私の考えでは、この言明の意義は、「人間の倫理システムのメカニズムを解明する糸口になること」だと思う。人間には生まれつきの道徳感覚があるということも、何も進化生物学を持ち出さなくとも、既に孟子が主張していたことである。しかし、これまで人類は、「なぜ人類がそのような道徳感覚を持っているのか?」という理由についてはほとんど無知だった。我々は、倫理システムが包括適応度の最大化のために発達したのではないかという認識を得ることで、「なぜ人類がそのような道徳感覚を持っているのか?」という理由を問うことができるのである。
なぜなら、包括適応度という指標を利得として用いることで、利得を最大化する行動はどんなものか? という問題設定で倫理を分析することができるからだ。利得を最大化する行動を数学的に求める理論を「ゲーム理論(game theory)」といい、ゲームの主体が進化し世代交代していくゲームを分析する理論を「進化ゲーム理論(evolutionary game theory)」という。進化ゲーム理論の考え方を使うことで、道徳感覚の発達の仕方だけでなく、社会のあり方までさまざまなことを解明することができる。そして、進化ゲーム理論など進化生物学の考え方を用いて人間心理を研究する一分野を「進化心理学(evolutionary psychology)」という。
これらは、もちろん発展途上の学問だし、その理論の妥当性が吟味されるのはこれからという部分もある。しかし、私の個人的な感覚ではその理論はかなり納得的なものになっていると思われる。それに、進化ゲーム理論など知らなかったダーウィンの人間本性の考察と、進化ゲーム理論による帰結が多く一致していることも、少なくともこの理論が有用であることを示していると思われる。そこで、これから進化ゲーム理論について少し深く触れることにしたい。
当面の目標は、「我々の生まれつきの道徳感覚は、ゲーム理論における「均衡」を維持する力として進化した」という主張を理解することにする。この主張が正しいか間違いかはまだ分からないが、この前提に立つことで倫理学はかなり面白い展開を見せるはずだ。この主張に含まれる「均衡」という概念はちょっと説明を要するもので、さしあたりこの概念を理解することが第1ステップになる。というわけで、次節からはゲーム理論に取り組む。
【参考文献】
「我々の生まれつきの道徳感覚は、ゲーム理論における「均衡」を維持する力として進化した」と言う主張は、多くの進化心理学者に支持されていると思うが、ゲーム理論の側からも同様の主張がされている。ケン・ビンモアの「Natural Justice」はまさにこの主張を吟味した佳作。なお、本格的に取り組みたい向きには、「Game Theory and the Social Contract」という大冊(Ⅰ,Ⅱ)がまとめられている。ゲーム理論を手軽に理解されたい場合は、やはりビンモアの「ゲーム理論(〈1冊でわかる〉シリーズ)」などがいいだろう(わかったような雰囲気を味わえる)。
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