ってくれるように応援することが適応的だが、きょうだいの数がある程度に達すると、新たな子供は生まれてこない方が合理的になる。子供にとってどういう行動が合理的かは、父母の資源提供能力に依存する問題であっただろう。
しかし、父母が新たな子供を作らない状態(高齢)だったり、あるいは別のパートナーと子供を作ろうとする状態だと、子供にとっては親に協力するインセンティブはほとんどなくなる。親からは、最大限の資源を奪い取ろうとすることが子供にとって合理的である。しかし、親にとっては、子供は最小限の資源で育てたいと思う。なぜなら、もっと多くの子供を作れるかもしれないし、子供に投資するよりも自分自身の序列を高めた方が、子供の適応度を高めることになるかもしれないからである。
しかし、平均的に言って、親は子供より早く死ぬ。資源をあの世にまでは持っていくことができないわけなので、最終的には資源は誰かのものになるだろう。そして、一つの合理的な考え方として、生殖能力のない個体にとって自らの適応度を高めるためには、子供の適応度を高めることが必要なので、資源を自分の子供に与える、つまり相続するという発想が生まれただろう。
そして、定住・農耕社会が成立すると、それまでとは比べものにならないくらいの富が集積されることとなった。そして、この富が相続されることにあっていくのである。先程、族外婚というものが家父長制を生んだと述べたが、実はこの言い方は正確ではない。族外婚が生んだものは、男系社会であって、年長の男性が一族を支配するという意味での家父制ではない。単なる男系社会を家父長制的にしたのは、おそらく農耕社会だっただろう。なぜなら、農耕によって、家系には余剰の富が集積したはずで、これを管理していたのが族長たる年長の男性だったであろうと思われるからだ。そして、年長の男性が大きな資源を持っていることで、一族の支配権を握ったのであろう。さらには、族外婚という形で外に出てしまう女性に大きな資源を分割すると無駄になるので、基本的には女性にはあまり資源は相続されないことになる。これは、女性の社会的地位をさらに押し下げたことだろう。
さて、相続が家父長制の誕生と維持に重要だったと思われるが、必ずしも、男性が相続を都合よく使えたのかというと、そうとも言えない。彼らは、相続という難しい問題をうまく解決することはできず、むしろ、相続には頭を悩ませたに違いない。そして、時にはそのために命を落とすような人間も、少なからずいた。もちろん、これは男性だけの問題ではなく、遺産相続は女性にとっても重大事である。例えば、一夫多妻制においては、複数の妻(とその子供)にどのように遺産が分配されるかは大問題である。しかし、家父長制的な世界において、財産の処分権を男性が持っていたのであれば、相続の問題により悩まされたのは男性だと思われる。男性は、女性を支配しているつもりだたのかもしれないが、それに付随する各種のリスクも負っていたのだ。
相続の難しさは、誰にどのくらいの資源を与えるか決めるのが極めて難しいという点にある。具体的には次のような相続法が考えられるが、それぞれにメリットとデメリットがあり、どれが最善というものはない。
(1)きょうだい間の争いをできるだけ少なくしようと考えると、平等に資源を分割することになるが、こうすると、親の資源は数分の1になってしまうため、子供世代では社会での序列が低下してしまう。多くの貴族がこういう相続をしてしまったために零落した。モンゴル帝国が一時期ユーラシア大陸のほとんどを支配したにも関わらず、すぐに瓦解してしまったのは、モンゴル帝国において分割相続が行わたからということも一因であろう。
(2)零落を防止するため、子供のうちの誰か一人に遺産を相続することにすると、まずはきょうだい間の争いが起こりやすくなる。特に、受け取る遺産が大きい程きょうだい間の争いは激しくなり、資源の浪費が増える。 また、誰に相続するか決める方法において、親の影響力が確立されていないと、親自身が殺されてしまうリスクが存在する。
(3)長子相続(長男への相続)は、きょうだい間の争いをなくし、資源の分割を防止する方法として有効だが、常に長子が優秀であるとは限らない。長子の能力が明らかに他のきょうだいより劣っていた場合に相続に失敗することになる。江戸時代の日本のように、実子に見込みある子供がいない場合は、養子を迎えるなどしなければ、この方法もデメリットが大きい。
(4)もっとも合理的なのは、被相続権は一人に限定しつつ、その一人は能力に応じて親が決定できるという方法に見えるが、これも難しい。まずは、家父長制の下では大きな問題でないかもしれないが、父と母の意見が一致するとは限らないし、それに、もっと大きな問題として、きょうだいで誰が一番見込みがあるかということは、意外と親は分からない。そして、本当に資源を一人に集中することがよいのかわからない。リスク分散のために、多少は他のきょうだいにも遺産を分配した方がいいかもしれない。こう考えていくと、結局どうすればいいのかわからない。
(5)極端な方法として、人生の最期には持てる資源を全部蕩尽し、相続すべき資源を残さないという方法もある。例えば、ものすごく派手で金がかかる葬式が必要な風習を持つところはこれにあたるだろう。しかし、この方法は争いも産まないが、子供の適応度も大きく高めはしないだろう。 (なお、この方法は、嫉妬が大きな意味を持つ社会で発達しうる。)
相続は、現代においても人の悩みのタネであり、未だにベストな方法というのは発見されていない難しい問題である。だからこそ、宗教が「あるべき相続の基準」などを教えたりもするのだろう。確かに、これは経済学などでは解けない課題だと思う。なぜ、相続はこんなにも難しいのだろうか。その答えは、上の例でもわかるとおり、相続には、きょうだい間の対立の防止と、社会的序列の維持、未来への投資の3つの観点があり、それらが矛盾するものだからだ。
きょうだい間の対立の防止の観点からは、平等的な分割が示唆される。社会的秩序の維持の観点からは、誰か一人に集中して相続することが示唆される。そして、未来への投資の観点からは、選択と集中のみならず、リスク分散をも考えた相続が示唆されるだろう。
さらに、どれくらい相続可能な資産を残すかということも難しい問題である。相続可能な資産は、無意識的に形成されていく面もあるが、それらを費消せず、次の世代に相続していくことはある程度意識的に行われる。ある程度の資産を形成したとき、自身の適応度を直接的に高めるようにその資産を使用してしまうか、それとも子供たちの適応度を高めるように取っておくかは一つの判断である。そして、もちろんこの判断を行うには、先程述べた世代間対立の要素も考えなくてはいけない。人間は、他の動物では決して頭を悩ますことがない、資産の管理と継承という問題を考えなくてはならなかったのである。
そして、人間社会において、上記の(1)~(5)に掲げたような、様々な相続法が発達したのは、その社会がどのような環境に置かれていたのかということと関係する。そして、相続というものが非常に重要なイベントであり、また、争いを生みがちなイベントであったために、安定的な相続法を確立させた社会が繁栄していったのではないかと思われる。その意味で、その妥当性はともかく、宗教が相続において一つの基準を示したことは、進歩と言えたのかもしれない。
一方で、安定的な相続法が確立されるということは、親の持っていた資源が安定的に子供世代に引き継がれていくことを意味する。これはこれで結構だが、要は、親世代であった格差が子供世代にも受け継がれるということだ。すなわち、階級制誕生のきっかけの一つが相続にあるのだ。そう、農耕社会という資源蓄積的な社会において、婚姻制から家父長制が成立し、相続がなされていったことが階級制の成立の引き金になるのである。それは、大きな資源を年長の男性が支配していたということ。そして、男性が女性よりも序列を重視するという傾向があったことなどが影響している。
そして、階級制というものが悪かったのは、平等性を破壊し格差を固定化したことももちろんその理由であるが、私にとってはその点よりも、社会の流動性を阻害し、極度に安定的な、そして既得権益の保護が重要な、そんな活力のない社会を成立させたところにあるのではないかと思う。もちろん、安定的であったことでよかった点もあるのだと思うが、このような社会のあり方は、人間本性には反しているように思えるのだ。
今回は、婚姻制が社会維持装置としてどのように働いているのかという点を考察し、一つは婚姻制が政治的に利用され、男系社会の出現を招いたとした。そして、男系社会は農耕社会によって家父長制に発展していったとしたが、私は、家父長制自体はいいとも悪いとも言えないと思っている。ただ、その制度の下で行われていた結婚は、どちらかというと人間の本性に反するものだったと思われるし、本来生殖においては女性の価値の方が高いがゆえに、皮肉なことに女性を資産として見る見方が生まれたのではないかと思う。そして、ここが強調したい点だが、そもそもどうして男系社会のようなものが誕生したのかというと、その要因の一つとして族外婚のような風習があり、これは、社会の安定のための制度だったということなのだ。社会の安定に寄与したからこそ、婚姻を道具として使う方法が発展したのだろうと思われる。
そして、婚姻制は、子供と父親の血縁を保証するために、父親からの相続を可能とし、これが家父長制の下で運用されることで、格差を固定化することに役立ったと述べた。そして、格差の固定化は、悪く言えば流動性のない、よく言えば安定した社会を作ることに寄与しただろう。社会の安定化は人類にとって概ね繁栄の要素である。社会を安定化するような変化は生き残り、社会を不安定化するような変化は淘汰されてきたのではないかと思われる(ただし、こういう言い方は社会進化論的でやや注意を要する)。しかし、私は、社会が安定化することは、群れのレベル、集団のレベルでは良くても、個人のレベルでは必ずしも良いことだったとは思わない。なぜなら、人類の基本的な精神構造は、適度に下剋上がある狩猟採集生活の中で培われたものであり、非常に安定性の高い社会に適応したものではないと考えられるためだ。人類の抱えるジレンマの一つが、ここにあるのではないだろうか。全体を考えると社会が安定している方がよいが、個人的にはある程度社会が流動的である方がよいという綱引きの問題だ。
しかも、社会が安定化することは短期的にはよいことだが、長期的には社会の活力が失われ、しかるべき創意工夫が停滞していく要因にもなったはずだ。だから、社会の内部がいくら安定していても、戦争とか革命とかで、時々その安寧は不連続的に破られることになる。すなわち、逆説的だが、安定していることはリスクでもあるのだ。
それでも、狩猟採取生活を続けている限り、問題になるような大規模な社会の安定は存在し得なかっただろう。人類の社会を極度に安定化させたのは、上の議論でも示唆したように農耕の開始である。というわけで、次回からは、農耕というテーマで語っていこうと思う。
【参考文献】
婚姻制と社会構造の関連を知るには、大著「親族の基本構造」(クロード・レヴィ=ストロース著)が必読である(と言っている私自身が未読だが…)。構造主義の原点ともなった重要な本。
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