- 農耕社会は、人間は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを安定的に構築できたという点で繁栄しすぎた。この群れの構造は、人間の本性にはマッチしていないようだ。にも関わらず、人類の大部分はそういう社会で生きざるを得ない。
- なぜ、農耕社会は巨大で安定的な群れを構築することができたのか。理由の一つ目は、農耕はある程度まで収穫逓減的であり、大規模でやれば大規模でやるほど効率がいいからだ。理由の二つ目は、人が「不平等を甘受できる」性質を持っていたということだ。
- 農耕社会においては、富を蓄積することが可能になってしまったために、人は「不平等を甘受できる」性質で、本来想定されていた程度を超えて不平等を是認していると考えられる。
- 農耕社会で富の蓄積を可能にした理由は3つ。①定住、②農耕における主要生産物が穀類だったことで、食料の長期保存が可能になったこと、③農耕は計画的に余剰生産物を生み出すことができたこと。
- 蓄積された富は、ボスが集中管理することになった。なぜなら、人間が進化的に培ってきた分配の哲学は群れの規模が大きいとうまく働かないため、富を分配する社会的な仕組みを作る必要があったからだ。分配は、ボスの重要な機能になった。
- なお、ボスが富を集中管理することの正当性は、おそらく不作時に備えるための貯蓄を組織的に行なったということにあるのだろう。
- ボスが大きな富を持つことで、ボスの支持基盤も優先的に富が配分される。結果的に、社会は不平等になった。そして、生産と配分を組織的に行うため、行政が誕生した。文明の産物の一つだ。
- 安定したボスとその周辺、という社会構造は、群れ全体の満足度とは無関係に存立しているため、その矛盾を解消するものとして、時々、革命やクーデターが起こる。それを防止するため、社会の不平等を糊塗=言い訳する必要があり、そのために作り出された堅牢な論理体系が文明の核ではないか。それは神話によって表現されてきた。なお、民主主義もそういう神話の一つだ。
- 文明の別の重要な機能は、群れの全員が否応なく協力するように強制することだ。群れのサイズが大きくなると、協力しにくくなり、相互監視も難しくなる。そのため、協力を実現するために、天国と地獄という観念を生み出したのではないか。これは、現実世界における信賞必罰が不可能な状況で、善行=協力を行うインセンティブとなるからだ。つまり、天国・地獄、善悪という二項対立は農耕社会的なのだ。ただしシナ文明は例外。
- 天国と地獄自体は意義があるが、問題なのは、善悪の価値観を決めるのが支配体制だという点。これは一種の全体主義であり、これにより社会の構造が固定化され、社会を停滞させた側面もあるのではないか。
- 現代社会において、宗教やイデオロギーが世界的な大問題になっている理由の一つに、文明同士の思想統制合戦の面がないか。文明は、人間から多様な思想を奪ったという部分があるのである。
私は、前回、農耕社会は繁栄しすぎたと書いた。そして、それこそが人類が不幸になったことを示唆していると書いた。しかし、これは矛盾していないか。普通は、繁栄は良きものであるはずであり、繁栄したら人間は幸せになるものである。
そこで、私の意図することをもう一度正確に述べてみたい。「繁栄」という言葉の意図するところは、人間は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを構築できたことがまず一つ。もう一つが、群れの構造が非常に安定的だったこと。結果として、人間社会が持続的に発展することができたということである。もちろん、最後の結果については悪いところばかりではない。持続的に発展できたことで、乳幼児の死亡率の低下や公衆衛生の改善など、人々の福祉は概ね向上している。しかし、私が問題としたいのは、その前提となっている、「巨大で安定的な群れの構造」である。
私は、人類の本性というものを考えると、巨大で安定的な群れに所属することは必ずしも幸せでなかったのではないかと思う。狩猟採集生活において人類の祖先がそうであったように、せいぜい150人くらいまでのバンド(小集団)で生活することが人間は現在でも居心地が良いと思うし、群れの構造は適度に不安定要因がなければ、既得権益の保護が社会活動の中心になり、(特に若者の)精神が停滞してしまう。人類は常に創意工夫によって生き残って来た生物であり、停滞した群れで生きることは、息苦しさと退屈を招くことが明らかだ。
にも関わらず、農耕社会というものが非常にうまくいってしまったがために、人類の大部分には、農耕社会という巨大で安定的な、そして退屈な群れに所属するという選択肢しかなくなってしまった。そして、そこは、そこそこ居心地が良くて安全なのだ。ここに人類が抱えるジレンマがあるのではないかと思う。
さらに、前回は文明というものを農耕社会の社会維持装置であると述べたが、どういった意味で社会維持装置であるのか、ということについて深く説明しなかった。そこで今回は、なぜ人類は農耕社会において巨大で安定的な群れ=社会を形作ることができたのかということ、そして社会維持装置としての文明の機能について説明したい。この議論を行うなかで、なぜ農耕が人類最大の不幸なのかということの一端を明らかにしたい。
さて、まずは、「人類は家族型の社会生物としては例外的なほど巨大な群れを構築できた」ということから説明していこう。
以前述べた通り、生物の構成する群れには大きく分けると2種類があって、
(1)血縁のない個体が、集団を作っている場合(selfish herdという)
(2)血縁のある個体が、家族としてまとまっている場合
のどちらかである。しかし、人間の群れ=人間社会の場合は、どちらのタイプにも当てはまらず、非血縁者と家族が混在している。群れは一種の利害関係者の集団であり、その利害関係が一筋縄でいかないからこそ、人間の悩みの原因があるのだ、ということを以前は述べた。人間が巨大な群れを構築できた原因は、人間の群れが基本的に血縁ではなく「利害関係者」の集団であるということにある。
狩猟採集社会においては、利害関係者といっても血縁者、つまり家族が中心になる。なぜなら、狩猟採集は収穫逓減(diminishing returns)の生産方法だからだ。つまり、規模が大きくなるほど一人あたりの獲物の量は減る。群れの行動範囲にはいくらメンバーの数が多くても限界があり、 その行動範囲にある食料は一定なので、群れのサイズが大きくなりすぎると、群れを維持することが出来なくなるのだ。だから、狩猟採集社会においては、群れは小さいサイズのほうが概ね得なのだ。よって、自然と利害関係者は血縁者中心になってしまう。事実、現代の狩猟採集民族は例外なく血縁を基本にして社会を構成している。
一方、農耕社会においては、利害関係者が膨大にふくれあがってしまう。なぜなら、ここが重要な点だが、農耕は(ある程度まで)収穫逓増、あるいは同じことだが費用低減(diminishing cost)の生産方法なのだ。つまり、農耕には「規模の経済」が効く。農耕をする場合は、基本となる装置(灌漑、農耕具、生産計画の立案など)はどんなサイズの農耕でも必要である一方、これらが揃いさえすれば、規模を拡大すれば拡大しただけの収穫が期待できる。
なお、現代においては農業は収穫逓増ではない。なぜなら、土地の取得が非常に困難になっているからだ。これは、古代においても山間部などの開墾が難しい地域においては当てはまっていただろう。そして、収穫逓増という条件が最も良く合致するのは、単なる農耕ではなくて、灌漑農耕である場合であろう。だから、文明の起源として、単なる農耕ではなくて灌漑農耕を重視している学者も多い。もちろん、灌漑という大事業を成し遂げることに、文明の力が必要だったことは明らかだ。しかし、灌漑施設の構築には多くの人手が必要であり、これはある程度文明が発達した段階における精算方法だと思われるので、やはり文明の本質を考察する際には、基本は天水による農耕を考えるべきであると思う。
さて、農耕が費用低減的であるということは、農耕社会は本質的に拡大路線になりがちだということだ。しかしながら、規模の経済が効いたから人間は巨大な群れを構築できた、というほど話は単純ではない。ここで、以前議論した人間の特徴が効いてくる。すなわち、「不平等を甘受できる」という性質がそれだ。
この性質が、その説明の際にも述べておいた通り、巨大な群れを構成する際には不可欠な性質であることは明らかだろう。なぜなら、群れが巨大になるほど、大多数の人間は序列の末端に位置することになり、極端な不平等にも甘んじなくてはいけない。動物の群れの場合、いくら規模の経済が効くような状況になっても、ボスになろうとする本能が強いため、大きすぎる群れには必ず離反者が出てくる。つまり、一生ボスになれないなら、独立してやろうという選択をするのである。人間の場合もそのような選択はなくはないが、人間が協力行動から受ける利益は莫大であり、一匹狼的な生き方は大抵得にならない。将来の見込みが不確実でしかも収穫逓減的である狩猟採集社会においては、そういう生き方も得になったかもしれないが、農耕社会においては、収穫逓増であるばかりでなく、安定的な収入も確保されているわけで、群れから離反するインセンティブはぐっと低くなったはずだ。
だから、人類は、「不平等を甘受できる」というその生来の特質を農耕社会において遺憾なく発揮し、巨大な群れを構成することができたのである。しかしこれにより、狩猟採集社会ではあり得なかったほどの不平等を生むことになった。そもそも、人類が「不平等を甘受できる」ように進化したのは、狩猟社会においては、ボスであることのウマ味があまりなかったからなのだ。つまり、群れの序列はあったが、実質的な差は大きくなかった。捕った獲物は群れの全員で分けることが狩猟採取社会の基本であり、ボスであるからといって、資源の独占はできない。しかし、農耕社会ではそうはいかない。農耕社会では富の蓄積が可能になった結果、ボスが資源を集約することが可能になったのだ。つまり、「不平等を甘受できる」という人間本来の性質が、元来想定していた程度を超えて、不平等の是認が行われたのだ。
ところで、なぜ、農耕社会では富の蓄積が可能になったのか。それには3つの理由がある。
一つ目は、定住である。定住することにより、簡単に移動できない大きな財産を持つことができるようになった。なお、これは厳密には農耕を必要条件とするわけではない。ただし、農耕開始以前でも定住していた社会はあると思われるが、大規模な定住が可能となったのは農耕開始以降であろう。
二つ目は、農耕における主要生産物が穀類だったことで、食料の長期保存が可能になったということである。なお、この点は、若干の留意を要する。人類は同時並行的に世界各地で農耕を開始したが、必ずしも穀類の生産を行っていた地域ばかりではない。たとえば、ある種のイモを主要生産物にしている社会もある。しかし、そういった社会は現代においてはかなり「遅れて」いるとみなされている(発展途上国であったり、いわゆる「未開」と呼ばれる地域にあったりする)。農耕と一言に言っても、長期保存可能な穀類の生産なのか、長期保存可能でないバナナやイモの生産なのかによって、その集団が辿った歴史は大変異なるものになった。中東で高度な文明が栄えたのは、メソポタミア川流域の人がとりわけ優秀だったわけではなくて、何を生産したかという歴史の偶然という側面も大きいだろう。
三つ目は、農耕は計画的に余剰生産物を生み出すことができたということだ。狩猟採集の場合は、収穫逓減的な生産様式であるため、必要以上の獲物を狩ることは難しい。一方農耕の場合は、100トンの生産でも105トンの生産でも必要なコストはそれほど変わらない。また、天候不順などによって栽培植物の生育が悪かった場合でも途中で作付面積を増やすことはできないため、自然と余裕を持って作付を行うことになる。その結果、仮に余剰生産を意識していなくても豊作時には余剰が生まれるのである。
そして、余剰生産物としての富は、自然と群れのボスに集中することになった。正確には、ボス個人の持ち物になったのではなくて、ボスの下で集中して管理が行われたのだろう。これは、生産物の「管理」には規模の経済(費用低減)が働いたということからの帰結である。この結果、群れのボスは狩猟採集社会ではありえなかったほどの大きな富を管理することになった。このことは、ボスがその富を群れのメンバーに平等に配分した可能性を排除するものではないが、大きな富を持った者がそれを進んで他人に分配するにはその理由がなくてはならない。富が自らの適応度を高めることが自明である以上、その富は我が物にしたいと思うのが自然だ。
社会のサイズが小さい場合には、収穫物の分配はかなり平等に行われることが経験的に知られている。特に極端な場合として、二人で生産したものをその二人で分配する場合は、その生産への寄与度のいかんに関わらず、かなり折半に近い形で分配されるだろう。これは、人類が狩猟採集時代に獲得した分配の哲学であると考えられている。狩猟においては参加メンバーの狩り行為への寄与度の個人差は大きい。最後のとどめを差す役割の人間もいれば、ただ周りを見張っているだけの役割の者もいる。そういったメンバーが、最終的には平等に獲物の配分にありつけるという期待があったことこそが、複雑な役割分担が必要な狩猟という行為を可能にした理由の一つでもある。
しかし、社会のサイズが大きくなると、収穫物の分配は必ずしも平等に行われない。おそらく、関係者の数が100人や200人を超えてしまうと、人類が狩猟採集時代に獲得した分配の哲学がうまく働かなくなるためなのだろう。そして、現代においてすら、どういった分配がもっとも良い(=効率的、公正、持続的)なのかは答えが出ていない難しい問題なのである。そういうわけで、なぜ人間本性に基づく分配の哲学がうまく働かなくなるのかは不明だが、とにかく我々は大多数の人間で資源を分配するのが苦手なのだ。
先程、「ボスは生産物の管理を集中して行った」と書いたが、それは、人間が分配下手だったことで、人間社会が調停者を必要としたためであろう。多くの人間で分捕合戦をすると、対立が生じやすかったり、あるいは単に力の強い人間が多くを得ることになる。だから、ボスが分配を担うことにより、少なくとも無政府状態で分捕合戦をするよりは、より効率的に生産物を分配することができただろう。もちろん、ボスは狩猟採集社会においてもそのような役割を担っている場合がある。しかし、農耕社会においては、生産物の分配はボスの重要な役割、ひょっとすると最大の役割となっただろう。
では、ボスは分配をどのように行ったのか。これは、一般論では答えの出ない問題である。ボスが何故にボスであるかという、政治的なバックグラウンドによって分配方法は大きく変わっただろうからだ。祭祀を司るシャーマン的なボスだったのか、遠い昔からあるボスの家系の者なのか、あるいは民主的に選ばれたボスなのか、下克上の成り上がりのボスなのか、といったことによって。だから、ボスが比較的平等に生産物を分配した社会もあった可能性も否定出来ない、しかし、それでも、ボスはきっと自分の手元により多くの資源を確保しただろう。なぜそう言い切れるかというと、農耕社会では、不作の時をどうするかという問題を解決する必要があったからだ。
もちろん、狩猟だってあまり獲物がないときもある。しかし、彼らはそれを群れを移動することによって解決する。より獲物が豊富な場所に移るのだ。一方、大規模な定住をする場合は、天候不順になったからといって簡単には畑を移動することはできない。だから、天候不順の場合にも群れのメンバーを食べさせていくことがボスの役割として重要になってくる。そして、これに対する解決策は基本的に、組織的に余剰生産物を貯めておくということに尽きるのだ。非常時への対処ということであれば、群れのメンバーはボスだけが巨大な富を持っていることを不正だと思わない。だから、ボスは大きな富を所持することができたのだ。
そして、ボスが大きな富を持つことができるのであるから、当然ボスはボスの座を守ろうとするだろう。そのために、自らをボスたらしめている政治的基盤である、少数の群れの重要なメンバーには平メンバーよりも大きな富を分配するだろう。当然、それらの需要なメンバーは、自分たちの支持基盤には重点的に富を配分するようにボスに要求しただろう。こういうわけで、一度ボスに集中した富は、平等的というよりは階層的に分配され、結果としてかなり不平等な状態になるだろう。普通の動物では、このような不平等な状態では群れのメンバーが納得せず、安定的にボスが存立することができないと予見される。しかし、人間の場合、「不平等を甘受できる」という性質を生来持っていた。この性質は農耕社会と不思議なほどうまく噛み合い、ボスによる不平等な分配を受け入れることで、結果として不平等な社会をつくり上げることになった。
しかし、その社会は単に不平等というわけではなかった。生産と生産物の管理はボスの元に集約され、組織的に行われることになったからだ。もっと直接的に言えば、ここで行政が誕生したのである。行政機構は文明において必須の要素であるが、これは農耕を組織的に行うだけでなく、収穫物の配分を組織的に行うために必要であったと考えられるのだ。
ところで、ここで一つの疑問が生じる。もともと、分配の問題を解決することがボスの役割として大きかったと推測されるわけだが、結果として不平等な分配になってしまったということは矛盾していないだろうか。実は、これは矛盾しているのだ。ただし、ボスという権力の中心がなく、秩序のない無政府状態よりは、仮に多少不平等でも、安定的に分配することが可能ならば、その方が有益だったということは言えるだろう。一言で言えば、悪法もまた法なのである。
そして、この矛盾が、ボスという存在は必ずしも永続的でないという事態を生んだわけだ。動物の社会であれば、小集団の中で日常的に新陳代謝していくはずのボスの座が、人間の場合は革命とか、クーデターといった社会全体の大変革で行われていく理由がここにあるのである。極端に安定したボスとその周辺、という社会構造があるにも関わらず、その構造は群れ全体の満足度とは無関係に存立しているという矛盾があるため、その矛盾を解消するものとして、時々、群れ構造の地殻変動が起きる必要があるのだ。
なお、この考え方は一つの陰鬱な結論を導きだす。つまり、農耕社会におけるボスの構造、すなわち社会的富の分配は、本来的に矛盾を抱えているということだ。つまり、効率的で公正で持続可能な富の分配方法など、存在していないのではないか。西洋哲学が何百年も考えてきた正義とか公正は、少なくとも富の分配に関しては解のない問題なのかもしれない。
さて、ボスとその周辺の人間にとっては、革命のような事態がそう頻繁に起こってしまっては困る。だから、公正な資源分配を行うためのボスの機能が、逆に不平等な社会を作り出しているという矛盾をどうにかして糊塗しなくてはならない。別の言葉で言えば、言い訳しなくてはならない。もちろん、単なる言い訳ではだめで、正常な推論能力のある大人が納得するような、堅牢な論理体系を造らなくてはならない。そういう論理体系こそ、あらゆる文明の核となるものであるように、私には思われる。文明とは、不平等を肯定するための言い訳なのだ。
ちなみに、その言い訳には、例えば次のようなものがあるだろう。
その1。ボスは神の子孫であり、特別な人間である(日本=天皇制)。
その2。ボスは通常の人間が持っていない特別な霊的能力を持っている(古代エジプト、マヤ文明?)。
その3。ボスは優れて徳のある人間であり、神(天)がボスを選んだ(中国=易姓革命説)。
その4。ボスは国づくりした始祖(最初のボス)の一族である(ローマ帝国、中世日本=幕府)。
その5。ボスは群れのメンバーの選挙により選ばれた人間である(古代ギリシア、現代の民主国家)。
これらで全てではないし、厳密にはこのように分けられるわけでもなく、様々な要素を組み合わせてそれぞれの文明で論理体系が創りだされている。そして、そういった論理体系は、通常神話のようなもので表現されている。もちろん、神話の内容はこういう言い訳がましい内容ばかりではない。場合によっては、人類が狩猟採集生活だった頃の記憶を伝えているような古い神話もある。しかし、農耕社会成立以降に作られた神話は、こういう言い訳を行うことがその機能の一つだったといえないだろうか。
なお、多くの人は、「その5」とそれ以外には大きな違いがあると考えるかもしれない。選挙によるリーダーの選出法は、それ以外に比べて公正であり、透明性が高く、より適材適所となると考えられているからだ。もちろん、それは事実だろう。しかし、「その1」から「その4」に掲げたような方法では優れた政治が行ない得ないと考えるなら、それは間違いである。人類史のほとんどにおいて、「その1」から「その4」のような方法で王が選ばれてきた。それでも、現代を超えるような政治的成果を達成したことはあったし(例:モンゴル帝国の世界征服)、現代では得難いような英君も出現した(例:マルクス・アウレリウス・アントニウス)。そして、民主主義の下においても、ひどい愚行は行われてきた(例:ナチスのユダヤ人虐殺)。民主主義は、比較的うまく最悪の状態を避けることができるという意味で優れたシステムであるが、民主主義によるリーダーの選出は正しい方法だとするのは一種の価値判断であり、これが唯一の正しい方法だとする証明は誰にもできない。つまり、民主主義は現代の神話なのだ。
さて、文明には他の欠くべからざる他の機能もある。それは、群れの全員を否応なく協力するよう強制する機能である。
群れのサイズが大きくなるにつれ、群れのメンバー全員が互いに利害関係者であることは難しくなる。そして、人類は、基本的には利害関係者同士でないと深い協力行動は発達しない。なぜなら、協力行動とは、協力によって双方の利益を高める行為として進化したものであり、「情けは人のためならず」的な部分も含めて、何らかの利益(利害)を必須の要素とするものだからだ。そのため、農耕社会が出現し、群れのメンバー数が膨れ上がるにつれ、どうやって人々を協力的にさせるかということが一つの課題になったに違いない。そもそも、農耕という生産様式は、高度に労働集約的なものである。だから、群れのサイズが大きくなって、協力が難しくなることは、農耕にとっては脅威である。
また、群れのサイズが大きくなるにつれ、相互監視の機能が弱まることにより、サボることも容易になっていったはずである。サボるだけでなく、不正を働くことも容易になっていったはずだ。これも農耕社会にとっては脅威である。これらの問題を解決できなかった社会は、解決した社会に比べて繁栄することはなかっただろう。
さて、群れのメンバーを協力させるという課題はどうやって解決されただろうか。私は、それは天国と地獄の観念ではなかったかと思う。人の善行と悪行のすべてを認知する超越的な存在(神)が我々の行動を見ていて、現世で善行(=協力)を行わないと、あの世とか来世で罰を受けるという思想は、そもそも現世での信賞必罰が不完全にしか履行しえないときにしか生まれえないものではないだろうか。その証拠に、トーミズムとかアミニズムの段階にあるような、狩猟採集民族の神話や伝承においては、善人と悪人の霊を峻別するようなことは普通ない。この世と似たような別の世界や、あるいはまさにこの世の一部(森、夜、地下など)になんとなく死者の霊が集っているというような世界観が多いように思われる。逆に、農耕社会を成立させた地域の神話は、多くが善と悪という二項対立的にものを考えており、善行を積んだ人の魂は天国へと行き、悪行を積んだ人の魂は地獄へ堕ちると教えている。
天国と地獄という思想は、社会が巨大化し、利害関係が薄まることで自然な感情に基づく協力ができにくくなってしまうとともに、もはや相互監視も不可能になってしまったこと。それにより、悪=非協力を制裁することができなくなってしまったということ、にもかかわらず、農耕を維持するためには、悪=非協力を抑制し、善=協力を進めなくてはならなかったことが引き金になって生まれたものだということだ。現実世界で善=協力を行うインセンティブが実際にはなくても、あの世や来世での信賞必罰が待っているという観念は、そういうインセンティブを創りだすのである。
もちろん、全ての文明が、天国と地獄を生み出したわけではない。例えば、シナ文明ではあの世における善悪の対立という観念は薄い。これは、シナ文明が遊牧民族と農耕民族の対立の中で生まれたものであることが大いに影響しているのではないかと私は考えているが、さらなる研究を要するだろう。
さて、天国と地獄という世界観は、ある意味で残酷なものだが、協力行動を促進するのであれば、それもいいのではないかと思うかもしれない。確かに、私も善行にはしかるべき報酬を受ける権利があると思うし、悪行はその報いを受けることが必要だと思う。しかし問題なのは、善とか悪とかいう価値観が、支配体制によって決められるところである。人を欺くこととか、利益を独り占めにするといったような普遍的な悪については問題ないと思うが、体制に対する批判であるとか、支配階級に対する無礼などが最大級の道徳的犯罪であるとされることには、私には強い違和感がある。全体主義が持っている、体制を絶対とする思想が、天国と地獄という思想にはないと言い切れるか。
もちろん、先程述べたように、巨大なサイズの群れで協力行動を促すには、天国と地獄のような思想は必要だっただろう。しかし、天国と地獄という、一種の全体主義的な思想が文明に組み込まれたことにより、社会の構造が不必要に固定化されてしまったとは言えないだろうか。私は、この意味で文明は社会維持装置であると考えている。つまり、善悪二項対立的な価値観を持つ文明は、その文明以外の価値観を認めないのである。そして、これこそが、逆に人類社会を停滞させる要因でもあった。本項の最初に述べた「群れの構造が安定的すぎた」ということは、この思想にも原因があるのである。例えば、天国と地獄の観念に悩まされ続けたヨーロッパが、中世、数世紀に亘って停滞した(逆の言葉で言えば安定した)一つの原因は、多様な価値観を認めることができなかったためであろうと思われる。
人は、「もはや天国や地獄といった思想は、リベラルな人の間では力を持っていない」と反論するだろう。しかし、文明とは、やはり一種の社会維持装置であり、天国や地獄というイメージを克服したとしても、依然として人をある一つの価値観に縛り付ける桎梏であると思われる。コミュニティにおいてメンバーが共通の価値観を持てなければ、人は精神的に耐えられないのも事実であり、ある程度そういった機能は必要であろう。しかし、小さいコミュニティにおいては、ある一つの価値観など不要なのである。なぜなら、そこでは、人は日常的な相互監視と互酬的なシステムのもとに生きているから、思想的な統制を要しないのである(これはこれで息苦しいが)。現代社会において、宗教やイデオロギーが世界的な大問題になっている理由の一つに、文明同士が壮大な思想統制合戦をやっているということがあるのであはないだろうか。それは、もはや思想以外には、膨大な人間をあるシステムに組み込む方法がないからなのであろう。そして、思想的に自由でなくなった人間は、息苦しさとフラストレーションの中で生きるしかなくなったのである。私が農耕を人類最大の不幸であるとする理由はいくつかあるが、思想的な自由を奪われたこともその一つである。
【参考文献】
民主主義が一つの神話であるということの参考として、「社会的選択と個人的評価」(ケネス・アロー著)を挙げておこう。この本では、ある程度限定された形では民主主義的選択が不可能であることを数学的に証明している(一般可能性定理)。また、これは本ではないが、ハル・ヴァリアンの1973年の論文「Equity, Envy, and Efficiency」では、かなり普通の条件の下でも、一般には資源の公正な分配ができないことが示されている。私は経済学には疎いが、資源の構成分配や社会的意志決定の科学的妥当性を考える厚生経済学は1970年代に盛んになったが、結局否定的な答えしか見つからなかったため、今では下火になっているという印象である。
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